Archive for the ‘駄文’ Category

声かけ サポート運動

火曜日, 1月 31st, 2017

http://www.kotsu.metro.tokyo.jp/newsevent/news/subway/2016/sub_p_201611085939_h.html

正月明け初日出勤時に見たポスターです。

数年前、全く同じような内容の文章を書いていますが、
未だに、自分が思う姿までは果てしなく遠く、
成長していないようなので・・・
誰かに、と言うよりも、僕自身への 反省の意味を込めて、この文章を書いています。

┏━
┃★自分の都合
┗━…─────────────────────────────────

僕は歩く時に、杖を利用する人間です。

最近は少なくなりましたが、
以前は、一年に数回、街中で転んでいました。

転んだ時に、世の中では、どんな映像が展開されるのか?

皆さん想像できるでしょうが、
倒れた時に、僕を助けようと行動を起こす人が現れることは、
屋外、屋内のどちらでも、ごく稀です。
(それが病院であったり、身近な知り合いがいる場所で倒れたのであれば、話は別でしょうが)

倒れている僕の横を、人波が流れていきます。

その現実を、悲しく感じているか?

実は、僕は、ほとんどのケースで、
助けの手を差し伸べて頂かなない方が、助かります。

逆に、手を出されると、
その救いの手を出してくれた人に合わせて、
立ち上がる、という行為を実施しなければならない気がしてしまいます。

僕には、自分に都合の良い立ち上がり方があります。

まず倒れた時には、
脚が緊張した状態になっているので、
急いで身体を動かさずに、
落ち着くまで倒れた状態でいたい。

そして、緊張が解けたら、
右脚を軸に、右手を補助にしながら、
前傾姿勢気味に、身体を起きあげる。

『その自分の事情を、毎度、人に説明すればよいじゃないか。』

そのように、あなたは、言われるかもしれません。

でも、僕は放っておかれて、自分のペースと好きな体勢の方をゆっくりと確認しながら、
立ち上がる方が、安心できるのです。

中途半端に、手を差し伸べられると、
上手くバランスが取れずに怖かったり、
その優しい人のだらりと伸ばしてくれた手に、
どれだけ、自分の体を預けてよいのか分からなかったりします。

自分の事情は分かります。

でも、やっぱり、人はそれぞれで、僕とは違うと思います。

┏━
┃★ある人の事情
┗━…─────────────────────────────────

自分以外のことは、僕は分かっていません。

外っ面に大変さが滲み出ていると楽な部分があることを、
『重度の障害がある』 と国から公式に認められている人(身体障害者手帳1級の方)から聞いたことがあります。

『シルバーシートに座りにくいんだよね。
 人からは、健康そうに見えるから。』

自分の事情を、他人に知って欲しい場面があったときに、
どうやって、人に主張したら良いでしょうか?

┏━
┃★自分を守ること、そして、行動すること
┗━…─────────────────────────────────

僕のリハビリについての、考え方を交えて、僕の主張方法について、紹介します。

時と場合によりますが、
僕は、身体の動きの回復のためには、ある程度のリスクは許容します。

その例を一つ説明します。

僕は、足に装具(四肢・体幹の障害部を補助するために身体に装備する器具のこと)を、履いています。

安全のため脚が固定し易いタイプの装具を医師から推奨されていますが、
僕は、少しでも身体の改善の余地を残すために、
あまり固定されないタイプのものを作ってもらいました。

どういうことかと言うと、足に負担が掛かるタイプを選択している、ということです。

これは許容しているリスクですが、受け入れていない手法もあります。

その方法は、短時間の歩行であれば、杖を使わないことです。

杖などの支えがないと全く動けないのであれば話は全く別でしょうが、
全身は連携して動いており、その機構を最大限に活かすには、
身体のバランスを崩す要素となる杖は、改善を阻害する要素にも成り得ると、
個人的には、理解しています。

たとえ有効であったとしても、屋外では、この方法は利用しません。
それは、非常に危険だと判断しているためです。

このため、たまに練習で、杖を使わずに歩くことはありますが、
よっぽどのことがない限り、
家の外に出る場合は、杖を持って歩くことは、今後、継続すると思います。

どうして、非常にリスクが高いのか?

それは、疲労時や転びそうになった時の支えとしての杖を持つ、という意味以上に、
自分の家から外の世界へと出た時、

 『僕にとっての最大の障害物は、人間(他人)である』

からです。

人とぶつかったり、嫌味を言われたり、無言の中のけなし合いが発生する可能性は、
路上で虫と衝突する可能性や鳥のふんが、頭に着弾してくる可能性よりも、
非常に大きいと判断しています。

このため、人と接触することによる被害を最小限にするために、
人の見える位置に『杖』 を持つ、ことにより、周りへの注意喚起(自分を主張)して、
トラブル発生の可能性を低くしようとしています。
(場面によっては、杖が人には見えない位置に置く、といったことも行います)

例えば、同じような用途として、
マタニティマーク(妊婦バッジ)も、利用されるのではないでしょうか。

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■マタニティマークについての参考情報

マタニティマークについて/厚生労働省
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kodomo/kodomo_kosodate/boshi-hoken/maternity_mark.html

マタニティマークって?/マタニティマーク普及委員会
http://www.maternitymark.com/007/007.html
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このようなマークは賛否両論があるようですが、
自分を守るためには、正確な内容に伝えることは不可能であったとしても、
何かしらの信号を周りに送っておくことは、良い手段であると個人的には思います。

電車の優先席に限って言うのであれば、
『人に優しくすることは素晴らしいこと』という世間の哲学感からすると理解し難い、
『優先席』という存在があります。

つまり、人々が正しいと信じる倫理観に従い行動するのであれば、
『優先席』があろうがなかろうが、人は席を譲るわけです。

但し、人は何かしら目に見え理解できる形で、カテゴライズしておかないと、
判断し、そして、行動する、ということが難しいことが多いのでしょう。

このため、カテゴライズされた人が存在できる場所を準備して、
かつ、自分がどこにカテゴライズされる人間であるのかの印を付けておいた方が、
他人同士の住む共同社会(世間で曖昧と共有されている倫理感) の秩序は保ちやすい、
ということになるのでしょう。

