http://www.kotsu.metro.tokyo.jp/newsevent/news/subway/2016/sub_p_201611085939_h.html
正月明け初日出勤時に見たポスターです。
数年前、全く同じような内容の文章を書いていますが、
未だに、自分が思う姿までは果てしなく遠く、
成長していないようなので・・・
誰かに、と言うよりも、僕自身への 反省の意味を込めて、この文章を書いています。
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┃★自分の都合
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僕は歩く時に、杖を利用する人間です。
最近は少なくなりましたが、
以前は、一年に数回、街中で転んでいました。
転んだ時に、世の中では、どんな映像が展開されるのか?
皆さん想像できるでしょうが、
倒れた時に、僕を助けようと行動を起こす人が現れることは、
屋外、屋内のどちらでも、ごく稀です。
(それが病院であったり、身近な知り合いがいる場所で倒れたのであれば、話は別でしょうが)
倒れている僕の横を、人波が流れていきます。
その現実を、悲しく感じているか?
実は、僕は、ほとんどのケースで、
助けの手を差し伸べて頂かなない方が、助かります。
逆に、手を出されると、
その救いの手を出してくれた人に合わせて、
立ち上がる、という行為を実施しなければならない気がしてしまいます。
僕には、自分に都合の良い立ち上がり方があります。
まず倒れた時には、
脚が緊張した状態になっているので、
急いで身体を動かさずに、
落ち着くまで倒れた状態でいたい。
そして、緊張が解けたら、
右脚を軸に、右手を補助にしながら、
前傾姿勢気味に、身体を起きあげる。
『その自分の事情を、毎度、人に説明すればよいじゃないか。』
そのように、あなたは、言われるかもしれません。
でも、僕は放っておかれて、自分のペースと好きな体勢の方をゆっくりと確認しながら、
立ち上がる方が、安心できるのです。
中途半端に、手を差し伸べられると、
上手くバランスが取れずに怖かったり、
その優しい人のだらりと伸ばしてくれた手に、
どれだけ、自分の体を預けてよいのか分からなかったりします。
自分の事情は分かります。
でも、やっぱり、人はそれぞれで、僕とは違うと思います。
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┃★ある人の事情
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自分以外のことは、僕は分かっていません。
外っ面に大変さが滲み出ていると楽な部分があることを、
『重度の障害がある』 と国から公式に認められている人(身体障害者手帳1級の方)から聞いたことがあります。
『シルバーシートに座りにくいんだよね。
人からは、健康そうに見えるから。』
自分の事情を、他人に知って欲しい場面があったときに、
どうやって、人に主張したら良いでしょうか?
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┃★自分を守ること、そして、行動すること
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僕のリハビリについての、考え方を交えて、僕の主張方法について、紹介します。
時と場合によりますが、
僕は、身体の動きの回復のためには、ある程度のリスクは許容します。
その例を一つ説明します。
僕は、足に装具(四肢・体幹の障害部を補助するために身体に装備する器具のこと)を、履いています。
安全のため脚が固定し易いタイプの装具を医師から推奨されていますが、
僕は、少しでも身体の改善の余地を残すために、
あまり固定されないタイプのものを作ってもらいました。
どういうことかと言うと、足に負担が掛かるタイプを選択している、ということです。
これは許容しているリスクですが、受け入れていない手法もあります。
その方法は、短時間の歩行であれば、杖を使わないことです。
杖などの支えがないと全く動けないのであれば話は全く別でしょうが、
全身は連携して動いており、その機構を最大限に活かすには、
身体のバランスを崩す要素となる杖は、改善を阻害する要素にも成り得ると、
個人的には、理解しています。
たとえ有効であったとしても、屋外では、この方法は利用しません。
それは、非常に危険だと判断しているためです。
このため、たまに練習で、杖を使わずに歩くことはありますが、
よっぽどのことがない限り、
家の外に出る場合は、杖を持って歩くことは、今後、継続すると思います。
どうして、非常にリスクが高いのか?
