Archive for the ‘習慣’ Category

有縁無縁三界万霊供養塔

月曜日, 7月 13th, 2015

image

無縁仏

三界を流転する有縁無縁の魂たち

元を辿れば実は有縁なのだろうか

三界、六道

言葉の意味を調べてみても、
よく分からない

ある説明で、なるほど、と思う
詳細を知ろうと他の情報に触れると、
その前の説明とは異なる説明であるような気がする

文字が意味もなく頭の中を漂うだけで、こんがらがってくる

法事は生きている人のために行われる式典であるそうである

有縁無縁三界万霊供養塔

塔へと続く道を前に進み、そして、手をあわせる

欲界の無縁と有縁の間を彷徨う魂が、
無に向かう道とは逆の有縁へと歩み寄り、
そして、この世界に生きる証拠を掴み取るために、
供養するのであろうか。

生き物の魅力

火曜日, 5月 6th, 2014
_1_2.JPG _2_2.JPG _3_2.JPG _4_2.JPG

猫という生き物は人気があるのか嫌われ者なのか。

今夜も彼らが泣き叫ぶ声が聞こえる。

 

大相撲

月曜日, 1月 27th, 2014

 

 

先日妻の誕生日祝いで相撲観戦に行った。
 
毎年、夫婦で相撲を見に行くことは、決まった習慣となっている。
 
元々相撲好きの夫婦を自認しており、
普段、相撲に接することのない友人を国技館へと是非にと誘ったことが何度かあるぐらいであったが、
今、我々の家ではテレビを視聴する環境がないため、
入ってくる相撲のニュースは誰が勝ったとか負けたとかいう言葉だけとなり、
自然と相撲は離れていってしまった感がある。
 
相撲に限らずどんなスポーツでも、
いや、スポーツ以外でもそうなのかもしれないが、
テレビで観るのと、直接その現場を見るのは全く異なる。
見る、というよりも観客もその競技に参加している、
という世間に知れ渡る陳腐な言葉というか認識が的を射ているのかもしれない。
 
僕はあまり競技というスポーツに自ら関わったことがないためか、
自然とスポーツを生で見たという経験が人より少ないと思う。
 
 
そのようなわけで僅かな思いが大きく膨らんだ突けばすぐに割れてしまうような思いを語ることになるのであろう。
 
生のスポーツ。
 
僕はハタチの記念で初の海外旅行に行った。
その時の訪問地であるタイの思い出として強く残ったものとしてムエタイを見たことが挙げられる。
 
試合は静かに始まる。
遠くに映る二人のシルエットが淡々と闘いの絵を描く。
聴衆の一人一人が値を定めて賭けはじめる。
参加する人が増え始めるに伴い、
選手が放つキックが相手に当たる度に発せられる掛け声の音が会場の中、膨らんでいく。
一人一人の思いが募り会場が一体となったが如く絵の中に詰め込まれていた躍動が人々へと伝染したが如く最高潮を迎える。
 
昔の思い出でハッキリ正確には思い出せないが、
雰囲気はこんな感じであったと思う。
 
 
 
選手へと目を向けると自分が参加した数少ない経験を思い出す。
 
 
一般市民向けの大会であるがプロの選手も参加していた青梅マラソンである。
友達に誘われて特に練習もなく参加した大会であった。
 
普段走ることを趣味としているわけでもなく、
また練習もほとんどせずに古くなり底の擦り減った靴を履いて
30キロ程の起伏の多い工程のレースに出るのは無謀なことであったようである。
 
足の付け根が折り曲がらんとする動作に恐れを抱きつつ、
自らの意思で終わらせてはならんとゆるりゆるりと足を前に進める。
 
折り返し地点を越えた集団が前に現れる。
 
この大会に出場していたあの有名な高橋尚子が僕の体の2,3倍はあったのではないかと思うと、
そのでかい体とは反比例するようにあっという間に彼女のどでかい目が僕の横を通りすぎていった。
 