以前は、優先席が空いているときは、
無理して立っている必要はなく、
困っている人がいたら、席を譲れば良い、と思っていました。

今は、所謂健常者と呼ばれる人は、
優先席に座らない方が良い、と思うようになりました。

困っている人の姿と事情に気がつかない可能性が、あるからです。

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┃★どのように対応すればよいのか?
┗━…─────────────────────────────────

他人の事情は分からないので、下手なことをするよりも放っておいた方がよい。

もしかしたら、そのような結論/意見を持つことも可能かもしれませんが、
人が困っている姿を見ると、無意識のうちの行動を起こす、
という習慣を身に着けておくことが、やっぱり、理想的なのかと思います。

以前も紹介したことがありますが、
リュックサックを背負った僕が、新宿駅前で倒れた時に、
黒人男性に助けられたことがあります。

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彼は、倒れている人(僕)を見つけると、
迷うことなく倒れたおもちゃの人形のように、身体を持ち上げて路面に立たせると、

『大丈夫か?』

と尋ねる。

そして、その人から、『問題ない』 、という言葉を聞くと、

『気をつけろよ』

と言って、去っていく。

—————————————————————–

この場合、彼は、

 まず、僕に『大丈夫か?』 と聞く、そして、どうするか考える

ではないのです。

僕の立ちやすい体勢はこれだ、とかではなく、
倒れた人がいるので、彼は彼自身の力で、その人を通常あるべき体勢で立たせる。

これは、立つまでの途中経過に苦労している僕にとっては、
そんな苦労を排除してくれるサポートであり、ありがたい内容でした。

人により、これでは困る、という人もいるかもしれません。

ただ、このような人は、相手を見て、必要に応じて、
コミュニケーションを交えながら、適切な方法を考えて、サポートをしていたであろうと思います。

いずれにしても、すぐに行動を起こせているその人は、
僕には、とてもカッコよく映りました。

恐らく、彼にとっては、目の前の困った人を助けることは、当たり前のことであり、
倒れている人を見て、何か考えた訳ではなく、
それまでの人生で養われた価値観に基づき、自然と身体を動かしただけであったのでしょう。

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┃★周りの事情を知ること、そして、声をかけること
┗━…─────────────────────────────────

自分がアクションを起こせるようになるためには?

人が困っているけど、

 面倒なことになったらいやだ、会社に遅刻したくない、
 ほかの人がどうにかするに違いない・・・

行動を起こさない理由は、少なくとも僕の中には、色々とあります。

もしかしたら、それらのほとんどの原因は、
煩悩であれば、それは、苦しむ古来からの多くの人々の悩みと同じかもしれませんので、
全ての要因を消してしまうことは無理と考えた方が、無難なんでしょうか。

ここで、少なくともできることは何か?

『自分の周り、社会の仕組みや物理的な構造がどうなっているのか?』
ということに興味を持ち、知識として習得していくことが、重要だと思います。

一般的に、知識がある対象については、気持ちの持ち方の変化も伴い、
行動を起こしやすくなることが多いと思います。

最近、世間一般で、キーワードとして挙げられることもある、
ダイバーシティ/インクルージョンという言葉をテーマに、
障がい者に対する知識を深めるための、講義が会社でありました。

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■ダイバーシティ&インクルージョンについての参考情報

『ダイバーシティ&インクルージョンの目的 』
 
 多様性1 多様性を内包
 多様性2 異質な個による力の発揮
 多様性3 多様な人々が影響しあい、
      コンフリクトやテンションを乗り越え、
      シナジー効果として創造性が生まれる

http://www.gewel.org/D-I.html
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社会として何かしらの形で金銭を含む援助を行う、という観点では、
『その対象者=障がい者』 という言葉の定義は、必須となると思います。

ただし、個人的な付き合いにおいては、

 『障がい者に対しては、何かサポートしてあげなければならない』

という概念があるのであれば、それは、間違っていると思います。

その人はすべて異なっているので、
人はみな、何かしらの障害(人より劣っていたり、思い通りにはならない何か)を持っているはずです。

単純に、相手が障がい者だから、ではなく、

 『相手を見て、もし困っていたら、自分がどうする?』

という見方で行動できればよいだけのことと個人的には思います。

このため、人をある言葉の中の定義に当てはめるような講義は、
逆に差別を助長するような面をはらむようにも思えるので、
あまり好意的には受け取れませんでした。

但し、自分の知らない事実の紹介もあり、そのような情報を知ることは、
大切なことだと感じました。

例えば、講義ではエレベーターに鏡がある理由を紹介してくれました。
私は、知らなかったので、勉強になりました。

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■エレベーターのよくある質問/一般社団法人 日本エレベーター協会

 Q)エレベーターの中に鏡があるけど何のためですか?
 A)車いすのお客様が乗り込んだ状態で、かごの中で回転ができない際、
  後ろ向きで出るときに後方を確認するためです。

http://www.n-elekyo.or.jp/contact/
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人が作る構造物は、もちろん、全ての人にとって公平に作られているわけではありません。

限りないお金と時間があれば、
もしかしたら、理想的な社会が構築できるのかもしれませんが、
集団をステレオタイプ化したうえで、優先順位を決めて対応するしかないでしょう。

多くの人も感じていることだと思いますが、自分がいつも感じている他の例を一つ紹介します。

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■点字ブロックについて/社会福祉法人 日本盲人会連合

3.日盲連の取り組み
(1)他の人の障害になる
  たとえば、高齢者など足腰の弱い人がつまずいてしまったり、
  車椅子やバギーの利用者の障害になったり、
  雨天時や氷結時に滑りやすくなったりするなどの問題点も指摘されており、
  改善などが望まれています。

http://nichimou.org/impaired-vision/barrier-free/induction-block/
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不平等な世界に住むばらつきのある人を少しでも理解し、
生きていくためには、どうしたらよいのか?

