転居

 『住むところを変える』ということは劇的なことであると思う。

 

 

例えば、夜。時に話し合いのため、時に気分転換のために家族でファミリーレストランに行くとしよう。

 

近所にあるファミリーレストランへの道すがらの夜の景色と薄明かりに浮かぶその四季模様の変遷。

誰か知らない家の庭を彩る樹々が馴染みの画となり、実の熟れる姿に歓喜し、そして移ろいに耽る。
レストランでは、個人的な会話をしないが顔なじみとなっているアルバイトの定員。

口先から発せられる体裁のマニュアル通りのやり取りはお互いに変わらなくとも、目で互いに挨拶を交わすようになる。

何度も通う内に目の前に現れる顔は変わっていく。

いつの間にか姿を見せなくなった、真面目で優しげな顔のアルバイト学生を懐かしむ。
その場所にいなければ遭遇することのできないタイミングと人、光景と思いがある。

昼間、その場所に行くことは簡単であったとしても、その場でに夜の自分の場所がない限り、見ることのできない景色、人々の蠢きがある。
引越しというのは自分の世界、過去との別れであるような気がする。

時の流れは惜別の人情には無関心であり、一度人は自分のいたその場を離れると、二度とその世界に触れることは基本的には出来なくなるものである。

 

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僕は、最新、引越しをした。
引っ越すまで住んでいたA市にある部屋に2012年の7月に住み始めた。

その部屋の前に住んでいた場所は、契約の都合により離れたのだが、次の新しい腰を落ち着けようと決めた場所が決まっていた訳ではなく、A市のその部屋は、次の住処が見つかるまでの一時的な仮住居として住み始めた場所であった。
数ヶ月の在住期間で仮と決めたその場所を離れるつもりが、暢気に過ごしていたつもりではなかったのだが、気がつくと、もう契約期限である二年の月日が経過する日が迫っていた。
次の故郷となるべき場所が決まったのはそんな時分であった。
A市の部屋は、二年住むことになり、少なからず思い出が詰まった場所となっていた。

そんな訳で其処を離れなければならない事が明白となると、仮の場所と決めた其の土地が愈々愛おしくなってきた。
あたふたとバス停に向かう朝、団地の広い間道より青空が広がっている。

 

時には、バス停のある通りに着く前に眼の前を僕が乗るはずであったバスが、左手を挙げる僕の姿を無慈悲に右へ左へと置き去り行く。

 

夜、サミットストアからの灯りの横を通り過ぎた角を曲がると、すぐその先にある寺院前でバスを降り、空が広く抜けて見える団地の中、上に伸びるように立つ街灯の間をすり抜けてアパートに向かう。
新しく住む場所は、勿論、何か気に入った理由はあり選んだ場所ではあるものの、二年近くも住むと、その場所は身体に馴染んだだけでなく、通りを歩み、道中眺めると目に入る景色やその中を自分が歩むの姿がはっきりと脳裏に焼きついてしまっていた。
更に二件のスーパーが自転車の全く不要な徒歩圏にあり、そして幾つかのバス停がアパートのすぐ近くにあるなど生活の便に富んでいることを考えると、新しい場所は、どう考えてもこの地には到底敵わない想いが募り、二度と今のここでの生活を送ることが出来ないという事実が迫ってくると哀しい気持ちが全面に溢れ出てきた。

 


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物の価値。
住む場所を変える時、家具や生活必需品を買え変えたりする事は良くあると思う。
僕も新しい場所に移るにあたり、捨てる物、新しく手に入れなければならない物があった。
誰もが頻繁に思うことかもしれない。
物には、特にその買い手の想いが何らかの形で封じ込められている様な気がする。
ある人が何かしらの想いがあり買った品々が飾られている場所である『リサイクルショップ』に何度か通った。
其処は当に人を描写する美術館である様であった。
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今まで会社があるC市からは南側にあるA市、これからは北側にあるB市に住むことになっていた。
多くの人の引っ越しは、生活圏が全く重ならない場所への移動であり、何か物理的な品とともに一つの論理的な世界や養われてきた気持ちの一端を捨てていく面もあると思うが、今回の僕の引越しも過去と未来の生活で重なる場面というのがあり得ない様に見えた。人々が別れなければならない物として物理的なものの一つに生活で利用した品々がある。
リサイクルショップは、人が自分の世界を変えることに対する過去への想いが金銭という物差しで示されている場所と言えるかも知れないと思った。
兎も角、その空間は、その場には姿を見せない未知の人の想いや生活を想像させてくれるつところであり、そして自分の新生活を創造させてくれる場であった。
そのような訳で、僕にとってリサイクルショップは、人の気持ちを湧き立てる場所であり、また、何か空虚な哀しさを感じさせる場所であるように感じた。
そこでは多くの物品が、人に強引に思いを詰め込まれた状態で、店の中、行く場を失い立ち尽くしていた。
また、何度かリサイクルショップに通ったが、そこに残された、時に奇妙な品々は、その思いを引き継いでくれる人をひっそりと待っているかのようにも見えた。