所詮僕とは力の気持ちも遠い彼方にある太陽と人との差と同じようであり、
ただただ僕は恐れ入るしかなく感じた。
 
 
 
ジンクスを重んじる。
 
ある頂点に達すると僕は想像するしかないのだが、
努力とは当然のことであり、いまさらの手助けにならないのかもしれない。
プロの野球選手がどちらの足から靴下を履くだのといった儀式を重んじることを読んだことがあるが、
技術の高みに近い場所での争いに差をつけるとするとそんな様式ということになるのかもしれないと思ったことがある。
 
 
 
さて短い本論を述べる前置きが5倍以上のボリュームとなってしまった。
 
 
相撲で土俵入りが無駄であるとか、仕切りが長いといったことを
その武道が見る価値のない退屈な競技である一つの理由として挙げる人がいるかもしれない。
 
お互いの力士が覚悟を決めた瞬間に試合が始まりその戦いが終わるまでの所要時間。
 
 
恐らく試合時間がこんなに短い競技というのはなかなかないのではないだろうか?
 
 
力士が呼び出されてから制限時間になり立会い試合が始まることが多いのかと思うが、
立会いまでの所謂儀式と呼べばよいのか塩をまき蹲踞して仕切り線の前に手を突くことを繰り返す。
大きな一番であればあるほど観衆の声と熱気が増していき、試合が開始されるのを今か今かと待つ。
 
そんなとき背中であろうが自分からいくら遠くにいようが、
「今日は、横綱に勝つな」
と自分の好き嫌いとは別に分かることがあり、
実際にその通りにその力士は圧倒的な力を持って横綱を制してしまった。
 
 
大相撲を見に行った人であれば、何度かそのような経験があるのではないであろうか。
 
 
勝負の始まる直前まで呼び出しがほうきで土俵を掃き清める光景を不思議に思うよりも
立会いからの一瞬で全てが決まるこの競技に思い至ると勝負の瞬間へと思いを籠める力士と
思いを馳せるが如く彼らを見つめる観客に篭る素のどよめきが重なり、時にぶつかり合う形でその場が成立しているような気がする。

立春大吉

日曜日, 1月 19th, 2014

親戚の人に誘われたという他の力を借りて珍しく食事を愉しむ席、日本料理店を訪れた。

 

事前に会の案内に書かれたいた場所の名前をホームページを調べてみると、

「お懐石」という文字が目に入る。

 

懐石という文字をどのように理解すべきであるのかが正直言うとよく分からなかった。

茶の湯の食事であり、会の主が客をもてなす料理であるというようなことが、

ウェッキペディアには書かれていた。

 

何が何だか分からないが、

兎も角普段味わう、また見ていない食事であることは理解して

東京の中心にある新宿、そしてその中心にある料理屋へと向かった。

 

 

20140118_01

 

「立春大吉」

 

僕には、今この瞬間にこの言葉でもてなされ、

またその場を共有する人たちとその場を共に味わうとすることが正に適切であるのかの判断をする知識がなかったが、

料理というのは季節であり人生を表現する美として存在し、またさせてようとしているのだということは理解できた。

 

 

年が明け春が訪れる。

その幕開けとその年の幸福を願うと、次に新たな芽が目の前に運ばれてきた。

 

20140118_02

 

僕が正しく理解しているのかどうかは分からないが、

恐らくは料理人はある物語を描いているのであろう事を想像した。

 

食器に描かれた「高山寺」という文字を見て、

親戚が給仕に意味を質問する。

 

「鳥獣戯画」

 

もちろんそれは誰もが知ることということなのだろうか。

 

シンプルに返ってきた回答に、どんな漢字かも分からずに「ああ、そうなんですか」と納得をしたように頷いた。

その場でネットで調べてみると、高山寺とは京都市右京区になる寺院であり、

そこに伝わる国宝の絵巻物が鳥獣人物戯画であるとのことであった。

 

