Archive for 1月, 2014

大相撲

月曜日, 1月 27th, 2014

 

 

先日妻の誕生日祝いで相撲観戦に行った。
 
毎年、夫婦で相撲を見に行くことは、決まった習慣となっている。
 
元々相撲好きの夫婦を自認しており、
普段、相撲に接することのない友人を国技館へと是非にと誘ったことが何度かあるぐらいであったが、
今、我々の家ではテレビを視聴する環境がないため、
入ってくる相撲のニュースは誰が勝ったとか負けたとかいう言葉だけとなり、
自然と相撲は離れていってしまった感がある。
 
相撲に限らずどんなスポーツでも、
いや、スポーツ以外でもそうなのかもしれないが、
テレビで観るのと、直接その現場を見るのは全く異なる。
見る、というよりも観客もその競技に参加している、
という世間に知れ渡る陳腐な言葉というか認識が的を射ているのかもしれない。
 
僕はあまり競技というスポーツに自ら関わったことがないためか、
自然とスポーツを生で見たという経験が人より少ないと思う。
 
 
そのようなわけで僅かな思いが大きく膨らんだ突けばすぐに割れてしまうような思いを語ることになるのであろう。
 
生のスポーツ。
 
僕はハタチの記念で初の海外旅行に行った。
その時の訪問地であるタイの思い出として強く残ったものとしてムエタイを見たことが挙げられる。
 
試合は静かに始まる。
遠くに映る二人のシルエットが淡々と闘いの絵を描く。
聴衆の一人一人が値を定めて賭けはじめる。
参加する人が増え始めるに伴い、
選手が放つキックが相手に当たる度に発せられる掛け声の音が会場の中、膨らんでいく。
一人一人の思いが募り会場が一体となったが如く絵の中に詰め込まれていた躍動が人々へと伝染したが如く最高潮を迎える。
 
昔の思い出でハッキリ正確には思い出せないが、
雰囲気はこんな感じであったと思う。
 
 
 
選手へと目を向けると自分が参加した数少ない経験を思い出す。
 
 
一般市民向けの大会であるがプロの選手も参加していた青梅マラソンである。
友達に誘われて特に練習もなく参加した大会であった。
 
普段走ることを趣味としているわけでもなく、
また練習もほとんどせずに古くなり底の擦り減った靴を履いて
30キロ程の起伏の多い工程のレースに出るのは無謀なことであったようである。
 
足の付け根が折り曲がらんとする動作に恐れを抱きつつ、
自らの意思で終わらせてはならんとゆるりゆるりと足を前に進める。
 
折り返し地点を越えた集団が前に現れる。
 
この大会に出場していたあの有名な高橋尚子が僕の体の2,3倍はあったのではないかと思うと、
そのでかい体とは反比例するようにあっという間に彼女のどでかい目が僕の横を通りすぎていった。
 
所詮僕とは力の気持ちも遠い彼方にある太陽と人との差と同じようであり、
ただただ僕は恐れ入るしかなく感じた。
 
 
 
ジンクスを重んじる。
 
ある頂点に達すると僕は想像するしかないのだが、
努力とは当然のことであり、いまさらの手助けにならないのかもしれない。
プロの野球選手がどちらの足から靴下を履くだのといった儀式を重んじることを読んだことがあるが、
技術の高みに近い場所での争いに差をつけるとするとそんな様式ということになるのかもしれないと思ったことがある。
 
 
 
さて短い本論を述べる前置きが5倍以上のボリュームとなってしまった。
 
 
相撲で土俵入りが無駄であるとか、仕切りが長いといったことを
その武道が見る価値のない退屈な競技である一つの理由として挙げる人がいるかもしれない。
 
お互いの力士が覚悟を決めた瞬間に試合が始まりその戦いが終わるまでの所要時間。
 
 
恐らく試合時間がこんなに短い競技というのはなかなかないのではないだろうか?
 