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猫。

 

最後の機会を逃すまいと、何時も見ていた特別でも何でもない光景を携帯電話のカメラで撮影をしていた。

 

その中の対象の一つが猫であった。
アパートの近隣には野良猫であるのか、飼い猫であるのか分からないが、多くの猫が徘徊していた。
僕は猫を飼ったことがないので、彼らの実のところの立場というか人を目の前にした時の彼らの立ち位置は分からないが、一般的に人である自分の所有物としての猫であれば近くにいると愛らしく、野良猫であれば、遠くから見ると一見愛らしく、近づいてくるとゴミを漁り秩序を乱す嫌われ者のように見えた。

アパートの前の駐車場に糞をばら撒く猫が姿を現すと、古くからのこのアパートの住人である初老の女性は大声を上げて追い払おうとするのが常であった。何年声を上げ続けたのかは分からないが、完全には目的が達せられていないようであった。
発情期には夜中に彼らの訴えと言うか悲鳴が鳴り響き、嫌われ者として存分にその存在を示していた。

 

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引越しまであと半月。

 

 

団地の祭りが開かれた七月末。

新居に移り住む準備に焦りを感じつつ漸く重い腰を上げ部屋を片付け始めた日であった。


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僕らは部屋の中ではなく、部屋の外に洗濯機を置いていたのだが、その洗濯機がガタガタと音を立てているのが聞こえてきた。
網戸に目を向けると、二つの目が部屋の中を眺めていた。
僕の部屋は一階にあり、塀の上が彼らの通行路となることもあるようで、たまに猫の姿を見ることがあったが、部屋の中の覗かれたのは初めてのことであった。

 

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引越しまであと一週間。

 

 

荷物のダンボールへの梱包が進んでいたその日。再び、網戸より二つの目が僕らを見つめていた。
彼が再び網戸の向こうに姿を現した理由は分からない。

 

僕と妻は、彼が僕らの前にいるのは、彼が僕らを選んだからだ、と理解することにした。
『連れて行こうか』
網戸を開けた後、冷蔵庫から今日の夕飯であるサーモンの刺身を洋室のフローリングの中央辺りにポンと投げる。
やる気食い気はあるようだが、前に踏み出すことは出来ないようであった。
妻は一度切り身を回収し、その切り身を網戸に程近い場所に移動させると、僕らは他の部屋へと移る。
しばらくすると彼はある種の決断をしたのか、彼はガラス窓のアルミサッシ枠に足を掛け、うーん、と少しずつ部屋の中へと固くなった全身を伸ばし、サーモンの一切れを手に入れると、急いで外へと柔らかくなった体を翻した。

何度かこのようなやり取りを繰り返したが、初めてのやり取りで彼の警戒心を解きほぐすことは難しいようで、もう少し時間があればよかったのに、と諦めるしかないようであった。
満足して網戸の側から離れる彼と別れるべくガラス窓を閉めた。

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引越しの前日。

 

 

翌日、トラックが来るまでに荷物の梱包が果たして完了するのであろうか?