知識の有無は別にして食器に描かれる図柄は生生しく、

また食器に添われる匙の描く曲線は人の目を奪う優雅さを有していた。

 

20140118_0320140118_0420140118_05

 

食事を終え、以後の再会を約束して新宿駅へと向かう。

 

20140118_06

 

今日の会話で、和食が世界遺産に登録されたという話題があり、

目の前に広がる美を誇る話題があった。

 

確かにそこには美しさがあり、また人の籠めた息があった。

 

新宿から乗った電車を降りバス停へと向かう。

以前、何度か座ったこと記憶のある中華料理屋を通る。

開いているのかもう閉じてしまっているのか良く分からなかったが、

あまりじっくりとその事実を確認するのを躊躇うがごとく横目に見ながらその場を過ぎ去った。

 

20140118_07

20140118_08

 

年越し、新年を迎える

火曜日, 1月 14th, 2014
物理的なものであるのか論理的な創造物であるのか、
はたまたそれは想像物であるのか知りはしないが、
それを越えると年というものが到来するか、もしくはそこへと辿り着くそうである。
「年を越す」
越すというのは
山であったり何かしらの障害物を目の当たりにして発生する動作であったりする
というイメージが個人的にはある。その日の夜が、果たしてその前の日の夜と比べると
どのような差異があるのかは正直言うと僕は理解できていないのだが、
とにかく越えるものとして定義されているようである。
「一般的」
その言葉はとっても不思議な言葉である。
僕が今から言うことが一般的な言葉であるのかどうかは分からない。
兎も角僕の薄っぺらの頭で想像してみると、
恐らくは、例えその本人がそのように過ごした経験はなかったとしても、
その本人は一般論として次の点景を描くことが許可されているのではないかと思う。
「一般の人の典型として日本の大晦日には家族で紅白歌合戦を、
そしてそれが終わるとゆく年くる年を見ながら除夜の鐘を聞き新たな年を迎える」
除夜の鐘というのは 寝床の中遠くに響いているのを、耳を澄まして聞いたことがあるような記憶があるが、
実際に見に行ったようなことがあるような気もするし、
見に行ったことを想像したことがあるだけなのかもしれない。
実際の所、僕が過去に鐘が鳴っている現場を見たことがあるのかどうかは思い出せなかった。

 

大晦日の夜に百八回の鐘を鳴らすというのは、
日本仏教の行事であるようある。

2012年より住み始めた現在の住所の側にはお寺があった。

前の年にはそのときに何を考えていたのかは何の思いでもないが、
大晦日の夜にそのお寺に行かなかったことは覚えている。
今年は折角であるので見に行ってみようかと心に決めていた。
「大晦日」
冬の休みに入ると、
そのタイミングにあわせたように風邪を引いた。
薬の力を借り何とか喉の痛みと鼻から擦り落ちんとする水を止めようと試みたが、
そのまま先へと進みその山を越えなければならないようであった。
人はいつまでその土地にいるかは分からない訳であり、
今年というのか来年というのか正確にはどのように言えばいいのかよく分からないが、
兎も角今回が最後かも知れないと思い、
目だけを空気に触れる格好を整え、僕は外へと出た。
「人間的な全ての気持ち・人らしさを殺す行事」
百八の煩悩を抹殺しようという除夜の鐘というイベントに対し
ある典型を示すものとしてそんな言葉を聞いたことがある。僕は多くの人が集まるものであるとは知らなかったのであるが、
お寺に着くと多くの人がそこに集まっていた。
確かに僕が蒲団から這い出す気持ちは更もなかったが、
両親が初詣と称して近くの神社に行った年があったような気もしたので、
一般的に新年の夜中に路上に人が集まるものだったのかも知れないと思った。恥ずかしながら私は知らなかったのであるが、
除夜の鐘というのは希望者であれば誰もが叩くことができるようであり、鐘に向かって行列ができていた。 

