2013年01月14日/牟礼神明社、真福寺

散歩 2 Comments

窓を開けると、ずんずんと空から雪が落ちてきていた。

3連休で準備しようとしていた業務の進捗もよい。

また、夜に軽くこなしてやればいいであろう。

本業の散歩に出なくてどうする?

そのようなわけで、

いつも散歩する道すがらにある神社、寺のある方向へと出発した。

 

 

 

 

 

 

思いのほか、足がずぶりずぶりと雪へと埋もれていき、

その足を、よっこらしょ、と引き抜きながら先へと進む状況であった。

雪の玉をどのように始末してやろうかと算段している頼もしい子供たちを横目に

どのような言い訳を思いつけば、家に引き返すことであろうかと考えてみたが、

名案は浮かばずに、神社のある坂へと向かった。

 

成人式であるためであろうか、

若い男女の2人が、

参堂の階段から降りてきたのとすれ違い、

神社の敷地内へと進んでいったが、

それ以外には詣でている人は見かけることはなかった。

 

木から、ドスンと大きな音を立てて雪が落ちてくる。

境内を先へと進みさすがにこの雪では誰もこないであろうと横を見ると、

御札所には2人の女性が静かに座っていた。

ただの道楽がごとく散歩している僕を省みて、

何だか申し訳なく思ってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この神社の中の植物に目を奪われることがよくある。

別に特別なものがあるわけではない。

そのとき、そのときの瞬間で、

生き抜く美しさ、たくましさを植物はいつも見せつけてくれるような気がする。

 

 

 

 

 

 

 

神社を出て、次の目的地であるお寺に向かう。

 

雪の重さでひん曲がり車道を防ごうとする木を見かけることがある。

それだけ今回は大雪であるといえばいいのか、

ともかく僕が小学生のときは、これぐらいの雪は当たり前に降っていたはずである。

木が雪に負けんとしようとしている姿は記憶にはないが、

植物はそれだけ弱くなったのであろうか、

僕がそのような当たり前の姿を無視していたのであろうか、

ただ遊びに夢中であったのであろうか。

その寺はバス停の前にあるのだが、

バス停の前には遊びに行くのか、

仕事を思い出したので職場に向かうのか理由は知らないが、

少なくない人が列を成していた。

そのバスに乗り、人の集まる町へと向かう手もあるのであろうが、

今日は人気のないお寺へと入っていくことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2013年正月/深大寺初詣・檜原村 数馬の湯・牟礼・井の頭公園

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数に左右されるような生活はいかがなことかとは思う。

 

そうかと言ってその数値により構築される世界に同居しているわけである。

 

その値によって休みであったり、

何かしらの出来事が規定されているわけであり、

無視するわけにはいかないわけである。

 

休みであることが僕にとっては重要であり、

新年に初詣に行くような経験は僕には遠い彼方の思い出にしかなかった。

 

珍しく友達から電話があり、

初詣に行こうと言う。

 

 

 

友達に促され、

蕎麦でも有名な深大寺にたどり着いた。

 

初詣と言えば、神社でのお祈り。

 

このように僕は独自の論理を築いていたわけではあったが、

どうやらお寺に詣でてもよいみたいであった。

僕の愚かな言い回しはどうでもよく

人はそこに集まっていた。

 

 

 

 

 

 

祈るしかないのか、祈ることもできるのか。

 

僕にはどちらなのかは分からないが、

願い思い描いていないものが現実として目の前に現れることは

ほとんどないのであろう、

ということは容易に想像できた。

 

 

 

 

 

 

人の合間を抜け出し、実家へと向かった。

 

二日目。

 

元旦に「家内安全」のお札を買い、

実家へと持ち込むと、

思いがけずも喜んでもらえた。

 

プロのスポーツ選手は、「げんを担ぐ」ということを聞く。

 

ある高い水準に達すると 、

あとは努力とか、論理に基づく向上とかではないのであろう。

 

その水準かどうかはどうでもよい。

 

願いたい、叶えたいことはある。

その想いを伝えることが意味があるのかもしれない。

 

妻の実家に渡そうと、

「家内安全」

の札を買いに出かけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三日目。

 