この世界の在り様に興味を持つことが必要で、周りへのアンテナを張ることが重要だと思います。

但し、世界の全てを知ることはできないので、
結局は、声をかけてみないと、話は始まらないということなんでしょう。

収集してきた情報を駆使して、
素早く適切に想像できるようになれることが大切なんだと思いました。
そして、必要に応じて、自然とサポートする行動が起こせるようにするために。

以上

伝えるということ

金曜日, 12月 23rd, 2016

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昨年末、パン屋に貼られた、『今月末閉店のお知らせ』 を見て、
人に伝える、という願望について、考えた。

お知らせを読み、その店が無くなると分かると、非常に残念な気持ちが湧いてきて、
是非、一度は、入店して、パンを買いたいと思った。

そうは言っても、何か別の用事があり、その店の横を通り掛かれば、
中を覗くことで、自己満足を達成しようとすると思ったが、
そうでなければ、わざわざ訪れることなく終わることであろう。

そして、実際に、入店することはなかった。

昔、自殺に関する本を読んだことがあるのを思い出した。

はっきりは覚えていないが、その本によると、
人里を離れ、人生を終えようと富士樹海に入り込む人々が少なからずいるが、
その人々は、最終的に、人に見つかりやすい場所で、首を吊るそうである。

つまり、人から離れて、一人寂しくこの世を去るという決断は、
無意識のうちに、覆される、ということであろうか。

つながりを求めたいと、無意識のうちに、細くなった指を、
最後の力を振り絞って、人の目の触れる場所へと少しでも先へと伸ばそうとした、その男。

但し、その指先の震えが、二度と人の目に触れることはないのが一般的である。

樹海に入り、一人寂しく最後を迎えるという悲劇は、台本通り悲劇のまま、幕を降ろすことになる。

人に、自分の思いを伝えるのは難しい。

自分の思いが伝わったかどうかは、相手からの反応があり、初めて理解できる。

私の前に座る彼に、感謝の気持ちを伝えたい。
その一言がきっかけにして、お互いに前向きの会話が発生し、相互理解が進むきっかけとなる。

相手を尊敬する心がある時に、初めて、意思の疎通が成立するのであろう。
但し、言うのは、簡単であっても、そんな風にはいかないことが多い。

元々、相互理解なんて、あり得ない、と考えた方が分かりやすいかもしれない。

どうせ、人は自分のことしか分からない。

その理由は、自分の経験と知識から成る物差しからしか、
人は、自分の目の前の事を、理解できないと、私は思うからである。

だから、目の前の事を判断するための、優れた物差しを準備するには、
『他人の事情とか、感謝の気持ちを理解する』 ではなく、
まず始めに、 自分の気持ちを知ること、そして、自分の立ち位置を理解することから始めることが重要となるのでしょう。

では、自分の目の前に立つ他人の姿とは何か?

五感を駆使し、そして、ある判断をして描写されるその姿は、
自分の肉体能力と理解の範囲内でしか、描き切れないはずである。

その他人の姿は、誕生から長年を掛けて自分の中に構築された物事を処理するための仕組み、
つまり、人間性(気持ち)を投影した姿である、と言えるはずである。

自分と他人の関係とは?

以前、撮影した十王の像について、その像の意味が分からずに、調べたことがあるのを思い出した。

十王は、罪深き衆生を裁く仏様であり、死者をどの六道へと送り込むかを決める。

その仏様の裁きは、初七日、四十九日、百か日、一周忌、三回忌と順次行われるとのことで、
人間界に残る親族は、死者の罪の軽減を祈るという習慣があるそうである。

この十王の説明から、この習慣は、
自分の優しさ、という形の見えない不可思議な存在を媒体とした、
親族(他人)との交流活動であるように、感じられた。

但し、南無阿弥陀仏を唱えれば許されるとした浄土宗にも、
人の行き先を願うという、この法事が存在することが不思議に思えてきた。

インターネットで、浄土宗について調べてみると、次のような説明があるのを見つけた。

━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…
年回忌法要をなぜするのか。次の3つの意味があります。

 1.仏様の前で手を合わせ「南無阿弥陀仏」をいうため
 2.「お亡くなりになってから〇〇年たった
    〇〇年の間、私はどのように生きたのか」
    それを考えるため。
 3.「この先自分はどのように生きていくのか」を考えるため。

決して、「ボンさんを呼んで、亡くなった人がいいところへ行けるように、
拝んでもらう時」ではありません。

【浄土真宗本願寺派 光澤寺のウェブサイトより】
━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…

つまり、これは他人の幸せを願う行動ではなく、
他人を含めた世界から自己の世界への回帰であるように感じたが、
必ずしも否定すべきものではなく、
自己逃避よりも、自分の世界を見つめ直すことを重要視した考えになるのかと思った。

自分の世界を離れて、他人を主体者として思いやることが、理想的なのかもしれない。

ただし、それは簡単ではないと思う。

人に自分の思いを伝える。

その思いが伝わったかどうか、相手の反応から知る。

相手との意思の疎通を成立させるためには、まずは、相手を尊敬する。

これを実現するために、まずは、自分を見つめ直してみる。

自分の歴史的な経緯と、そのまわりの世界は、把握しようとすれば、
広大であり、また複雑であることに気づくことが、一般的であると思う。

その複雑な自分の事情と、それにより発生する気持ちへの理解が進めば、
必然的に、自分の世界観の多様性と、その世界に存在する自分の位置を意識するようになり、
自分を中心とした外への感謝の気持ちが広がる。

結果的に、この理解構造を成立させるための、
他人を理解するための物理的/肉体的な仕組みが、構築されている、
となるのではないか?と思った。

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説経

日曜日, 11月 27th, 2016

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━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…
どんなに生きることが辛く哀しくても
泣き顔をやめて
力づよく歩みつづけ
生きぬいていこうよ
━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…

これは、今日、鷲宮からの帰宅がてらの散歩時に、
曹洞宗のお寺で見た言葉です。

 『これって、何か人を救う言葉じゃないよな』

と思いました。

まあ、別に宗教が人を救うために存在するものかどうかは、僕は知りませんが、
例えば、浄土宗のように、

 『とにかく、南無阿弥陀仏を唱えれば、救われるよ!』

という発想の方が、個人的には、すごく人間自身を捉えた感じの人生(来世と現世)への解決策に思えます。

どうせ、人は『頑張って』『我慢して』『何か悪いことをしたんじゃないか』という人が大多数でしょう。

そんな人々に対して、
(たぶん、死んだらどうなるかは分からない、という本音を抑えて—)

 『誰でも、念仏を唱えればOKだよ』

と、人から偉いと思われているお坊さんが、人々に宣言してあげているんですよね?