僕がその寺院に着く前から鐘はぽんぽんと鳴っており、
また、僕がそのお寺にいる間も継続してぽんぽんいう音が宙を響いていた。

その鐘へと並ぶ列を見て、果たして百八人目が着たら「はい終わり」とお詫びを申し上げるのか、
新年に当たり全ての希望者の悪の根を断ち切る措置を遂行させてあげるのかのどちらになるのかは興味深かったが、
恐らくは全ての方を受け入れるぐらいのことはするのであろうと思った。
そうはいっても結論を待って見るまでの興味はなかったため、
お寺を離れて次は近くにある神社に行ってみることにした。神社は鳥居を潜り階段を登と境内へと続いている。

「初詣にはコンナに人が来るんだ」

警備員がちらほらと目の前に現れ、
鳥居の前まで辿り着くと、階段には想像だにしない人の行列があった。

上へと進む手段はないかと行列に近づいてみると、

「お参りですか?」

と杖を右手に持つ私を心配してくれたのであろうか警備員より声を掛けられた。

「いや大丈夫です」

何が大丈夫で何が大丈夫でないのかは分からないが、

「興味があるので境内に進みたいたいのですが。。。」

とは聞くのは何だか勇気がなかったのか列を作りお参りをする人を前にしては失礼な気がして、

僕は逃げるようにそこを離れた。
「残念だが家に帰ろうか」神社の裏から境内へと進むことはできる。「その道がもしかしたら今日は閉鎖されているのかもしれないが、
何か見えるかもしれないから念のため行ってみよう。もし中に入れなくても中に入れない事実を見届けておけば後で後悔はしないだろう。」神社の敷地を横に回る坂道を先へと進む。遠くから祭囃子が聞こえてくる。

新年を迎えるときにコンナ音が聞こえてくる光景が広がっていることは知らなかった。

裏口へと辿り着く。

どうやら誰かがそこを遮っているわけではなく、
初詣で並ぶ人の横から境内へと入り込むことができるようであった。

笛の音が響く境内へと近づくと能面を演者が人々の横を舞っていた。

僕にはその拍子と舞がどれだけお参りをする人の心を揺さぶっているのかどうかを想像すると
極めて不思議な光景に見えた。

長らく待った出番が来て神の前でちゃんちゃんと手を合わせると、
だいたいの人は仮面に目を向けることもなく横にして社務所へと向い
絵馬や熊手を買い、また恋人、友達と占いの紙へと笑顔を向けていた。

兎も角、その夜は街に人が溢れていることを知った。
「いや、本当に溢れているのであろうか?」
もう一つ近くにある神社に行く。

 

そこも人の行列があった。この人々は一般なのであろうか?

今この暗闇に浮かぶ家の中、ほとんどの人が外に出て鐘をたたき、またお参りをしているのであろうか?良くは分からないが、若しかしたら殆どの人が家の中にいるのかもしれない。

この僕の目の前にいる人たちが世の中の人の1パーセントなのか、それ以上なのかそれ以下なのか、
どれだけの割合を占めるのかは全く分からないが、
人が輪になり集まることは恐ろしい力を持つ可能性があるかもしれないなあ、と思った。
僕は日常生活で格段に多くの回数に渡りその日に訪れた神社・仏閣を訪れていると思う。
恐らくは今この夜中に姿を現した人の大多数よりも。僕の訪問は参拝ではなく、
ただの散歩であり、また興味本位であるだけなので、
お祈りを重ねた回数は、訪問した回数を比べても仕方なく
何時まで経っても僕はこの人たちに追いつくことはないのであろう。

2013年07月07日/七夕

日曜日, 7月 7th, 2013

午後三時ごろであろうか。

 

少々身体の調子が悪かったこともあり、 家とスーパーの行き来だけで土日が過ぎ去ろうとしていた。

 