 

最近、隣の部屋に住む母子家庭の一家が部屋を出て行った。

妻によると、その家族の引っ越した朝、トラックが到着したときには、隣の部屋は、まだ全ての荷物の梱包が出来ていない状態であり、妻にはひたすら頭を下げている絵が浮かんできたようであるが、お母さんはすみませんという声を何度も発していたようである。

 

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そのような事態を何とか避けなければならない、何しろ、その場所での最後の晩となる日であった。
僕ら夫婦は、徒歩10分ほど離れたサミットストア店舗の下の一階にあるイタリアンレストランで最後の晩餐を迎えようと数日前より話をしていた。
僕らにとって特別な思い出があるレストランという訳ではないが、その少し高めの値段設定であったため、何か外で食べるときには、僕らはいつもファミリーレストランを選択しており、そこでは今まで一度も二人で食事をしたことがなかったのである。

 

『最後の記念に折角だから』

 

翌日トラックが来るまでの作業時間を僕の頭に思い描くと絶望感しか満たされていなかったが、どうにでもなれ、と前に踏み切ることにしてレストランに電話すると、『本日は席がありません』と断られた。

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こんな日にファミリーレストランではもったいない。

最寄りのバス停から出発するバスで15分ほどのD区にあるレストランに向かうことにした。
元々、美味しいところ、と知っていたために向かった食事の場であり、味としては満足できる場所であったが、地元には何故か冷たく足で背中を蹴られてしまったようであり残念な最終日ではあった。
それでも、今後は友人から是非にと招待でもされるような何か特別な限りは、しばしば訪れ想い出のある通りや店があるD区にはもう来ることはないのであろうと思うと、此の地を別れの食卓の場とするのも満更悪いものではないような気がした。

 

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八月半ばの引越しの日。
殆ど眠ることはできなかったが、膝をついて頭を下げる必要はないように評価できる準備は完了した。
トラックが来て荷物を運び終えると、僕らは新居へと向かった。新しい住処では、てきぱきとダンボールは運び込まれ、一時間ほどで引越し業者は去っていったが、あっという間にこの物置と化した空間が何時片付くのかは僕らには想像ができなかった。
それでも、昨日は受け入れてくれなかったレストランでお別れ会を開こうと、まずはその日のうちに必要な品を箪笥に仕舞い込むと、今までの住居へと向かった。
部屋に戻り、ガラス窓を明ける。
ガランと、ゴミだけが残った部屋ではあるが、僕らを評価してくれた彼が覗きに来るかもしれない。暫しの間、待つことにした。
彼は姿を現すことはなかった。もう終わったことだ、と外に出るが諦めきれずにアパートの周りを彼が居ないかと確認し、そして最後の望みが繋がる先である猫通りへと進んだ。猫通りとは僕が名付けた僕だけに通用する道であった。アパートの前には、車道が南北に延びており、普段の生活では、僕はその道を歩いていた。
一方、建物より東西に延びる道もあった。
道幅は車が頻繁に通る道相当であるのだが、幹線道路とつながっていないため車はあまり行き交うことのない閑散とした通りであった。
また、其処は猫好きが在住していると思われる猫アパートがあり、猫たちがだらりと寝ている通りであった。

その時に、猫通りを通る理由も必要はなかったのだが、もしかしたら彼が其処にいるのではと期待を胸に膨らませその通りに足を踏み入れた訳である。
猫アパートの覗き込んだがそこは彼の居場所ではないようであった。

人に慣れた猫たちに戯れてもらいながら猫通りを抜けて、前日は受け入れてくれなかったイタリアンレストランへと向かった。

 

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そのレストランはファミリーレストランよりも少し値が張る場所であったが、その価格には見合った味を提供してくれる場所であり、今まで訪れることなく過ごしてきたのは少し勿体無い気がした。
支払い時、定員に「ご馳走様でした」と笑顔を向けると、その男は僕らが何処に住む人間なのかと質問してきた。
『残念ですが今日丁度引っ越して出て行きました』

 

 