温泉に行った。

銭湯に行くことと、自宅の風呂場にお湯を入れる決断をすることと

どのような違いがあるのかは説明できないが、

檜原村にある数馬の湯という場所に向かった。

その路上、東京に向かう車の行列、

死ぬ前に会う人は何パーセントであるのか分からないが、

その貴重な人が、

その道に縦列となり集まっていた。

 

そして、山道を走る誰も乗客のいない路線バスを通り過ぎ

目的地が我らを迎えるために空いているか心配ではあったが、

数多くの車が止まる数馬の湯の駐車場へとたどり着いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼は、神社で燃やさなければいけない札があるという。

 

檜原村からの帰り道、見つけた神社へと車を降りて進んだ。

 

 

 

 

 

 

 

その時が過ぎてしまったのか、元々受け付けてはいなかったのかは知らないが、

札を置く場所はないようであった。

 

まだ、それを返し報告するには、

早かったのかもしれない。

 

十分満たされてから訪れればよいのかもしれない。

 

 

四日目。

 

時が過ぎるのは早い。

職場の机の上におくカレンダーがない。

 

予定を刻み自分を縛り付けるその紙を買いに行くことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それを書く必要、主張する必要がどこにあろうのであろうか。

ただし、それを表に出さない限りは何も産まれないことを示すことであろうか。

 

 

 

 

 

 

 

時間を区切ることにどれだけの意味があるのかは知らないが

そうしないと、ことは進まないし終わることもないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カメラを持つ僕。

何かステキなことがあるのかもと僕を覗き込む。

別に何かあるわけではない。

いつもあなたが見ている風景がそこに広がっているだけである。

 

個人的には、美しい姿ではあったりするが。

 

2012年12月31日/東京、牟礼~井の頭公園~吉祥寺

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洗濯もして、部屋は掃除機もかけ

風呂場はモップで磨き、

植物には水もやった。

 

これで一年を終えることになっても、文句を言われる筋合いはないだろう。

 

何か忘れたことがあるような気がする。

 

年賀のお菓子はすでに届いて準備万端ではある。

そんな体裁だけではなく、お酒とか場を和ませる手土産は必要ないのか?

そう言われれば言い返す論理は僕にはない。

その通りである。

 

地図を見る。

 

三鷹市牟礼から吉祥寺へは意外と徒歩でも近いようである。

 

以前、暗闇の中、徒歩で自宅へと歩いたときは、

何度も何度も同じ場所に戻ることになり、

僕にはこの道は何だか合っていない、

と判断していたわけだが、

まあ悪くはない道もありそうであった。

 

そのようなわけで、

明日、元旦の実家の手土産を買いに

吉祥寺へと向かうことにした。

 

地図に示された通りの道を進む。

 

「井の頭公園通り」

 

何度も目にしたことのある道ではあるが、

その名前を初めて知った。

吉祥寺は井の頭公園のすぐそばにある。

確かに目的地へとは順調にたどり着けそうである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ある郵便局の前。

書初めなのかよくは知らないが、

小学生が描いたのであろうか、習字で書かれた文字が飾られている。

 

それぞれの思いも違い、描される言葉も異なる。

無知な僕には分からないことも画いてある。

 

そういえば、同じ言葉が書かれている紙もあるな。

誰かが飾ることの許されたあるべき姿、許容できる姿を提示したのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鳥居の横を過ぎる。

 

お地蔵さんという道のあちらこちらに立つ偶像は、

僕にとっては分かりやすい存在であるように勝手に思っているが、

神社という物理的構造物は、

どこにでもある身近な存在でありながら、

僕にとっては謎の多い不可思議な存在である。

無知と言われればそれで終わりなのだが、

どうしても政治的構造物としか理解できない。

そうは言っても、

それが土着のものとして根付いたのであれば、

自分の一部となるのであり、ただ肯定するしかないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

井の頭公園に着いた。

これで、目的地である吉祥寺には、

もう着いたようなものだ。

 

 

 

 

 

 

 

横に逸れる必要はない、後悔する必要はない。

ただ目的地へと向かい真っ直ぐに進めばよい。

 

そうと思いながら真っ直ぐではなく、右へと公園の池のあるほうに足を向けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

