Archive for 1月, 2016

人生

水曜日, 1月 27th, 2016
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決められた選択肢から選んだ個性を描いたような点は、少し気にはなりましたが、
名前を書く欄の幅なんて、後で考えれば良いこと。
そんな風に描かれた文字の若々しさと不器用さに惹かれました。

『固い決心、真理探求、花さく里』

初めは、如何にも子供が選びたがるような言葉にも思いました。

でも、果たして、このような言葉が、自分の子供の時に頭に浮かび、
これらの言葉を鏡にして自分を表現/主張しようとしたことがあるかな?という疑問が浮かんできました。

子供の頃の姿を頭に浮かべ、歴史を思い起こしてみましたが、
少なくとも自分には、そのような経験はなかったように思います。

『固い決心をして、目的を果たしてやろう』

小学5年生の時に、そんなことを思ったことはないように思います。
それが故に人生に成功しない今がある、ということなのかもしれません。

『真理を探究する』

考えてみれば、これは意外と教育の場で利用するには怖い言葉であるな、と思いました。

真理を探究は、言わば常識の破壊につながる革新の要素を秘めていると思います。

つまり、科学的に真理を探究することが、学問の世界で行われる活動の一つなのであれば、
教育というのは、世の秩序、安泰を保つために、人を常識に殻に閉じ込める手段であり、
また、未知を解明し、今ある世界観、哲学を突き崩す道筋を描こうとする手段でもある、となりますでしょうか。

そう言えば、小さい頃に、科学者が迫害された歴史を習うことを思い出しました。

それはともかく、教育に限らず、どのような場であっても、
人は真理を追い求めたくなることは、
良くあることなのかも知れません。

『花さく里』

陽の射す草に座り、ただ、前に広がる郷の風景を眺める。

年輪

月曜日, 1月 11th, 2016
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『それぞれの焼き加減が分かるんだよ。
1段目は、まだ、火が弱めで、
2段目は、初めの余熱で、こんがりと。
そして、最後は、少し間を空けてから焼いた。』

なるほど。

僕は、普段から周りのことを、
何も考えずに、ただ、メシを喰って身体を動かして、寝ているだけなので、
世の中の仕組みに、気がつく可能性は、カケラもないが、
世界に意味を込めて生きている人は、僕の周りにはいるもので、
妻の言う、こんな当たり前の事実の説明に、つくづくと感心した。

そういえば、樹木の年輪も、
月日の歴史を記録する雄大な絵巻物である。
歴史は浅いものの、この食料のレシピが産み出された歴史を含めて考えれば、
このケーキの年輪も樹木の物と同じような厚みを持ったものなのかもしれない。
でも、この積み重ねが、目に見える形で示されなければ、
薄っぺらな詰まらない存在、ということであろうか?

人は何でも、数値で表して、良し悪しを示すことを好む。

但し、それが、周りを理解するためには、一番分かりやすいから、
その方法は否定する余地はない気がする。

そうは言っても、多くの人は、一人の人間としては、
世界で数値のように分かりやすい形でさえも、人前で示され、そして、認識されることもなく、
複雑な自然の中に、溶け込み消えていくことがほとんどであろう。

ところで、これからは、データとして、そして、実体の一部として、
人は、目に見える形で価値を与えられて、
世界で保管されていくの時代が到来しつつあるように思える。

何のために、人は人を見て、
そして、何を想像して、愛し、憎むのか。

今までは、そして、これからは。

ケーキを見て、そんなことを思った。