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本来、7月中旬にはその部屋は返さなければいけなかった。但し、新しい場所の整理がつかなかったこともあり、不動産屋に話をして暫くの間、継続して滞在させてもらえることに
してもらっていた。
そんな理由があったからという訳ではないが、立つ鳥跡を濁さず、を実践しようと部屋を綺麗にして次の借主に引き渡そうと契約満了日を引越し予定日から二週間後の八月末の支払いを済ませていた。
引っ越しが終わり、月末に部屋を明け渡すまでの2週間、其々の週末に1回ずつ旧家を訪れ後片付けをすることにした。
色々と始末しなければならない塵などがあったのだが、その中の難題は壁面に貼りついた糊の跡であった。
その課題の場所は二箇所あり、一箇所は入り口のドアに郵便受けの穴から落ちる手紙を受け止めるために用意したゴミ袋を貼ったガムテープを剥がした跡であり、もう一箇所は和室にある装飾物を貼り付けたガラス窓についたその残骸であった。
引っ越す前の部屋に住んでいたとき、雑巾でそれらの壁面の糊を擦ったところ、釜にこびりついたお米のようになんとか力を込めれば剥がれ落ちる、とはいかないようであった。
そこで、インターネットを検索して調べてみると、現代庶民の知恵袋には、ハンドクリームを擦り付けたり、ドライヤーで丹念に残骸を温めたりすると素直に引き剥がされていくかもしれない、という記述や、専門家の使う市販のシールを剥がすための液体を使いとよいという説明があった。

結論としてどうするのが最適であるのかは分からなかったため、引き続きインターネットを調べてみると、他にもいくつかだいたい似通った手が有るようであった。
対処は容易なためいくつも手があるのか、色々とやってもこれが一番と言う手がないから一つ絞れないということなのか判らなかったが、単語に弱い僕にとって一番効果のありそうに思えた専門家が利用するという溶剤を購入し、その日は、補助的にハンドクリームとドライヤーを持参して作業をすることにしていた。
まず初めに一番効果があるであろうと事前評価した専門家も利用するという溶剤を入り口のドアで使ってみた。

スプレー式の管の頭についた突起物を押し込み、溶剤を吹きつけ数分間待つ。

 

確かに威力は有るようで糊が外れやすく浮き出てきたような気がした。
それでも、一回だけでは綺麗にはならないようであった。まだ剥がれ落ちていない箇所があるためか、光の加減かもしれないが、ドアの表面の色に斑があるように見えた。

妻はドアの塗料が剥げているのではないか、という疑問を僕に投げかけてきた。
糊の残りカスを剥がすような作業ごときで、そんなことが起こるとは僕には信じられなく、迷う気持ちを投げ捨てるように、もう一度溶剤を散布して暫く放置してみることにした。

 

10分経過した。
状況を見ると改善はされていないように見えた。
ドアを全開に開け、陽の光が充分に届く位置にして目を凝らして問題が何もないことを確認しようとすると、
どうやら表面に浮かんでいた斑は、ガムテープの残りカスはないようであり、妻の言う通りドアの塗料が剥がれているようであった。
不動産屋が塗料の剥がれたことに対して、どの様な評価を下すのかは解らなかったが、入り口のドアの全塗料を剥がすことも、塗料を塗り直すことのどちらを行ったとしても、それは崖の縁に立つ自分を蹴飛ばして止めを刺すことに相違ないように思えた。少なくとも糊は剥がれた訳で、ここは無事に業務を完了したことにしてガラス窓の清掃に移ることにした。
ガラス窓には白い街の形に切られた紙を貼り付けていた。

陽が当たり畳にその陰が浮き上がると、はっきりとしない人の想像力を与える白黒が見事に部屋を演出してくれ、僕にとってはこの部屋を個性付けてくれる一つの誇りであった。
今は何とかその誇りを毟り取ろうとしていたが、二層となった紙の空気に触れた面が剥がれただけで、テープの付いた面は埃により黒く啜れて古代遺跡の如くガラスについていた。

ドライヤーとハンドクリームを使いながら雑巾で残りかすを擦り取る。

ガラス窓を擦るときに存分の力さえ加えさえすれば、その補助が有っても無くても若しかしたら同じように剥がれたいったのかもしれないが、ドライヤーとハンドクリームは確かに効果があり何とか剥がれるぞ、と信じ込みながらクリーム付けたガラスに温風を当てて、終わる事ない、そして、世の中への貢献や成果を上げることへの保証などない修行僧の営みの如く、右へ左へと力の篭る方向に雑巾を窓ガラスに押し付ける作業を続けてみた。
誠意を持ち作業には取り組んだつもりだ。
もう手を動かす気力がなくなると、ガラスにヒビが入ったわけではなしし、底まで透けた南国の海の純粋さには及ばないまでも東京湾には勝る透明度のガラスとなり、不動産屋はこのガラス窓を扱き落とされる対象とはしないであろうと自己評価を加えた。経過した作業時間を考慮して、道義的というか気持的には許されるであろうと判断した。
ところで、数ヶ月前に隣の家族が引っ越した後、部屋の改装が行われていた。