12月29日/信濃町~赤坂~永田町~皇居~東京駅

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今日は毎年ある病院での検査の日であった。

昨日は仕事納めであり、ゆっくりと起床すればよいはずである。

せっかく朝、起きるわけである。

それでは、どこかに行かないわけには。

 

Googleで地図を見る。

 

目的地は東京 信濃町。

 

地図で眺めると都心は意外と徒歩で回れそうな大きさであることに気がついた。

とりあえず帰りの電車、始発駅である東京駅を目指してみようか。

 

検査が終わり、食事をとる。

 

どこに行こうかと考える振りをしてみるが、

昨日の地図の鑑賞会で、取り立てて強く思いの引かれる場所がなかったため、

予定通り東京駅へと向かうことにした。

冬の日差しが強く照りつけてきた。

歩き始めて気がついたのは、

東京という街の中心は、坂が多いことである。

 

都心はなぜか平坦であるという勝手な知識を何故だか頭には叩き込まれていたが、

今、僕は起伏のある緑豊かな道を先へと進んでいた。

 

この東京の中心というところは、

僕には空気のつかめないというか、

ここにいる自分が宙に浮いているというか、

何しろ僕には特異な空間に映った。

 

その止まっている空気を僕が漂っているという思いを、

以前も感じたことがあり、

今もその時と同じであった。

http://www.broken-robot.com/ja/n_center.html

 

この整然と綺麗な空間において、

着飾ったランナーがたまに現れる以外は

ほとんど人は姿を見せなかった。

 

一回だけ前から坂を登ってくる男性に遭遇すると、

彼は

「こんにちは」

と、東京ではないかのごとく僕に声をかけ、

ただ僕の横を通りすぎていった。

 

 

迎賓館を過ぎ、赤坂に近づくと、

濁った水が目の前に現れ、人の流れもあちらへこちらへと姿を見せるようになり、

経済により構築された世界が入り混じった空間に足を踏み入れた感じがあった。

 

三宅坂に至り、皇居外堀に対面すると、

同じ向きへと進んでいるのか、それがたまたまであるのか分からないが、

ランナー達が皇居の周りをぐるぐると回っていた。

カメラを持ち歩いている僕は、

ただその集団の歩みを邪魔しているかのごとくであったのかもしれない。

 

そこで、その横に浮かぶ皇居外苑の色は、

まるで旅行のとき長期バスの窓から見た、

二度と見ることはないと思われるような鮮やかな緑であった。

 

二重橋に着く。

これで今日の散歩も終わり。

東京駅に向かう前に少し休もうと

ベンチがある方向へと進んでいくと楠木正成の像があった。

 

今まで知らなかったが、

東京の中心で楠木正成が皇居を守るがごとく立っていたわけである。

 

明治政府であるのか、誰であるのかは知らないけど、

この新たに作り出したこの世界を何とか必死に守ろうとした印であるのであろうか。

 

楠木正成が仕えた相手の境遇を考え、

また、彼をそこに立たせた思いと重ね合わせると、

少しばかり悲しい画面を想像させるものがあるように感じた。

 

 

 

 

ball

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「松井秀喜引退」、というニュースがある。

 

昔は野球好きであり、

スポーツをラジオで聞くというてんで理解のできないことを

学生時代にはしていた記憶もある。

 

今の事情は全く知らない。

 

昔を懐かしんでということであろうか、

少しその松井の引退に絡んでニュースを見ているうちに

野茂の動画を見るというように手は動いていた。

 

野茂が投球する。

「ball」

と審判の声。

 

「そういえばボールってどういう意味?」

 

英語であると思うが、

もしそうであれば、それは「ball」というスペルであると想像するが、

それは勝手な思い違いであろうか。

 

ballとは、

まさにその野球という球技自身で利用される

硬くまん丸の物体であり、

ある人が投げその物体を、

それを迎える形である人が立ち棒を持ち引っ叩く対象となるものであろうか?

 

もし、僕が間違っていないのであれば、

「ball」というのはその野球という事象の一つの中心となる要素である。

それをstrikeに対する一方であり、

見逃す対象とする

という言葉の使い方をしているということになるのであろうか?