それは、疲労時や転びそうになった時の支えとしての杖を持つ、という意味以上に、
自分の家から外の世界へと出た時、
『僕にとっての最大の障害物は、人間(他人)である』
からです。
人とぶつかったり、嫌味を言われたり、無言の中のけなし合いが発生する可能性は、
路上で虫と衝突する可能性や鳥のふんが、頭に着弾してくる可能性よりも、
非常に大きいと判断しています。
このため、人と接触することによる被害を最小限にするために、
人の見える位置に『杖』 を持つ、ことにより、周りへの注意喚起(自分を主張)して、
トラブル発生の可能性を低くしようとしています。
(場面によっては、杖が人には見えない位置に置く、といったことも行います)
例えば、同じような用途として、
マタニティマーク(妊婦バッジ)も、利用されるのではないでしょうか。
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■マタニティマークについての参考情報
マタニティマークについて/厚生労働省
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kodomo/kodomo_kosodate/boshi-hoken/maternity_mark.html
マタニティマークって?/マタニティマーク普及委員会
http://www.maternitymark.com/007/007.html
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このようなマークは賛否両論があるようですが、
自分を守るためには、正確な内容に伝えることは不可能であったとしても、
何かしらの信号を周りに送っておくことは、良い手段であると個人的には思います。
電車の優先席に限って言うのであれば、
『人に優しくすることは素晴らしいこと』という世間の哲学感からすると理解し難い、
『優先席』という存在があります。
つまり、人々が正しいと信じる倫理観に従い行動するのであれば、
『優先席』があろうがなかろうが、人は席を譲るわけです。
但し、人は何かしら目に見え理解できる形で、カテゴライズしておかないと、
判断し、そして、行動する、ということが難しいことが多いのでしょう。
このため、カテゴライズされた人が存在できる場所を準備して、
かつ、自分がどこにカテゴライズされる人間であるのかの印を付けておいた方が、
他人同士の住む共同社会(世間で曖昧と共有されている倫理感) の秩序は保ちやすい、
ということになるのでしょう。
以前は、優先席が空いているときは、
無理して立っている必要はなく、
困っている人がいたら、席を譲れば良い、と思っていました。
今は、所謂健常者と呼ばれる人は、
優先席に座らない方が良い、と思うようになりました。
困っている人の姿と事情に気がつかない可能性が、あるからです。
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┃★どのように対応すればよいのか?
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他人の事情は分からないので、下手なことをするよりも放っておいた方がよい。
もしかしたら、そのような結論/意見を持つことも可能かもしれませんが、
人が困っている姿を見ると、無意識のうちの行動を起こす、
という習慣を身に着けておくことが、やっぱり、理想的なのかと思います。
以前も紹介したことがありますが、
リュックサックを背負った僕が、新宿駅前で倒れた時に、
黒人男性に助けられたことがあります。
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彼は、倒れている人(僕)を見つけると、
迷うことなく倒れたおもちゃの人形のように、身体を持ち上げて路面に立たせると、
『大丈夫か?』
と尋ねる。
そして、その人から、『問題ない』 、という言葉を聞くと、
『気をつけろよ』
と言って、去っていく。
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この場合、彼は、
まず、僕に『大丈夫か?』 と聞く、そして、どうするか考える
ではないのです。
僕の立ちやすい体勢はこれだ、とかではなく、
倒れた人がいるので、彼は彼自身の力で、その人を通常あるべき体勢で立たせる。
これは、立つまでの途中経過に苦労している僕にとっては、
そんな苦労を排除してくれるサポートであり、ありがたい内容でした。
人により、これでは困る、という人もいるかもしれません。
ただ、このような人は、相手を見て、必要に応じて、
コミュニケーションを交えながら、適切な方法を考えて、サポートをしていたであろうと思います。
いずれにしても、すぐに行動を起こせているその人は、
僕には、とてもカッコよく映りました。
恐らく、彼にとっては、目の前の困った人を助けることは、当たり前のことであり、
倒れている人を見て、何か考えた訳ではなく、
それまでの人生で養われた価値観に基づき、自然と身体を動かしただけであったのでしょう。
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┃★周りの事情を知ること、そして、声をかけること
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自分がアクションを起こせるようになるためには?