法事とかで、浄土宗のお坊さんの説経は何度か聞いたことがありますが、
曹洞宗のことは、何も知らないので、少し確認してみました。

━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…
曹洞宗(そうとうしゅう)とは
http://www.sotozen-net.or.jp/soto
━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…

初めに、歴史的に日本へと伝承されてきた経緯が記述されていますが、
そこには、どのような教えであるのかの説明はなく、
今を生きる曹洞宗管長のお言葉が、曹洞宗の説明として載っています。
そこに書かれているのは、

 ・大震災や地球温暖化といった自然界のことへの問題、
 ・戦争や紛争といった政治経済の課題、

そして、

 ・貧困、格差、自死、いじめといった社会的な課題

に対する願いと、そこに生きる人の正しい在り方について願楽(※1)を
進める、といったことです。

━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…
※1 願楽
Ⅰ 願い
Ⅱ 必ず往生せしめられると浄土をねがいまちもうけること。
  ねがい求めること。
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E9%A1%98%E6%A5%BD
━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…

同じ仏教なので、根本は同じなんでしょうが、
曹洞宗の方が、現世の課題解決といった側面が前面に出ているのかな?
と思いました。

僕は現世/来世に対しての救いを求めたいと
願っている人間ではないので、
浄土宗の方が、僕には、分かりやすそうなイメージを持ちました。

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はないちもんめ

月曜日, 11月 21st, 2016

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┃★IT企業に新入社員として働いていた時のこと。
┗━…─────────────────────────────────

「顧客が51,会社が49」の心で行動せよ、という雑誌の記事を読まされたことがある。

「51と49」とはどういうことか?

お客様と会社の間のせめぎ合いの中、
システムエンジニア(SE)は、
お互いにWinWinの関係が築けるようひたすら頭を捻らせ、
最善の策を考えながら仕事を進めるわけである。

但し、こんな目指す理想を掲げるのは簡単であるが、
実際の業務では、どうしたら良いか迷ってしまうこともあるであろう。

そんな時の最終的な決断は、

 「お客様が50+1:会社が50-1」

の立場で、SEは判断するとよい、という気持ちの持ち方のアドバイスである。

┏━
┃★さて、昔話はこれぐらいにして、本日の雑談を始めさせて頂くことにする。
┗━…─────────────────────────────────

今日は、夕飯として、どこで何を食べたのか?

夫婦で外出し、どの店で何を食べるかという過程をなぞる旅路を語るために、
今日の夕飯が決まった根本的な理由を、正確に導き出そうとした場合、
産まれ育った環境の情報を拾い上げること、そして、どんな教育を受けてきたのか?
さらに、どのような人と出会ってきたのか?など、
両名の人生の歴史を、第三者の意見ヒアリングを交えて総括する必要が発生し、
分厚い研究本を一冊刊行するほどの作業量が必要となると想定される。

このため、明日、定時に出勤する予定であることも鑑み、結論だけ述べることにすると、
今日、夕飯として、定食屋で、ラーメンを食べた。

☆彡 味のメルヘン 花いちもんめ …─────────────────

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 『味のメルヘン 花いちもんめ』・・・定食屋

  注)ウェブ情報サイトによると、その店のカテゴリは、〝和風ラーメン・甘味”

その店の名前の由来は、分からない。

何が正しいのか、そして、何のために働くのか?
『どうしたらよいのか?』と、悩みつつ、時に人生教訓に触れたりしながら、
何とか先に進もうとする。

そんな、どこにでもいる労働者の儚くも、かけがえのない人生を、
温かく包み込む意味を込めた名前であるのかもしれない。

━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…
【はないちもんめ、とは?】
はないちもんめ(花一匁)は、こどもの遊びのひとつ。
2組に分かれて、歌を歌いながら歩き、メンバーのやりとりをする。
花を一匁買う際に、値段をまけて悲しい売り手側と、
安く買ってうれしい買い手側の様子が歌われているとされる。

ウィキペディア フリー百科事典より
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%A1%E3%82%82%E3%82%93%E3%82%81
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☆彡 男気と商売 …──────────────────────────

広島東洋カープの黒田選手のような男気溢れた店の主人。
『お客さんには、美味しい料理を満喫して欲しい』と切に願っている。

上司・客・同僚・・・

人間関係に板挟みの毎日に悩み、疲れ果てた顔をしたサラリーマンが、
店の暖簾を潜る[くぐる]。

下を向きメニューを眺める男を見て、金よりも人の心を大事にする店の主人は、
たとえ、この店にいる一時であったとしても、
何とか、お客様に休息の時間を与えてあげたいと思う。

そうはいっても、彼も生活のため金を儲けなくてはならないので、
豪華な食事をタダで提供できるわけでもない。

『お客に笑顔になって欲しい』

主人は、食事の値段を、自分の生活で許せる範囲まで下げたいと思った。

家族に相談する。

『勝手なことは許されない』と反論を受けるも、
主人の心意気を何とか叶えてあげたいと思う家族。

主人のワガママを泣く泣く受けれてあげる形でメニューの価格を決める。

店の良心の結晶であるメニューを見て、それを少しは感じることができたのか、
少し顔を緩めたお客様は、手ごろな値段のラーメンを注文する。

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湯気を立てたお椀が、テーブルへと運ばれてくる。

携帯電話から目を外したお客様は、箸をとり、そして、麺をすすりながら、
15分ほどの異次元への旅を満喫し、明日への英気を養う。

お客の心を掴んだ、こんな男気のある主人の定食屋は、商売繁盛し、
店は、心休める人々の集う童話的な世界となる。

メルヘンといっても現実逃避は許されない。
主人がお客様に提供したかったのは、現実世界で生きるための力である。

そんな店の主人は、世の中の現実を示すために、そして、自分の決断を示すために、
定食屋の名前を、『はないちもんめ』と名付けた。

∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥

┏━
┃★『はないちもんめ』という店の名前を、どのように解せればよいのだろうか?
┗━…─────────────────────────────────

『食事のおとぎ話~よくある人の辛い人生』

どうも、適切な言葉が見つからない。

━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…
【はないちもんめ】

『勝ってうれしい花いちもんめ、負けて悔しい花いちもんめ
  ・・・
 あの子が欲しい、あの子じゃ分からん、相談しましょ、そうしましょ』
━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…