 

野球帽を被っていたのかどうかは忘れたが、

いずれにしても、授業の後、バットを振り回していた時代がありつつ

たとえ、その場が授業後の路上や小さな公園でこじんまりと開催される催しであったとしても

心をこめて心を、体を動かしていた時代があったはずの私。

 

たとえ、それが公園での単なる遊びであったとしても

その私が、今になって何故そんなことに、分かっていないことに気づくのであろうか?

 

分かっていないのは事実であり、仕方ない。

 

今、考えてみる。

 

「ball」、それはまさに本質であり、

あまりその本質は、うっとおしくもあり、

大多数の幸せを妨げる必要はなく、

語るべきではなく、はずれ物として除外すればよい。

 

「ball」、それは「strike」される価値もない

成長のかけらも感じられない物体。

 

「strike」されれば、ある見せ場はあるわけであるが、

それはただの「ball」でしかなかった。

 

12月24日の散歩/牟礼・牟礼神明社~三鷹・真福寺

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3連休最終日。

 

とりあえず今日もだらだらするか。

天気もよさそうだし。

 

いや、それでいいのか?

 

大阪滞在を荷物、天気などの都合により諦めて帰宅して、

3連休は洗濯もしたし、長らく滞っていたウェブサイトも更新したしOKだね。

でも、こんな風に終わることは期待していないはずだ。

 

そして、3時前にようやくドアを開けた。

 

冬の空はステキだ。

 

空気が澄んでいるためであろうか、

その透き通る色合いが美しく目に映る。

 

夏であっても、秋であっても、冬であっても

空がきれいだと言っているに違いないのだが。

 

部屋に目を向けると、建物の影で暗く沈んでいた。

 

外に出てよかった。

 

そして、いつもの神社へと向かう。

どこにでもあるこの類の神社は、

私が何も知らない生き物であることを、

いつもつくづくと感じさせてくれる。

 

実は今日外に出た目的は、

自己満足のためだけではない。

埃を被る本を図書館へと帰すことが一つの目的であった。

 

もう、明るくない時間である。

でもまだ暗いとは言えない。

 

いつもはバスで通う道を、今日は歩くことにした。

 

歩道が狭く、恐れ恐れ進むこの道。

いつもであれば、横へと逸れて進むことをするのであろうが、

どれだけ歩けば着くのかは知らないが、

あわよくば明るいうちに帰れればと、今日は、前へ前へと進んだ。

 

 

今日はクリスマスイブ。

 

コンビニの店長、定員はサンタの洋装を着込み、

ケーキ屋の窓は、

このときを待ってましたと言わんばかりに、

閉店の後にハサミを手に準備したであろう飾りが窓に張り付いており、

その窓の向こうにはクリスマスツリーがあり、

定員がが右へ左へと盛んに動いていた。

 

震災のときの自粛活動は、

積極的に復興を妨げようとしている活動に映り

はなはだ奇妙な感じがしたが、

自分のこととなると、自らのため、結果的に周りのために、

一生懸命、機会を利用して動き回ろうとしていることをしみじみと感じた。

 

図書館で本を返し、三鷹駅へと着く。

これで今日の散歩も終わりである。

ご飯を食べて帰ろうかと思ったが、

自己満足で外に出て、たんまりと溜まった冷蔵庫の中身を無視して

余計な金を使うとは何事よ、

とバスで帰ることにした。

 

自宅最寄のバス停を降りた。

そういえば忘れていたと

神社とともに写真を撮りに何度か訪れたことのあるバス停そばのお寺に足を運び、

今日の散歩を終えることにした。

悩んでいるより元気になったほうがとく

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一年半以上も前の写真ですが、僕は好きなので。

悩んでいるより、元気になったほうがとく

採石場

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町の外れにぽかりと開いている。

 

とりあえず自分でも掘ってみるか。

まずはスコップを持ち出すか、

それとも何らかの機械を生み出す方向に進むべきか。

 

結局、人間が生を受けて生き長らえ、

何かしらを積み重ねた結果、

今の僕には到することができないこの穴があるんだ、

 

という陳腐な結論にしかならない。

 