人が困っているけど、
面倒なことになったらいやだ、会社に遅刻したくない、
ほかの人がどうにかするに違いない・・・
行動を起こさない理由は、少なくとも僕の中には、色々とあります。
もしかしたら、それらのほとんどの原因は、
煩悩であれば、それは、苦しむ古来からの多くの人々の悩みと同じかもしれませんので、
全ての要因を消してしまうことは無理と考えた方が、無難なんでしょうか。
ここで、少なくともできることは何か?
『自分の周り、社会の仕組みや物理的な構造がどうなっているのか?』
ということに興味を持ち、知識として習得していくことが、重要だと思います。
一般的に、知識がある対象については、気持ちの持ち方の変化も伴い、
行動を起こしやすくなることが多いと思います。
最近、世間一般で、キーワードとして挙げられることもある、
ダイバーシティ/インクルージョンという言葉をテーマに、
障がい者に対する知識を深めるための、講義が会社でありました。
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■ダイバーシティ&インクルージョンについての参考情報
『ダイバーシティ&インクルージョンの目的 』
多様性1 多様性を内包
多様性2 異質な個による力の発揮
多様性3 多様な人々が影響しあい、
コンフリクトやテンションを乗り越え、
シナジー効果として創造性が生まれる
http://www.gewel.org/D-I.html
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社会として何かしらの形で金銭を含む援助を行う、という観点では、
『その対象者=障がい者』 という言葉の定義は、必須となると思います。
ただし、個人的な付き合いにおいては、
『障がい者に対しては、何かサポートしてあげなければならない』
という概念があるのであれば、それは、間違っていると思います。
その人はすべて異なっているので、
人はみな、何かしらの障害(人より劣っていたり、思い通りにはならない何か)を持っているはずです。
単純に、相手が障がい者だから、ではなく、
『相手を見て、もし困っていたら、自分がどうする?』
という見方で行動できればよいだけのことと個人的には思います。
このため、人をある言葉の中の定義に当てはめるような講義は、
逆に差別を助長するような面をはらむようにも思えるので、
あまり好意的には受け取れませんでした。
但し、自分の知らない事実の紹介もあり、そのような情報を知ることは、
大切なことだと感じました。
例えば、講義ではエレベーターに鏡がある理由を紹介してくれました。
私は、知らなかったので、勉強になりました。
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■エレベーターのよくある質問/一般社団法人 日本エレベーター協会
Q)エレベーターの中に鏡があるけど何のためですか?
A)車いすのお客様が乗り込んだ状態で、かごの中で回転ができない際、
後ろ向きで出るときに後方を確認するためです。
http://www.n-elekyo.or.jp/contact/
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人が作る構造物は、もちろん、全ての人にとって公平に作られているわけではありません。
限りないお金と時間があれば、
もしかしたら、理想的な社会が構築できるのかもしれませんが、
集団をステレオタイプ化したうえで、優先順位を決めて対応するしかないでしょう。
多くの人も感じていることだと思いますが、自分がいつも感じている他の例を一つ紹介します。
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■点字ブロックについて/社会福祉法人 日本盲人会連合
3.日盲連の取り組み
(1)他の人の障害になる
たとえば、高齢者など足腰の弱い人がつまずいてしまったり、
車椅子やバギーの利用者の障害になったり、
雨天時や氷結時に滑りやすくなったりするなどの問題点も指摘されており、
改善などが望まれています。
http://nichimou.org/impaired-vision/barrier-free/induction-block/
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不平等な世界に住むばらつきのある人を少しでも理解し、
生きていくためには、どうしたらよいのか?
この世界の在り様に興味を持つことが必要で、周りへのアンテナを張ることが重要だと思います。
但し、世界の全てを知ることはできないので、
結局は、声をかけてみないと、話は始まらないということなんでしょう。
収集してきた情報を駆使して、
素早く適切に想像できるようになれることが大切なんだと思いました。
そして、必要に応じて、自然とサポートする行動が起こせるようにするために。
以上