「今日は七夕らしいけど、一日部屋で完了していいのかな?」

 

自分にしては、この土日は最低限必要でやらざるを得ない洗濯機のボタンを押して、しばらくしたらその機械の中から服を取り出して棒に引っ掛ける作業だけでなく、 浴室の防カビ剤を購入して使用したので、自分としては家事が好成績で完了したような気がする。 これを以って合格としようか。今まで、七夕で何かしたことも、考えたこともないし。

 

さて、妻が実家に帰っているので、 来週の食事はどうしようかと考えてみる。

野菜が足りないことに気がつき、どうやら外に出てスーパーに行くのが無難であるようである。

 

 

もう、夕方であった。

スーパーは暗くても問題ない。 僕には七夕と神社の関連性の有無は知らなかったが、 とりあえず近所の神社に向かった。

 

 

 

 

神社の境内にある七夕の説明冊子を見る。

=======

夏の行事を楽しもう! 七夕(たなばた) 7月7日

七夕は食物の成長を感謝する収穫祭と、 お盆に棚機女(たなばため)と呼ばれる娘が御霊の 衣服を織り棚に備え、村の穢れを祓う という二つの行事に由来しています。 この二つに、大陸から伝わった 織姫(織女星(しょくじょせい))彦星(牽牛星(げんぎゅうせい))が 一年に一度だけ天の川を渡って会えることが 許されるという「星まつり」と、 織物上手だった織女星にあやかり裁縫の上達を 願う行事「乞巧奠(きこうでん)」が合わさって、 現在のようなかたちになりました。

=======

 

この説明は、僕には正直理解できないことが多くありインターネットで調べてみたが、 依然としてさっぱり分からないため、今後の宿題としてみたいと思う。

 

それで終わってもいいのだが、とりあえず、今回は今日の段階で一つだけ感じたことを述べておきたいと思う。

 

 

「ウェキペディア フリー百科事典」で七夕について見てみると、 短冊に願いを飾る風習の起源について、次のように記述されている。

 

「夏越の大祓に設置される茅の輪の両脇の笹竹に因んで江戸時代から始まったもの」

(ウェキペディア フリー百科事典 七夕より)

 

 

インターネット上でほんの少しだけ検索して程度では、 夏越の大祓(おおはらえ)と七夕を関連づける根拠等は他には見つからなかった。

 

そこで、関連付けるのは止めて、基本的に僕が理解していない大祓に着目してみる。

正確にはどのように定義すればよいのか分からないので、 結論だけ簡単に言えば、 大祓とは誰もが時の経過と共に蓄積されていく汚れを祓う行事であり、 そこで身を清らかなものとするために茅の輪くぐりを行うそうである。

 

また、ここでは、ある神社の大祓の説明を紹介しておきたいと思う。

「夏越の大祓」「七夕」という二つの単語でGoogle検索すると、 始めに出てくるのがこの神社、遠野郷八幡宮であるが、 そこにはこんな説明が記述されている。

 

=======

夏越大祓はこれから始まる暑い夏を無事に乗り切れる様、祈る行事です。 本殿前に設置された茅の輪を「みなづきの 夏越の祓 する人は 千歳の命延ぶというなり」「蘇民将来」と唱えながら3周します。 罪穢を祓う人形流しも行われます。茅の輪と人形は6月中旬に設置され、毎年、6月30日の夕刻には大祓詞奏上が行われます。

=======

 

この文章を読んで、始めは安易な説明と感じてしまった。

 

ただ、少し考えると、 この行事について何も知らないので想像しただけに過ぎないが、 この説明は難解な言葉の定義よりも適切な内容であるかもしれないと思った。

難しい言葉を利用せずに説明すれば、 まさに「これから始まる暑い夏を無事に乗り切れる様、祈る」行事なのであろう。

おそらく、これは人の生活から産み出される様々な他の行事と全く同じなのではないだろうか?