アパートの前は大きな車の駐車場であるが、車が駐車されていないのが基本であり、僕にとっては開放的な素晴らしいアパートであったが、大家にとってみれば、この危機を脱する機会を今か今かと狙っているのかもしれなかった。
隣の部屋で行われた改装は一般的に人が部屋を離れて行われる表面的な繕いを超えているようで、妻が言うにはテレビドアホンが取り付けられたそうであり、また、インターネットでこのアパートの物件情報の写真を見ると、家賃は今と変わらないが浴室のシャワー、給湯器は新しい物に変更されているように見えた。

そんな訳で少しぐらいの汚れは、今後行われると想定される大家が遂行する改装を考えると、僕らの残した残痕は大したことではない、と考える様にしていた。
何れにしても、人は自分が残した過去と後腐れなく別れることは簡単にはできないようである。そして、その過去の論理的な形状を描く人の思いは愛おしくもあり、面倒なものであるのかも知れない。
一方、そうは言っても、他人は元来の時の流れと人の歩みの様に、そのちっぽけな魂を気付かないでいたり、知らない内に消したりするとものだと思った。

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今日の仕事が終わり、部屋を出た。
どんな動きも見過ごすまいと二人で眼を光らせてアパートの外周を一回りすると、翌日収集のゴミを捨てバス停に向かった。帰りに利用するバス停から少し先まで歩くと、農家の収穫物が置かれたコインロッカーがある。今日、折角此処に来たのだからと僕らは足を延ばして見ることにした。新しい住処のほど近い場所にも、同じような販売機はある。
しかし、今までの生活への想いから来た言葉であるのかも知れないが、妻が言うには、旧家の側の方が、より質の高い野菜が置かれた場所であるとのことであった。茄子の入ったロッカーの投入口にコインを入れ、取り出した野菜をリュックに詰め込むと、もう其処でのやる事は終わりであった。
 move08_04  move08_05もう陽は落ちて暗くなっていた。
折れ曲がる道をバス停へと向かった。
バス停には、「感激キヨシ八年ぶり」というベイスターズが巨人に3連勝したというプロ野球記事の見出しの新聞が捨てられていた。
人の家の前であれば、其処にゴミを破棄する人は少ないかもしれないし、もし、仮に捨てられたとしたら、その捨てた場からは既に姿の見えない人を罵りながらも、納得はいかないが仕方なく家主がそのゴミを始末するのであろう。
いつ其処に新聞が破棄されたのかは分からないが、自分もそのゴミをどうこうするつもりはなく、バスに乗り込んだ。
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契約満了日。

 

 

2014年の8月の末日は、日曜日だった。
先週で仕事の山場は超えており、何枚かのタオルや洗濯用具、歯ブラシなどのゴミを始末し鍵を置いて其処から去れば良いだけとなっていた。

部屋に着くとむんむんと息苦しい空間を解放するため和室、洋室と開けることが可能な窓を開け、そして、そこでの最後の勤めを開始する。

持ち帰る物は、リュックに、そして、破棄する物はゴミ袋に詰める。

先週で手の掛かる作業は完了していると言うか、もうこの段階では何かあっても、悩みの種が現れれば何も考えずにリュックか紙袋に押し込み、とりあえずはこの部屋に無い状態にするしかないため、今日は早い時間に終われそうであった。
僕は先週の作業結果を再確認するために和室に入る。
ガラス窓は寝かせて置けば透き通ったいい物が出来上がる訳では無さそうで、矢張り、先週、此れで充分満足だ、と決めた状態で其処にあった。

 

『来たよ』

 

妻は僕をキッチンから呼んだ。
キッチンから、和室から90度右にあるフローリングの部屋を跨いで開いた窓の方を見ると、彼は窓の横から僕たちを見つめていた。

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『どうしようか』

猫をこの場所から僕らの住む場所へと移動させる方法として、どの様な手段が良いのだろうか。
スーツケースがまだこの部屋にあった引越し前は可能であるように僕たちは思っていたが、今、ここにあるリュックか紙袋の中に彼が収まる事を承知するとは到底考えられなかった。