この童謡は、口減しの場面を描写したものである、という説があるそうである。

自分が生きるためには、食べる必要がある。

生きるために必要な食糧が充分でなければ、足りるようにするために、
それを食べる人を減らさなければならない。

ただし、涙を堪えて愛する彼らを殺せばよい、という訳ではない。
減らされる彼/彼女は、新たな場所で、何とか何とか生きて欲しいと、
哀しさを笑い飛ばす。

この店の名は、そんな人生のおとぎ話であり、
世界の縮図を示そうとしたものである。

本日の雑談/終わり

根本治療と対症療法

日曜日, 11月 13th, 2016

1┃病気を治すためには
━┛――――――――――――――――――――――――――――

最近、総合診療科に行った。

町医者に行く手が、国が進める治療方法、となるのであろうが、
適当な医者を探す、という行為は結構面倒であると思う。

一度、病院に行くと、他の病院を試すのは、失礼に思ってしまうことも
あるであろうし、第一、会社を何度も休むのは気が引けてしまう。

そんなわけで、大学病院の総合診療科に行った。

受付で渡された症状を記述する用紙には、

 『診て欲しい症状を一つ書くように』

といった内容が書かれていた。
ここから、通常、病院は患者とどのような会話を繰り返しているか想像できたので、
この時点で、身体を診てもらうことはあきらめた部分はあった。
それでも、症状を記述する欄自体は、大きなものであったので、
表面上に現れている症状をメインに、
身体に感じるあらゆるセンサーからのヒントを、ひたすら書きなぐってみることにした。

しばらくすると、厳しいビジネスマン風情の看護師がやって来た。
案の定、記述した症状に直結する科を受診するようにと指示してきた。

細かく用紙に書いていたためか、看護師は冷静かつ論理的に、私の説得にかかってきた。
仕事の交渉のようなやり取りが数分の間続いたが、

 『ウェブサイトを見て、人の体を統合的に診察する場所であると理解していたのですが、 誤解でしょうか』

という問いかけに対し、
丁寧、かつ素直に
 
 『その通りですが、保健医療制度の中、病院は運営しているのです』

といったことを言われてしまうと、
『分かりました』と、引き下がるしかなかった。

こんなことが、最近あったためか、
先日リハビリ師とは、次のような会話で盛り上がってしまった。

 『エビデンスがないと認められない治療なんて、あり得ない!』

人間が、完全にデジタル化される世の中が到来すれば、
全てが理解された前提で、問題が解決されるようになるのかもしれない。

自分のことは、結局は、自分しか分からないし、
自分の身体を一番正確に感じられるのは、自分しかないはずである。

他人に正確に理解してもらえる時代。

その時代の良し悪しはともかく、今の時代は、歴史的に養われてきた、
時に明確であり、時に曖昧な知識を使って、自分の感覚を下に、
状況により医師の助けを借りながら、
自分の身体の全体を感じて理解しようと試みながら、
自らの意志で考えて肉体を整えることが正論であり、また必須なのであろうと思う。
(外科的治療については、完全に医師に依存するしかないが)

2┃米国大統領選挙
━┛――――――――――――――――――――――――――――

トランプ氏が大統領に選ばれてから、
報道で、TPPであるとか安保に関する内容とか単発の項目についての影響は論じられているように思う。
また、トランプ氏 を『悪』として、世界情勢の不安定化を憂える内容が多いが、
現在の世界の動きと日本の現状への総括という視点が少ないように感じてしまう。
(テレビや新聞報道、ネットなどを丹念に見ているわけではないので、誤解かもしれないが)

━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…
□トランプ経済策 保護主義は全世界の不利益だ 
2016年11月11日 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20161110-OYT1T50184.html

□[FT]世界の自由主義を脅かすトランプ氏(社説) 大統領になれば変わるのか
2016年11月11日 日本経済新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO09379860Q6A111C1000000/
━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…

個人的には、今、議論すべき内容は、単発の項目に関するリスクの云々よりも、

 『アベノミクス』に対する総括/評価と、その結果に基づく対策検討

という発想しか頭に思いうかがないのであるが、間違いであろうか?

特に頭を巡らしたり、色々調べたわけではないが、
素直に考えれば、自然にそのような発想になるのかと思うのだが。
私は、感覚的におかしいのだろうか。。。

理想的な解決を思いつくのは困難であったとしても、
現実を正面から捉えることは、前に進む方法を考えるときに重要だと思う。

終わり

以下参考

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┏━
┃★人生の縮図
┗━…─────────────────────────────────

☆彡 産業空洞化 …──────────────────────────

 【知恵蔵2015の解説より】
  https://kotobank.jp/word/%E7%94%A3%E6%A5%AD%E7%A9%BA%E6%B4%9E%E5%8C%96-183310

  『(省略)産業空洞化は当然の流れともとらえられるが、デフレに悩む日本では深刻な問題になった。
   解決策は、グローバル経済の中で、日本が新たな産業構造に転換すること、すなわち、より産業の高度化(高付加価値化)を進めることである。』

☆彡 バブル …────────────────────────────

 【次のウェブサイトより】
 http://www.kyoritsu-wu.ac.jp/nichukou/sub/sub_gensya/Economy/J_Economic_History/Bubble.htm

  『バブルとは、経済が実力以上に泡(バブル)のようにふくらんだ状態をいう。』

 【知恵蔵2015の解説より(バブル=資産インフレ)】
  https://kotobank.jp/word/%E8%B3%87%E7%94%A3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%AC-4145#E7.9F.A5.E6.81.B5.E8.94.B52015

  『地価、株価、貴金属などの資産価格が、上昇する状況を資産インフレという。
   投機により資産インフレが高進、適正価格から大きくかけ離れたときに生じるのがバブル(泡)であり、
   一般に「資産価格と適正価格との乖離(かいり)分」とされる。
   バブルは投機熱が収まると弾け、姿はもと(適正価格)に戻る。』

—————————————————————–
┏━
┃★日本の成長戦略
┗━…─────────────────────────────────

☆彡 アベノミクス …─────────────────────────

 【わかる!国際情勢 Vol.118 アベノミクスと経済外交(外務省 2014年8月13日)より】
  http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/wakaru/topics/vol118/index.html

  『グローバル化により,日本経済と世界経済が互いに影響を及ぼし合う中,
   「成長戦略」では,日本の企業や人が積極的に海外市場に打って出るとともに,
   「世界のヒト,モノ,カネ」を日本に惹きつけることで世界の経済成長を取り込み,
   日本の成長につなげていこうとしています。』

