安全保障関連法案が議論されている。
この字面から判断するに、日本国の安全を保証するための法案について議論している、
ということになる。
戦争法案だから/違憲であるから、という反対論、
そして、自衛のため/世界の一員としての責任を果たすため、という賛成論があるように思う。
正確には理解できていないのであれば、申し訳ないが、
個人的には、反対論も賛成論も、何故そのような論理展開となるのかが理解できていない。
重要な法案であり、誰もが論議するべきことと考える。
このため、今回、私の意見を簡単にまとめてみた。
■前置き
戦争、という言葉を聞くと、よく思い出すことがある。
十年ほど前、中国青海省の西寧市の長距離バスターミナルで。
西寧市に、その周辺を旅行するための拠点として、何度か宿泊した。
西寧から地方へ向かうために、バスターミナルを何度か訪れた。
あるとき、バスに乗るわけではないが入り口近くに座っているお爺さんと話をすることがあった。
『アメリカやロシアは、あんなに多くの原爆を持っているのに、何で使わないんだい?』
嫌味としての発言であったようにおぼろげに記憶している。
個人的には、その理由は分かっているつもりであったが、その人には、上手く気の利いた回答できなかったことを覚えている。
■違憲という観点について
『安保法案は、日本国第9条に違反している。
そのため、この法案を成立する必要があるのであれば、
立憲国家である日本国としては、まずは、憲法改正を行うべきである。』
安保法案に反対を唱える人々の、反対への論拠が、このことであることが多いように思う。
日本国憲法第9条を確認してみる。
—————–
第2章 戦争の放棄
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
—————–
日本語をある程度解する人であれば、明確であると思うが、元々自衛隊の存在は、第9条に反している。
そして、安保法案は、その自衛隊の存在を肯定した前提での法案であるので、違憲であるのは明らかである。
但し、留意すべきことは、多くの国民は、次の事項を合意していると考えられることである。
『憲法解釈により自衛隊は合憲であること』
参考)防衛省・自衛隊ウェブサイト
憲法と自衛権 http://www.mod.go.jp/j/approach/agenda/seisaku/kihon02.html
自衛隊の存在についての賛否数を示す資料を持たないので正確な判断はできないが、
少なくとも自衛隊の存在自体を議論することは、殆ど行われていないのが現状であり、
憲法は政府解釈により決まることが有り得る事態を許容している、と考えられる。
今回の法案が合憲であるのか違憲であるのか?
安倍政権は、『法的安定性は確保されている』というのが正式見解である。
つまり、憲法解釈の論理的整合性は、過去現在で確保されている、ということであるので、
今までの自衛隊に関する過去の経緯とあわせて考えれば、合憲であるはずである。
但し、整合性の確保について
-これが、議論の対象である、
ということであれば、
現在の解釈説明が、過去と比べて何かしらの差異が発生しているということになる。
もし、その差異について安倍首相が説明してきていない、ということであれば、
それに対する国民の反発があっても、それは奇妙なことではない。
但し、今、安倍政権が行おうとしていることと、以前から安倍首相が発言してきていることに、
大きな違いは発生していないように思える。
感覚でしかないため、念のため、2014年12月衆議院総選挙前の安倍首相の発言を確認してみる。
—————–
平成26年10月26日
防衛省・自衛隊60周年記念航空観閲式 安倍内閣総理大臣訓示
http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/statement/2014/1026kunji.html
以下一部抜粋
『戦後60年以上続いてきた、平和国家としての日本の歩みは、これからも変わることは決してありません。日本国憲法が掲げる平和主義の理念は、世界に誇るべきものです。
しかし、それは、内向きな「一国平和主義」であってはならない。世界は、ますます相互依存を深め、一つの地域で生じた危機が、世界に波及する危険性は、一層高まっています。
こうした時代にあって、「自国のことのみに専念」するような態度は、真の平和主義に忠実なものとは言えません。
今こそ、我が国は、「積極的平和主義」の旗を掲げ、世界の平和と安定に、これまで以上に役割を果たしていくべきであります。それこそが、憲法が掲げる平和主義の理念に、より適う道だ、と確信しています。』
以上
—————–
この文面を読むと、安倍首相の考え方が総選挙後に変わったわけではないし、
また、隠していた意見を、唐突に持ち出してきたわけではないことが明確であると思う。
安倍政権に対する考え方について、全ての方針に賛意を示したのかどうかは分からないが、
国民は選挙で政権を担うことを、安倍首相に託したわけである。
国民が選んだ安倍政権は、予てから示していた方針に従い法律を定めようとしているだけである。
もともと自民党に対して反対を唱えていた政党や人々が、
安保法案を『違憲である』、
と反対を唱えるのは理解できるが、
憲法は解釈により決まるという前提である以上、
安保法案が原因で内閣支持率が下がる、という現状が発生する理由を論理的に解釈することは難しい。
数字の分析をすることが目的ではないので、
前回の衆議院総選挙での自民党への投票数や支持理由の分布等の分析結果確認は行っていないが、
『立候補者は、自分の政治方針を示し、それを聞いた国民が投票を行う。
そして、選ばれた政治家が政治を行う』
という民主主義という制度を採用している以上、
一貫して仕事を行っている政権に対して、
初めから主張していた政策に対して違憲かどうかといったことや、
主張に従って実施している政策が原因で支持率が下がっていることに対する論評を
人々やマスコミ等が行うことについて、個人的には全く理解できない。
どちらかと言えば、それぞれ自分自身の行動や、安倍政権を選択した国民全体に対する論評を行うべきではないかと思える。
■戦争法案という観点について
『戦争と平和』
戦争がなければ平和、というように思えばよいでしょうか?