 

実りを待つ人、 豊作を願い、この夏が無事に乗り切れることを願う。

そして人には軽く飛ばされてしまうような願いがいくつもある。 全てをひっくるめて、何卒上手くいきますようにお願いしよう。

 

 

ところで短冊の願いを見て少しばかり驚いたことがある。

 

自分自身や家族に向けての願いと共に、世界の平和・安全の願いがいくつも見られたからである。

もしかしたら自分が七夕を無視して、短冊を見ていなかったので知らなかっただけのことであり、 昔から、人の願いとしてこれは変わらないのかもしれない。

経済的には世界は統合され、否応なしに生存のための一つの共同体であっても、 心は離れたまま、というのが現実であると思う。 でもそれは僕の定規で測った勝手な見方であり、 他の人たちは少しずつでもお互いに近づいていっているのかもしれないと思った。

 

人を思い、自分の意思では初めて願いを結びつけてみたが、 やはり、自分は外へと自然と発散される自分以外の人への思いが欠落しており、 自分以外の優しさを前に、人を自分の定規で定義する自分の傲慢さを恥ずかしく思った。

 

災いとの付き合い方

日曜日, 6月 23rd, 2013

 

 

 決まりや規則に則れば全ては落ち着く方向へと収束することであろう、
と捕まるための棒を水の底へと打ち付けようとしたのかもしれない。
すぐに揺らいでしまう頼りないものではあるが。

人生には、多くの災いが起こる危険性が高くなる期間が何度かあるそうだ。
その期間は年齢と定義された数値で示すことができ、それを厄年と呼ぶそうである。

また、その年を本厄とも呼ぶそうで、
その前後一年をそれぞれ前厄、後厄と名付けた。
やはり危ないのかもしれないと言う一年となるそうである。

人の生活の便宜上作られ、利用される時の流れの区画の呼び方に従い災いが現れ、
その枠が過ぎ去ると危機は脱するという非論理性を打ち消すために、

この曖昧な時間を設けたのであろうか。

 さて、どうしてこの期間なのであろうか。

災いと言うのは人によりもたらされるものもあるし、

また定義の仕方により発現することもあるかもしれない。
往々にして人が思った通りにしか事態は動かないし、  みんながその期間が危ないと思えば、その通り実現されても可笑しくはないと考えると、
世間でよく聞く人生指南の言動にも聞こえてくる。

また少し横路に逸れるが、太平洋を上から見下ろす位置にある白須賀宿という宿場を訪ねたことがある。

 そこで宿場説明の立て看板を見ると、
その町は津波の難を恐れ、高台へと宿替えしたが、今度は大風による大火に苦しむようになったようである。
 この場合は、人の所作により自然災害が引き起こされた、というわけではないだろうが、
人の選んだ道に従い、いずれにしろその場では、何かしらの災いは発生してしまい、
それとどのように付き合うのか考えていくことになるのであろう。

さて、前置きが本文を食わんとする長さとなったが、

これ以上の不愉快を避けるために後は簡単にまとめることにしたい。

僕は早生まれであるが、

同級生は前厄の歳であり、厄払いに行く必要があるそうである。
 その彼も、もともとは僕と同じように厄年という風習に興味はなかったのかもしれないが、
他の同級生より厄払いに行ったという情報を聞きつけると即座に厄払いを行う決断をして、
隣に座る僕には、「お前にはまだ早いけど取り敢えず見ておけ」、と僕に同行するようにと駆り立てた。

厄年、厄除けとは何かという常識が私にはないため、
神社に行ってお祓いでもしてもらうのかと思っていたが、それは間違いであった。

僕に動向を促す友達も知らなかったのかもしれないが、
厄払いを行った情報提供元の友達と同じ場所、高幡不動尊金剛寺へと行くことになっていた。

ところで、今回は、話の流れで行く場所が落ち着いたが、
想像するには、おそらく、厄払いを行うと宣言するところへ、それを信じてもよいと人が思えば、
厄除けのできる場所という合意事項がなされ、その儀式が遂行されるのであろう。