┏━
┃★日本の現状分析の例(2016年4月)
┗━…─────────────────────────────────

☆彡 中間層衰退 …──────────────────────────

 【衰退を続ける日本の中間層‐中間層衰退が示す構造改革の「担い手」不足‐
  みずほリサーチ April 2016 みずほ総合研究所執筆の記事より】
  http://www.mizuho-ri.co.jp/publication/research/pdf/research/r160401point.pdf

  (「米国よりも深刻な日本の中間層の衰退」と消費増税再延期の決断をする見込みを紹介。)
  
  『◇問われる課題に向き合う誠実さ
     今さら言及することではないが、仮に消費税が再延期されたとしても、
    日本経済にとってそれは単なる一時しのぎに過ぎない。
    むしろ日銀による実質的な財政ファイナンスが行われている現状に鑑みると、
    日本国債に対する信用低下やそれに伴う金利上昇の影響が懸念される。
     本来、我々が取り組むべき最優先課題は所得の底上げであり、
    それを可能とする構造改革である。』

☆彡 日経平均株価 …────────────────────────

  【日経平均株価(月末値)の推移(Wikipediaより)】
   https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/6d/Nikkei_225%281970-%29.svg

☆彡 日経平均株価 …────────────────────────

  【日本のGDPの推移(世界経済のネタ帳より)】
   http://ecodb.net/country/JP/imf_gdp.html

┏━
┃★日本政府対応(2016年5月、6月)
┗━…─────────────────────────────────

☆彡 日本政府の現状分析 …──────────────────────

 【平成28年5月27日 G7伊勢志摩サミット議長記者会見
  首相官邸ウェブサイトより】
  http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/statement/2016/0527summit.html

  『ここで、もし対応を誤れば、世界経済が、通常の景気循環を超えて「危機」に陥る、
   大きなリスクに直面している。私たちG7は、その認識を共有し、
   強い危機感を共有しました。
   そして、新興国経済に弱さが見られる今こそ、G7がその責任を果たさなければならない。
   G7で協調して、金融政策、財政政策、そして構造政策を進め、「三本の矢」を放っていく。
   そのことを合意いたしました。アベノミクスを世界で展開してまいります。』

☆彡 日本政府の対応 …─────────────────────────

  【平成28年6月1日 安倍内閣総理大臣記者会見(消費税率の引上げの延期について )
   首相官邸ウェブサイトより】
   http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/statement/2016/0601kaiken.html

  『世界経済が直面するリスクについて、G7のリーダーたちと伊勢志摩サミットで率直に話し合いました。
   その結果、「新たに危機に陥ることを回避するため」、「適時に全ての政策対応を行う」ことで合意し、
   首脳宣言に明記されました。』

  『一億総活躍社会というのは、皆が活躍できる社会であります。
   であるからこそ、その結果は間違いなくそれを進めていけば、
   中間層はより厚くなり、
   そして、いわば欧米で起こっているああした一部の人たちに富が集中する、
   一部の人にしか機会がないという社会ではなくて、
   皆にチャンスがある社会を創っていく。皆に機会がある社会を創っていく。
   皆がそれぞれ才能を生かしていくことができる社会を創っていくということが、
   我々が進めている一億総活躍社会であり、
   正に今回の伊勢志摩サミットで指摘された議論は、我々が進めてきた議論、
   やるべき政策と方向性の一致するものであったと、このように思っています。 』

┏━
┃★世界のリーダーたちの動きの例
┗━…─────────────────────────────────
■2016年6月24日 英国は国民投票でEU離脱の結果

 ◇なぜ英でEU離脱論?(Q&A)
  2016年2月20日 日本経済新聞
  http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM20H57_Q6A220C1FF8000/

■2016年11月11日 米国 トランプ氏大統領選挙勝利

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以上

清宮くんと、自由な世界に放たれているかどうかは、よく分からない羊(わたし)

金曜日, 11月 4th, 2016

┌──────────────────────────────────■
│ 秋の高校野球東京大会決勝戦観戦記
└──────────────────────────────────■

┏━
┃★11月3日(木/祝日)開催/秋の高校野球東京大会決勝戦に誘われました。
┗━…─────────────────────────────────

野球を観戦する趣味はありませんが、
忙しい人生を送っている人間でもなく、また、拒否する理由はなかったので、

 『参加させて下さい』

と、返事をしました。

☆彡 試合前日の水曜日 …────────────────────────

対戦カードが、『早実 vs 日大三』となったこと、
そして、『有名な清宮君』が出場するとの連絡が、友達からありました。

『清宮君 』の名前は知っていたものの、
まだ、その時点では、その名前の重みを、全く理解していませんでした。

☆彡 神宮球場到着  …──────────────────────────

20161103_01

チケット売り場は、長蛇の列でした。
さきほどネットで検索すると、『観衆は2万人、 試合開始時間を約30分遅らせた』
とのことであったようです。

友達は、初めから並んでチケットを購入するつもりはなかったようです。

有名人を見るか見ないかはどちらでもよかったのですが、
せっかく来たので見ないで帰るのは勿体ないと、僕は思いましたが、
取り立てて意見も、思いもなく、球場の前にいる自分には、
『何としても入場してやるんだ!』
と、頑固に主張を通す意地もなかったため、高校野球観戦は取りやめとしました。

┏━
┃★この先の行き先を考えることにしました。
┗━…─────────────────────────────────

球場の前では、TOKYO DESIGN WEEK 2016というイベントが開催されていました。

━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…
クリエイティブの祭典 TOKYO DESIGN WEEK 2016
http://tokyodesignweek.jp/2016/tokyo/
━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…

『清宮君目的であった人もいるんじゃないの?予想外の動員人数になってラッキーだね。』
と友達と話しながら、僕らもその仲間に加わるかどうか考えましたが、
入場チケットが2500円であるのを確認すると、『それは無理だよね』、ということになりました。

二人にとって池袋が、都合の良い場所であったため、
とりあえず、そちらに向かうことにしました。

また、池袋に住む友達の提案により、
最近、彼が発見した!という池袋のコスプレ通りに行き、
それから、池袋の寺院を巡った後に、飲み食いをする、というプランになりました。

