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伝えるということ

金曜日, 12月 23rd, 2016

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昨年末、パン屋に貼られた、『今月末閉店のお知らせ』 を見て、
人に伝える、という願望について、考えた。

お知らせを読み、その店が無くなると分かると、非常に残念な気持ちが湧いてきて、
是非、一度は、入店して、パンを買いたいと思った。

そうは言っても、何か別の用事があり、その店の横を通り掛かれば、
中を覗くことで、自己満足を達成しようとすると思ったが、
そうでなければ、わざわざ訪れることなく終わることであろう。

そして、実際に、入店することはなかった。

昔、自殺に関する本を読んだことがあるのを思い出した。

はっきりは覚えていないが、その本によると、
人里を離れ、人生を終えようと富士樹海に入り込む人々が少なからずいるが、
その人々は、最終的に、人に見つかりやすい場所で、首を吊るそうである。

つまり、人から離れて、一人寂しくこの世を去るという決断は、
無意識のうちに、覆される、ということであろうか。

つながりを求めたいと、無意識のうちに、細くなった指を、
最後の力を振り絞って、人の目の触れる場所へと少しでも先へと伸ばそうとした、その男。

但し、その指先の震えが、二度と人の目に触れることはないのが一般的である。

樹海に入り、一人寂しく最後を迎えるという悲劇は、台本通り悲劇のまま、幕を降ろすことになる。

人に、自分の思いを伝えるのは難しい。

自分の思いが伝わったかどうかは、相手からの反応があり、初めて理解できる。

私の前に座る彼に、感謝の気持ちを伝えたい。
その一言がきっかけにして、お互いに前向きの会話が発生し、相互理解が進むきっかけとなる。

相手を尊敬する心がある時に、初めて、意思の疎通が成立するのであろう。
但し、言うのは、簡単であっても、そんな風にはいかないことが多い。

元々、相互理解なんて、あり得ない、と考えた方が分かりやすいかもしれない。

どうせ、人は自分のことしか分からない。

その理由は、自分の経験と知識から成る物差しからしか、
人は、自分の目の前の事を、理解できないと、私は思うからである。

だから、目の前の事を判断するための、優れた物差しを準備するには、
『他人の事情とか、感謝の気持ちを理解する』 ではなく、
まず始めに、 自分の気持ちを知ること、そして、自分の立ち位置を理解することから始めることが重要となるのでしょう。

では、自分の目の前に立つ他人の姿とは何か?

五感を駆使し、そして、ある判断をして描写されるその姿は、
自分の肉体能力と理解の範囲内でしか、描き切れないはずである。

その他人の姿は、誕生から長年を掛けて自分の中に構築された物事を処理するための仕組み、
つまり、人間性(気持ち)を投影した姿である、と言えるはずである。

自分と他人の関係とは?

以前、撮影した十王の像について、その像の意味が分からずに、調べたことがあるのを思い出した。

十王は、罪深き衆生を裁く仏様であり、死者をどの六道へと送り込むかを決める。

その仏様の裁きは、初七日、四十九日、百か日、一周忌、三回忌と順次行われるとのことで、
人間界に残る親族は、死者の罪の軽減を祈るという習慣があるそうである。

この十王の説明から、この習慣は、
自分の優しさ、という形の見えない不可思議な存在を媒体とした、
親族(他人)との交流活動であるように、感じられた。

但し、南無阿弥陀仏を唱えれば許されるとした浄土宗にも、
人の行き先を願うという、この法事が存在することが不思議に思えてきた。

インターネットで、浄土宗について調べてみると、次のような説明があるのを見つけた。

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年回忌法要をなぜするのか。次の3つの意味があります。

 1.仏様の前で手を合わせ「南無阿弥陀仏」をいうため
 2.「お亡くなりになってから〇〇年たった
    〇〇年の間、私はどのように生きたのか」
    それを考えるため。
 3.「この先自分はどのように生きていくのか」を考えるため。

決して、「ボンさんを呼んで、亡くなった人がいいところへ行けるように、
拝んでもらう時」ではありません。

【浄土真宗本願寺派 光澤寺のウェブサイトより】
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つまり、これは他人の幸せを願う行動ではなく、
他人を含めた世界から自己の世界への回帰であるように感じたが、
必ずしも否定すべきものではなく、
自己逃避よりも、自分の世界を見つめ直すことを重要視した考えになるのかと思った。

自分の世界を離れて、他人を主体者として思いやることが、理想的なのかもしれない。

ただし、それは簡単ではないと思う。

人に自分の思いを伝える。

その思いが伝わったかどうか、相手の反応から知る。

相手との意思の疎通を成立させるためには、まずは、相手を尊敬する。

これを実現するために、まずは、自分を見つめ直してみる。

自分の歴史的な経緯と、そのまわりの世界は、把握しようとすれば、
広大であり、また複雑であることに気づくことが、一般的であると思う。

その複雑な自分の事情と、それにより発生する気持ちへの理解が進めば、
必然的に、自分の世界観の多様性と、その世界に存在する自分の位置を意識するようになり、
自分を中心とした外への感謝の気持ちが広がる。

結果的に、この理解構造を成立させるための、
他人を理解するための物理的/肉体的な仕組みが、構築されている、
となるのではないか?と思った。

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