高幡不動尊では、

「仏の智慧の火を以て煩悩(苦の根元)を焼きつくす」(高幡不動尊金剛寺ウェブサイトより)
という護摩修行が毎日営まれている。
 その儀式では、「家内安全・商売繁昌・身体安全・厄災除・災難消除・当病平癒・手術成就・負傷平癒・心願成就・社運隆昌・事業繁栄・工事安全・作業安全・交通安全・旅行安全・安産満足・六三除・方災消除・身上安全・無病息災・合格成就・就職成就・学業成就・開運満足・新生児祈願・ 御礼等」、並びに希望に応じたその他お願いごとの成就を祈願してくれるそうである。

敷地内は見事な庭園などもあり、
また今は「あじさいまつり」が開催されており観光客であろうか多くの人が集まり、
出店屋台が並んでいる落ち着いてはいるが、少しばかり賑やかな場所であった。

「御護魔の時間です、お集まり下さい」

 放送が境内に流される。

御堂の中に人が集まる。
護魔料を捧げる人のため、儀式が執り行われるのであろうが、
一般の人が同席してもよいようであり、
友達の手に誘われるがまま、靴を脱いで御堂へと足を踏み入れた。

音楽のように心へと響く祈りの声と決められた締めタイミングで流される楽器の音の中。
そして、祈りをささげながら、煩悩に見立てた薪を焼き尽くし灰にしていく。

こんな目の前に展開されている儀式の有様が、
ここに静かに座る人々の現実や思いとどれだけ合理的に重なり合っているのであろうか僕には想像ができなかった。

昔、ある本で次のようなことを読んだことがある。

「プロスポーツ選手は、縁起を担ぐことが多い。
最高レベルが集結した中で、群を抜くにはあとは論理を超えた取り組みしか手がない」

そのときは、そうかもしれないと納得したが、
実際は、現実の生活でも同じことであり、どのレベルにいるかという差別はなく、
誰もが同じように解決できない世界の中、ただ「どうしようか、どうにもならないよね」、と立ち尽くすだけの瞬間があるのかもしれない。

 ところで、護摩というのは、「焚く」、「焼く」を意味するサンスクリット語(ホーマ:homa)を漢字表記したもので、

この儀式自体は、紀元前のインドバラモン教の儀式が起源であるそうである。

今、この場に静かに座り儀式を眺め、時に手を合わせる人々の心中は分からないが、
いずれにしろ、長い歴史で消えることなく、
世界の有様を定義する宗教と風習の混ざり合ったこの儀式が、

今も人々に必要とされ、執り行われているわけである。

ただ、同じことが同じように伝承され、また横へと繋がっていくわけではないのであろう。

それを説教と言えばよいのか、僕には言葉の定義を知らないが、

ともかく、護魔の前後に、御堂に集まる人々を前に、お坊さんは誰もが分かる言葉を使い説教をした。
そして、その言葉をほしい方がいればどうぞ、と紙が配られる。
 ==============
 よいたねをまこう
 (1)相田みつを先生の詩
     たね
   種子さえ
   蒔いておけば
   いつかかならず
   芽が出る
   よいためには
   よい芽が
   悪い種子には
   悪い芽が
   忘れたころにちゃんと
   出てくる
(2)荒了寛老師のお言葉
   子の悪しきは
   親の悪しきなり
   生まれながらにして
   悪しき子はいない
   育てたように
   子は育つ
==============
 正しいのかどうかは知らないが、
その現実とは遊離したかのように見えるその空間に集まり、
いかにもありがたいもののごとくその紙を受け取る人々もおり、
一方、興味を示さないものの、いずれにしろこの場所で厄除けをお願いする人もいる。
寺院には、宗教的な部分と土着な道徳観を広める役目があったのかのように見えた。
昔には共同体をまとめる一つの役目を担っていたのかもしれないし、
信心がなく、またありがたい言葉を理解しようとしない僕を含めて人のあるべき道を説こうとしている姿が
昔から引き継がれる形で、今も変わらず残っているかのように見えた。
滞在日:2013年6月15日