☆彡 池袋の彼が新たにできた、というコスプレ通りに着きました  …─────

20161103_02

コスプレをしている人は見当たりませんでした。

『11/5・6 スターズ☆彡』と書かれたアニメなのか何かは分かりませんが、
ともかくコスプレと関係があっても不思議ではなさそうな宣伝垂れ幕が、
そこら中の電灯に垂れ下がっていました。

━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…
【AGF2016】あんスタ情報※随時更新※
http://xn--l8jzdxcn1g2kob.com/%E3%81%82%E3%82%93%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%B6%E3%82%8B%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BA/agf2016/post-25049/
━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…

『まあ、毎日、コスプレの人が歩いている訳じゃないんだね』

20161103_03

近くにある『ミステリー館 入口』という店の看板を眺める僕に友達は、
せっかく来たので、という気持ちからなんでしょうが、『入ろうか?』と、僕に声をかけてくれました。

入店して気に入ったものがあったら余計な出費がかさむだけなので、
次のプランである、寺院巡りに出発しよう、と僕は友達に先への道を誘いました。

┏━
┃★友達の案内に従い、日蓮宗本立寺に着きました。
┗━…─────────────────────────────────

20161103_04

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◆日蓮宗本立寺(東京都豊島区南池袋 )

□撰時抄(せんじしょう) 建治元年(1275年)

 衆流(しゅうる)あつまりて
 大海(たいかい)となる
 微塵(みじん)つもりて
 須弥山(しゅみせん)となれり

□本立寺の解説より
 私(日蓮聖人)が、法華経を信じ始めたことは、
 日本の国から見れば、
 わずかな水流や塵のようなものだ。
 しかし、法華経のお題目をたくさんの人が
 次第に唱え広めるならば、大海にも須弥山にもなる
━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…

寺を出て、友達と話しながら、飲み食いできる場所を探しました。

 ・まあ、これは、清宮君と、今日の僕らのようなもんだよね。

 ・人が集まれば、何か大きいことができるよね。

 ・とりあえず、一人入場料が800円で単純計算すると、1千6百万円。

 ・今日は、特別にアルバイト増員しているようね?

 ・計画外に、TOKYO DESIGN WEEK 2016に入場したやつはどれだけいるんだ?

 ・人を外に連れ出せば、どれだけの経済効果があるんだろうね。
  僕ら、今から、池袋で食事しようとしているし。

 ・清宮君一人で、日本経済にどれだけ貢献しているんだよ。
  高校生で、これだけ多くの人に影響与えるなんてすげえ。

 ・客一人、説得できてないよ。

 ・人ひとり集めるのも、僕には難しいよ。

『風が吹けば桶屋が儲かる』と同じなのかどうかは分かりませんが、
清宮君は、世界・自然を司る一つの自然現象のような神がかった存在なのかもしれない、と思いました。

┏━
┃★家に帰り、『須弥山』の意味が理解できていなかったので、調べてみました。
┗━…─────────────────────────────────

須弥山とは、古代インドの世界観で、中心にそびえる聖山であるそうです。

━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…
やさしい仏教入門
http://tobifudo.jp/newmon/betusekai/uchu.html
http://tobifudo.jp/newmon/betusekai/uchu2.html
━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…

 須弥山を中心に、世界は円形に広がる。
 その世界は太陽・月が浮かび、そして山脈や大海に囲まれており、
 人の住む島が小さく存在する。
 そして、煩悩を脱し悟りの境地に達した神々により人々は導かれる。

こんな感じの世界でしょうか?

正しい理解かどうかは分かりませんが、
今の自分の住み世の中と、当たらずと雖も遠からずの世界なのかな、と思いました。

人が集まること、これは大きな力となる。

━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…
ヒツジは非常に群れたがる性質をもち、群れから引き離されると強いストレスを受ける。
また、先導者に従う傾向がとても強い(その先導者はしばしば単に最初に動いたヒツジであったりもする)。
これらの性質は家畜化されるにあたり極めて重要な要素であった。

「ウィキペディアフリー百科事典 ヒツジ」 の抜粋
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%84%E3%82%B8
━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…

羊飼いとは位置づけは全く違いますが、
清宮君は、世の中を動かす力を持つ、すごい人間だということを神宮球場で知りました。

そんな人の姿を見ることができなかったのは残念だったかもしれません。

ただ、有名人が紙に書いたサインが、価値を持ち、そして金銭と交換できる理由が、
分かったような気がしました。

─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━
秋の高校野球東京大会決勝戦観戦記/終わり

台地の上に生きる

月曜日, 8月 8th, 2016

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動物との共存
孤独と世界
無機質と感情の混在
複雑さと恐怖

上野公園 憩いの場

日曜日, 5月 8th, 2016

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============================================================
オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ
<薬師如来の真言(*1)>

オーン(*2)。取り去りたまえ。取り去りたまえ。チャンダーリー(*3)よ。マータンギー(*4)よ。スヴァーハー(*5)。

————————————
*1 真言(サンスクリット語:マントラ)とは、大日経などの密教経典に由来し、真実の言葉という意。転じて仏の言葉をいう。

*2 オームは、バラモン教をはじめとするインドの諸宗教において神聖視される呪文。注
*3 チャンダーリーは、インドの賎民の女。

*4 マータンギーは、福徳を司る女神。

*5 スヴァーハーは、密教に於いては真言の末尾に多く使われる言葉。一般には漢訳の薩婆訶(ソワカ)として知られる。
   儀式の際には、供物を祭火に投じる時の掛け声としてこの言葉が唱えられた。この為、後には「スヴァーハー」は、願いが神々に届く事を祈る聖句とされた。
————————————

以上ウィキペディアフリー百科事典の記述内容の複数個所から抜粋
============================================================

今日は、連休最後の日。

『生誕300年記念 若冲展』の鑑賞のため、上野の東京都美術館へと向かった。

4月末に、『NHKスペシャル 若冲 天才絵師の謎に迫る』という番組で、
その時代には評価されることがなかった孤高の画家であったことを紹介していた。

若冲の有名な作品として、
仙人掌群鶏図という両端にサボテンを、そしてその間に鶏を描いた襖絵があるそうである。

絵は、非常に鮮やかな色彩で描かれているが、
その襖の裏側には、水墨画により枯れた蓮の花が、暗く描画されているそうである。

番組の解説者の話では、若冲がそのままの自然を美として描くことが彼が到達した表現であると理解してそうである。

但し、その人が最近気が付いたこととして、
東北の大地震で壊滅した都市を見ることを一つのきっかけとして、
その枯れた植物の中に、新しい芽が描かれていることに目を留めるようになった。
そして、天明の大火という歴史的な大火により、京都が壊滅状態になったその時代、
若冲は、再建への願いをその絵に描いたのではないか?ということに気が付いた、
といったことを話していた。