数百万年かけてこの穴を掘ったと言えばいいのか

この穴を掘るために数百万年かけたと言えるのか。

キルギス ビシュケク

いつものように、ここはさっさと通り過ぎた。

幸と辛

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冷麺の唐辛子のエキスの含まれた袋に書かれた字を見て、
これは幸せという字であるよね、と妻が尋ねてきた。
「いや、“辛い”という字だよ」

なるほど、今まで気がつかなかったがよく似ているんだね。
頭の中で、

「幸」という字のなぞり、辛いという字の一番に下に一本線を加えればいいんだ。

と字をなぞる。

 

いや、幸せという字がどんな字なのかよく分からなくなった。

取り出された紙を前に、

ペンを持った私が何度か書きつづるが

どうしても幸という字にはたどり着く様子は見られなかった。

 

「一番上に一本棒を引っ張ってみればいいんじゃないのか?」
そう言われて紙に書くと、

すでにその形状を失いつつある私の頭では、
どうもそのかたちが納得できるもののように見えた。

少々不安がありはしたものの、
そのような字の迷いは夏目漱石の小説にも出てきたし、
実際に私にも小さいころからよくあったので、
今日もそのようなことなのであったのであろうか。

祝你平安

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久しぶりに自分のPCの音楽のフォルダを眺める。

Faye Wongを発見。

昔、聞いたな、と思い出し一曲聴き始めた後、
何故だか彼女の曲を先へと聴き進めるのではなく、
そういえば、と思い出したのがFaye Wongと時期によく聞いていたこの曲。

「祝你平安」
(http://www.youtube.com/watch?v=_41Pj5u2-TI)

さほど難しい歌詞ではないと思うが、
残念ながら、今の僕が聞くと
はっきりと理解できない箇所が多々あり。

ぼんやりと理解を口にするのであれば、

今は遠くにいるあなたの幸せを、平和な生活を祈る歌でしょうか。

間違っているかもしれませんが。

「あなたはまだ収入少なく、出費の多い生活を送っているのでしょうか」

こんな風に、あなたを思い描く場面があり、
それには思わず笑ってしまいました。

ただ、これは自分の生活を基準とした見方なんだろうと思い直しました。

給料少ないわりには、外食もするし、
気軽にお酒を飲んでしまったりしているしようもない自分への中傷。

自分の少ない稼ぎで、
家族を、親戚を何とか支えている姿のあなたを思い起こしているのかもしれない。

中国で宿泊したゲストハウスの相部屋で知り合った男性を訪ねに
農村に行ったことがあります。

彼が書いてくれた住所の紙を右手に、
その腕を突き出し、
その辺にいる男たちにそこに書かれている場所への行き方を尋ねると、

「親戚を訪ねに、探しているのか?」

と聞かれました。

音楽は人と人とをつなぐ架け橋となる力を持つようなことはよく言われます。

本質的なところでは、
無理解・誤解での交流を構築させる怖さがあると思っていますが、
一つのきっかけとして、大きな力を持っているのでしょう。

使い方は気をつける必要があるのはもちろんのこと。

人と人をつなげるのは必ずしも相互理解とは限らないと思います。

何故だか肯定的な感触を抱いているだけのことが、
秩序であったり、一つの集まりを作り出す助けになるでしょうから、
意外と社会全般としたら無難なことであるのでしょう。

そんなわけもあり中国の曲を紹介しました。

秩序とは関係ありませんが、
哲学的な感情とは違うものを媒体としたつながりのきっかけになるかもしれません。

もしかしたら、お互いに全く理解していないかもしれませんが。

ところで、先週の家に招いた友達が、
日本と中国の関係はよくなるはずだと力説していました。

彼が言うには、

「中国と日本の長い歴史の中では、友好の時間がほとんどである。
今のいがみ合いは、長い時間の中で見ればほんの100年超のこと」

僕は別に国という言葉に憎しみやら好みやらを持つ感覚は有しないのですが、
そういう見方はいいな、と思いました。

出稼ぎのため息子が故郷を離れているあの農村の男が、
僕を無理解な人間と評しながらも
僕に一時の住居を与え、
去るときには再来を呼びかけてくれたことを思い出しました。
http://www.broken-robot.com/ja/c_red.html

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