このように思っている人は、殆どいないと思うが、
『戦争』という言葉が出ると初めて過剰に反応する、ということが多いような気がする。
表面的に問題が現れていなければよい、という風潮はよくあることと思うが、
それは、致命的な事態かどうか、とは別の話である。
世界は一つのマーケットである。
他国との関係なしには生きていけない世の中において、
戦争になるということは、かなり致命的な段階まで達した、ということもあるであろう。
また、本当にどうにもならない致命的な問題であれば、戦争する力もなく表面化しない、となるのかもしれない。
あまりに戦争、という言葉に着目しすぎることにあわせて、
個人的に理解できないのは、『原爆反対』ということの論理である。
『戦争という致命的な段階に達した場合、人は何をするか分からない、
だから、せめて原爆という大量破壊兵器を保有するのは、止めておこう』
もしかしたら、こんなような論理になるのかもしれない。
このような戦争を制御しようという論拠が語られることがあるかもしれないが、
『原爆反対』ではなく『戦争反対』ということのみを伝えていかないと意味がないと思う。
原爆は、戦争の悲劇を語る上での一つの事例にしか過ぎないはずである。
第一、国際法に従った戦争が行われる、というのは、
スポーツであるまいし、そもそもナンセンスな話である。
『生きるため、死なないため』
まずは、コンプライアンス。
命がかかった瞬間でも、国や人は、法令順守や約束を前提に行動するものだ、
と考えるのは、かなり困難であると思う。
もう、戦争が起こった時点で終わりである、という理解の方が、正しいのではないだろうか?
もし、現在・未来において、戦争という危機的状態が起こるかどうか、
という議論があるのだとすれば、
まず、議論が必要なのは、戦争時や抑止力としての武力の行使ことよりも、
世界、または日本国において、戦争が発生する可能性となる要因とそれに対する対策、
ということではないだろうか?
戦争、という言葉のみを議論しても何の意味もない。
ところで、『生きる』、ということを考えたときに、まず重要なのが経済である。
今、一国に閉じた市場ではなく、世界が一つのマーケットである。
その巨大マーケットを、自分に有利になるように構築できるか?
このことが各国の大きなテーマの一つのであると思う。
安倍首相は、米国とともにアジア圏の社会を作り上げようとしている。
そのことを、米国連邦議会上下両院合同会議における安倍内閣総理大臣演説で、
米国に、延いては世界各国に向けてと言えると思うが、そのことを宣言している。
—————–
当ウェブサイト記事:米国連邦議会上下両院合同会議における安倍総理大臣演説
http://blog.broken-robot.com/?p=2578
—————–
その具体的な対応の一つとして、安倍政権は、存立危機事態への対処が必要であり、
その対処として、武力行使を可能にする条件の変更が必要である、と言っているわけである。
武力行使のための新三大要件としては、次の内容を挙げている。
—————–
(1)我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、
これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること
(2)これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと
(3)必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
—————–
(2)に挙げているとおり、他に手段がないこと、という事態に陥り戦争になるという論理であるのであれば、
あわせて、危機的状況に陥る前の、『その他手段』についての議論を行わないことには、
全く意味がないことになるのではないだろうか?
この安保法案を成立させてしまうと、
法律の制定する目的とは逆に、存立危機事態を招く可能性はないのであろうか?
この観点での議論は、十分になされているのであろうか?
『平和』
この言葉の意味がよく理解できていない。
『我が国及び国際社会の平和及び安全のための切れ目のない体制の整備』ができていれば戦争はない。
そうであれば、平和と安全が保たれ幸せになれる、ということであろうか?