良くありがちな表現手法であるような気もしたが、
ともかく、実際に若冲の絵を見てみたいと思うようになり、
本日、行ってみることにしたのである。

長々と、美術館に向かった理由を前置きとして書いたが、
実は言うと、美術館に行く、という人間の気持ちや趣味が、僕はあまり理解できていない。

行くからには、何か感じたことがなかったとしても、
人々や同行者が、素晴らしいと評価したり、また、逆に非難するようであれば、
何か分かったふりをしなければならない義務感が発生するような気がするので、
個人的には、美術館に行くことは、いつも何か面倒な部分があるように感じている。

美術館で作品に手を触れてみることができれば少しは意味があるのだが、
と思いつつ、一つ一つの作品をゆっくりと観察することはせずに、
少し速足で歩き、会場全体の雰囲気を感じて回ることで終えてしまうのが、
いつもの僕の美術館訪問である。

東京都美術館の前に着くと、70分待ちの行列ということである。

自分も自らの意志で訪問している訳であり、意味不明な気持ちであることは承知しているが、
『多くの人が美術館に訪問し、また、1時間以上待って展示物を見ようとする』、
という現実が、何故発生し得るのかが、どうしても理解できなかった。

並んでまで見るつもりはなかった。
上野公園を散歩にて、連休の幕が閉じることになった。

菖蒲の節句

木曜日, 5月 5th, 2016

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スーパーで、初老の男がレジ女性に、何度も同じ言葉を連呼しながら、質問していました。

 『菖蒲はあるか?』

若い女性は、質問の意味が分からないのか、後ろのレジを担当していた年配の女性店員に助けを求めると、
即座に『ありません』との返答がありました。

僕は、毎日、『何曜日であるか、休日であるのかどうか』、が分っているぐらいで、
その他は何も理解していません。

自宅に帰り、『こどもの日』を調べてみると、
その日は、端午の節句(中国由来し日本に定着した、季節の節目(端午=5月5日)を祝う)、
別名では、菖蒲の節句(端午の節句に、邪気を祓うために菖蒲を飾ったりする)と言われている、と書いてありました。
確かに、調べるまでもなく、そんな言葉は、小さい頃からよく聞いてきたことですね。

端午の節句・菖蒲の節句が、こどもの日と直接どのように関係があるのかは正確には理解できていませんが、
菖蒲というものは、武士の時代、『菖蒲=勝負』という語呂合わせで、
厄払いの意味だけではなく、子供への強い男性になって欲しいという願いを重ね合わせて、
縁起の良い物であったようです。
また、男子の節句として定着する過程において、子の立身出世を願い激流を登る鯉を掲げて祝うようになったようです。

多くの人が、子供の日に、どのように子供を祝っているのかは、正直知りませんが、
このようなお祝いは、親から子供への一方的な押し付けを含む思い、であるのだと思います。

ところで、今日、スーパーで買ったお寿司を食べました。

スーパーのお寿司売り場では、『こどもの日』ということで、
盛んに祝うためのちらし寿司のプラスチックケースを、山盛りに積んでいたり、
ごちそうメニューとして、おすすめをしたり、といった感じで盛況でありました。

何箱もお寿司を抱えたお母さんがレジに向かっていました。

人の自由がきれいな言葉として尊重される今の世の中。
我が子の健康やたくましい成長や出世を、親の強い思いとして、我が子に投影させようとする傾向は、
今よりも、昔の方が強かったのではないか?と想像しましたが、どうでしょうか。
多様化する価値観の中、親の思いを伝えるのは、以前より難しい世の中なのかもしれません。
実際のところは、残念ながら、何も知りませんが。

また、分業化が進み、商業的に生産されたものを利用して生活する世界においては、
人生で人の思いや生き方が、親から子に伝わる過程で、
世代をまたぐ知の伝承と発展への要素と力は、
もしかしたら、歴史的に両親の中に養われて来た素地の中から生じるものよりも、
生産者や販売者の意図により養われる部分が大きいかもしれません。

生産者や販売者は、他人の子供の健康や立身出世を願うよりも、
営業利益と自分の家族の生活を考えて行動していると思いますが、
僕のように、歴史や常識を何も知らない人間であれば、スーパーに飾り立てられた雰囲気を感じ取り
『スーパーが祝え、と言っているようだから、とりあえず、寿司でも買って祝おうか』
と行動を決めることもあるかもしれないと思いました。

花の命

水曜日, 5月 4th, 2016

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つつじの花は、もう、だいぶ枯れていた。

それでも、遠くから眺め見ると、誰かを納得させる力は持っているような気もするし、

折角来たことの意義をお互いに納得しなければならないためか、

  『もう少し早い時期に来れば、どんなに見事であったのだろうね』

といったような言葉を投げ交わす人々と、何度かすれ違った。

わざわざ、そんな理解を、みんなで共有する必要はないかと思うが、
何故だか、気持ちが落ち着かないのかもしれない。

 『花の命は短い』

こんな言葉をよく聞くが、人の生活を花に例えると、なるほど、分かり易いのかもしれない。

成功を得られるチャンスは、ほんの一時であり、その時期を逸してしまえば、
枯れた花が、そのままの美しさを二度と再現できないのと同じように、
去ってしまった時間と、そこで得られるはずの幸せを掴むチャンスを、取り戻すことはできない。

害虫や気候の影響により、一年経っても、以前と同じ美を持つ花を咲かせてはくれないことがあるように、
再び到来した機会は、昨年と同じ意味を持つとは限らない。

だから、『今のこの瞬間を、必死に生きるしかない』、と人は思うのであろうか?

春の桜。

僕は、その花よりも、その幹に生える若葉の方が、いつも魅力的に見えているのだが、
今日、枯れたつつじの花の間に残る新緑の色が美しく見えたのは、
それを将来の希望の印として、目の前に描きたいからであろうかな?と想像した。