2013年正月/深大寺初詣・檜原村 数馬の湯・牟礼・井の頭公園

日曜日, 1月 6th, 2013

数に左右されるような生活はいかがなことかとは思う。

 

そうかと言ってその数値により構築される世界に同居しているわけである。

 

その値によって休みであったり、

何かしらの出来事が規定されているわけであり、

無視するわけにはいかないわけである。

 

休みであることが僕にとっては重要であり、

新年に初詣に行くような経験は僕には遠い彼方の思い出にしかなかった。

 

珍しく友達から電話があり、

初詣に行こうと言う。

 

 

 

友達に促され、

蕎麦でも有名な深大寺にたどり着いた。

 

初詣と言えば、神社でのお祈り。

 

このように僕は独自の論理を築いていたわけではあったが、

どうやらお寺に詣でてもよいみたいであった。

僕の愚かな言い回しはどうでもよく

人はそこに集まっていた。

 

 

 

 

 

 

祈るしかないのか、祈ることもできるのか。

 

僕にはどちらなのかは分からないが、

願い思い描いていないものが現実として目の前に現れることは

ほとんどないのであろう、

ということは容易に想像できた。

 

 

 

 

 

 

人の合間を抜け出し、実家へと向かった。

 

二日目。

 

元旦に「家内安全」のお札を買い、

実家へと持ち込むと、

思いがけずも喜んでもらえた。

 

プロのスポーツ選手は、「げんを担ぐ」ということを聞く。

 

ある高い水準に達すると 、

あとは努力とか、論理に基づく向上とかではないのであろう。

 

その水準かどうかはどうでもよい。

 

願いたい、叶えたいことはある。

その想いを伝えることが意味があるのかもしれない。

 

妻の実家に渡そうと、

「家内安全」

の札を買いに出かけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三日目。

 

温泉に行った。

銭湯に行くことと、自宅の風呂場にお湯を入れる決断をすることと

どのような違いがあるのかは説明できないが、

檜原村にある数馬の湯という場所に向かった。

その路上、東京に向かう車の行列、

死ぬ前に会う人は何パーセントであるのか分からないが、

その貴重な人が、

その道に縦列となり集まっていた。

 

そして、山道を走る誰も乗客のいない路線バスを通り過ぎ

目的地が我らを迎えるために空いているか心配ではあったが、

数多くの車が止まる数馬の湯の駐車場へとたどり着いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼は、神社で燃やさなければいけない札があるという。

 

檜原村からの帰り道、見つけた神社へと車を降りて進んだ。

 

 

 

 

 

 

 

その時が過ぎてしまったのか、元々受け付けてはいなかったのかは知らないが、

札を置く場所はないようであった。

 

まだ、それを返し報告するには、

早かったのかもしれない。

 

十分満たされてから訪れればよいのかもしれない。

 

 

四日目。

 

時が過ぎるのは早い。

職場の机の上におくカレンダーがない。

 

予定を刻み自分を縛り付けるその紙を買いに行くことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それを書く必要、主張する必要がどこにあろうのであろうか。

ただし、それを表に出さない限りは何も産まれないことを示すことであろうか。

 

 

 

 

 

 

 

時間を区切ることにどれだけの意味があるのかは知らないが

そうしないと、ことは進まないし終わることもないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カメラを持つ僕。

何かステキなことがあるのかもと僕を覗き込む。

別に何かあるわけではない。

いつもあなたが見ている風景がそこに広がっているだけである。

 

個人的には、美しい姿ではあったりするが。