生き物/宗教

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食中毒防止月間

小学生にポスターを作らせて、競わせる、
という展示会をやっていた。

今と昔では、全く人の性格や状況は違うのかもしれない。
まあ、元々、時代に関わらず人により、思う事、やる事は違うんでしょうが。

今回は、僕の思いが一般論と仮に定義する。

その仮の定義に従うと、
小学生ぐらいの年齢になると、大人や先生の思いを察して行動してあげることが求められる。

大体の小学生は、その思いを汲んで行動してあげることが多かった。

今も状況は同じでなんでしょうか?
意見など何かを表現する場面となると、
リスクを回避する意図や時間を効率的に利用する意図など人により理由は異なるかもしれないが、
一般的には、典型的な物や文章をコピーして意見を表すことが多くなる気がする。

僕が見ている物量や場面の少なさが一番の原因かもしれないが、
このような展示物は、似通った絵や標語が描かれていることが多い。
この展示会も、そのいつもの典型に即したものであるように見えた。

但し、今日は、それを批評したかったわけではない。

何点か当たり前のことを、今更ながらに教えられたことがあったので、
それを紹介したいと思う。

『生ものは危険』

そうだ。

生き物は、たいてい危険な物だし、
そんな生きている物を食べるのは危険かもしれない。

見えないだけで、どんな棘を準備しているのか分かったもんじゃない。

そう言えば、イスラム教で豚を食べてはいけない、と決めたのは、
生で食べると体に危険であるからである、
という説があるのを聞いたことがある。

生活上の知恵を社会に広めることにより
社会のルールと秩序を創り出すのが、宗教の役割と考えると、
この展示会も同じことかもしれない。

賞味期限

その日にちを、昔は見る必要はあったのか?
長らく求められてきたその情報が、
科学の発展により、数値化され、見える化することが実現できた?

違うんじゃないかな?

その期限を肉体で感知する力はあったんじゃないかな?

第一、賞味期限は昔よりも伸びているはずだし、
現代では、健康へのリスクも減少しているのではないか?

ところで、その異常に延びた賞味期限を成立させた原因は、はっきりと見えず、また感じることは難しい気がする。

よく分からないが、これが宗教と科学の闘争であり、
今は、科学と人間の調和を図る科学であるレギュラトリーサイエンスと言われている物の役目なのかな?

何のまとまりもないが、
この展示会は、ある社会の縮図を示しているように感じた。

また、自分が今の世界の成り立ちや、今、どこに進もうとしているのか、
全然分かっていないことが、よく分かった。

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