 それでも、僕らは彼を連れて帰りたいと思った。僕はスーパーへと向かった。この地域は団地や比較的交通費の少ないが新しい車道の広い道があり、空が広く見えるところが好きだった。
その日は天気も良く、そんな日にはスーパーの花壇に植えられている草花が鮮やかに青空の上に映える横を歩くのは、何時も気持ちが良かった。
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スーパーに入り、刺身が置いてあるケースへと近づいた。
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彼が、どんな魚を好み、どれ位食するものなのか、猫を飼ったことがない僕には想像できなかったが、前回、彼が身体を思いっきり伸ばして食べたサーモンの切り身が置いてあった。
保存する手段がないことを考え、一人前ほどの物量であるパックを選んだ。
急いで部屋に戻ると、彼は、まだ、窓から顔を僕らに見せていた。

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キッチンの次の部屋がフローリングの敷かれ庭に面し、また、彼が顔の横顔が見える窓のある洋室があった。猫と暮らした経験のある妻は、僕からパックを受け取ると、前のめりになった僕の身体を押さえつつ、洋室のキッチン寄りの場所に一切れをポンと優しく投げた。
サーモンの切り身が彼の目には入っている様に思うが、部屋の中へと入り込もうという力の動きは僕たちには伝わってこないため、妻は洋室の入り口より手を伸ばしサーモンを回収すると、もう少し窓側の位置に切り身を置き直した。
彼が安心した領域に入ったのか、前回のように身体を伸ばすことはなく、アルミサッシ枠に脚を乗っけると胴体を丸ごと室内へと運び込んで来た。サーモンを掴み取ると身体を翻し窓の外へと逃げ出す。そして、庭でサーモンを食べ、また部屋の中を覗き込む体勢をとった。切り身を、洋室の窓よりから徐々にキッチンに近い方へと置いていく。彼は餌を取りに部屋に入り込むことへの警戒心は少なくなったものの、我々に気を許したわけではなく、ナイフで切って小さくした切り身を加えると一目散に庭へ戻り、次の準備をするように部屋を見つめながらサーモンを食していた。
何度か同じことを繰り返すと満足してきたのか窓に密着して部屋を見つめる圧力が弱くなってきた。
勢いは無くなっても寄ってくる以上、途中で中断する理由はなく、切り身を供え続ける。やがてサーモンが無くなくなると僕は窓側に近寄った。
彼は急いで庭から離れたが、アパートの隣部屋との仕切りとなる壁より向こう側から僕らの方に顔を向けていた。
『少し遅かったね』
もう少し彼が僕らの前に姿を現すのが早ければ、新しい住処に連れて行くことはできたのかもしれない。
『Do svidaniya』(注1)
僕がスーパーから帰るのを待っている時、其処での生活の場面が脳裏をよぎり何故だか涙が出た、と言う妻は、壁際で僕らを見つめる彼に別れを告げると雨戸を閉めた。
彼はほんの一瞬の間ではあったけど、僕ら夫婦のちっぽけな世界を柔らかく温めてくれたのかもしれない。
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最後のその日も団地の空は広かった。
バス停に着いた。
その青空の下、先週もあったスポーツ紙が前回と同じ場所でコンクリートの中へと溶けていくように朽ち始めていた。
バス停の前は掃除する担当はいないのであろうか。

気の変わった人が現れない限り、其れを拾い上げてゴミとして始末する人は居ないであろう。考えれば先週と同じ位置に有るのは不思議である気もしたが、物は大多数が知らずのうちに産み出され、時に愛され、時に鬱陶しがられ、そして、やがては、また知らない内に眼の前から何らかの形で消え去っているが常であり、この新聞の姿は何の奇妙な事ではないと思った。

 

 

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その日はまだ明るい時間で、一度家に帰ってから新宿まで遅くない時間に着ける時間であったので、僕らは家具屋に行くことにした。

 

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注1)ロシア語:(一般的に利用される)さようなら
do = till(english)、svidaniya = meeting(english)

 

注2) 付属写真集:一つの典型的な東京の住宅街の風景(A tokyo typical scenery in a neighborhood)

  

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