 
力士が呼び出されてから制限時間になり立会い試合が始まることが多いのかと思うが、
立会いまでの所謂儀式と呼べばよいのか塩をまき蹲踞して仕切り線の前に手を突くことを繰り返す。
大きな一番であればあるほど観衆の声と熱気が増していき、試合が開始されるのを今か今かと待つ。
 
そんなとき背中であろうが自分からいくら遠くにいようが、
「今日は、横綱に勝つな」
と自分の好き嫌いとは別に分かることがあり、
実際にその通りにその力士は圧倒的な力を持って横綱を制してしまった。
 
 
大相撲を見に行った人であれば、何度かそのような経験があるのではないであろうか。
 
 
勝負の始まる直前まで呼び出しがほうきで土俵を掃き清める光景を不思議に思うよりも
立会いからの一瞬で全てが決まるこの競技に思い至ると勝負の瞬間へと思いを籠める力士と
思いを馳せるが如く彼らを見つめる観客に篭る素のどよめきが重なり、時にぶつかり合う形でその場が成立しているような気がする。

立春大吉

日曜日, 1月 19th, 2014

親戚の人に誘われたという他の力を借りて珍しく食事を愉しむ席、日本料理店を訪れた。

 

事前に会の案内に書かれたいた場所の名前をホームページを調べてみると、

「お懐石」という文字が目に入る。

 

懐石という文字をどのように理解すべきであるのかが正直言うとよく分からなかった。

茶の湯の食事であり、会の主が客をもてなす料理であるというようなことが、

ウェッキペディアには書かれていた。

 

何が何だか分からないが、

兎も角普段味わう、また見ていない食事であることは理解して

東京の中心にある新宿、そしてその中心にある料理屋へと向かった。

 

 

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「立春大吉」

 

僕には、今この瞬間にこの言葉でもてなされ、

またその場を共有する人たちとその場を共に味わうとすることが正に適切であるのかの判断をする知識がなかったが、

料理というのは季節であり人生を表現する美として存在し、またさせてようとしているのだということは理解できた。

 

 

年が明け春が訪れる。

その幕開けとその年の幸福を願うと、次に新たな芽が目の前に運ばれてきた。

 

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僕が正しく理解しているのかどうかは分からないが、

恐らくは料理人はある物語を描いているのであろう事を想像した。

 

食器に描かれた「高山寺」という文字を見て、

親戚が給仕に意味を質問する。

 

「鳥獣戯画」

 

もちろんそれは誰もが知ることということなのだろうか。

 

シンプルに返ってきた回答に、どんな漢字かも分からずに「ああ、そうなんですか」と納得をしたように頷いた。

その場でネットで調べてみると、高山寺とは京都市右京区になる寺院であり、

そこに伝わる国宝の絵巻物が鳥獣人物戯画であるとのことであった。

 

知識の有無は別にして食器に描かれる図柄は生生しく、

また食器に添われる匙の描く曲線は人の目を奪う優雅さを有していた。

 

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食事を終え、以後の再会を約束して新宿駅へと向かう。

 

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今日の会話で、和食が世界遺産に登録されたという話題があり、

目の前に広がる美を誇る話題があった。

 

確かにそこには美しさがあり、また人の籠めた息があった。

 

新宿から乗った電車を降りバス停へと向かう。

以前、何度か座ったこと記憶のある中華料理屋を通る。

開いているのかもう閉じてしまっているのか良く分からなかったが、

あまりじっくりとその事実を確認するのを躊躇うがごとく横目に見ながらその場を過ぎ去った。

 

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年越し、新年を迎える

火曜日, 1月 14th, 2014
物理的なものであるのか論理的な創造物であるのか、
はたまたそれは想像物であるのか知りはしないが、
それを越えると年というものが到来するか、もしくはそこへと辿り着くそうである。
「年を越す」
越すというのは
山であったり何かしらの障害物を目の当たりにして発生する動作であったりする
というイメージが個人的にはある。その日の夜が、果たしてその前の日の夜と比べると
どのような差異があるのかは正直言うと僕は理解できていないのだが、
とにかく越えるものとして定義されているようである。
「一般的」
その言葉はとっても不思議な言葉である。
僕が今から言うことが一般的な言葉であるのかどうかは分からない。
兎も角僕の薄っぺらの頭で想像してみると、
恐らくは、例えその本人がそのように過ごした経験はなかったとしても、
その本人は一般論として次の点景を描くことが許可されているのではないかと思う。
「一般の人の典型として日本の大晦日には家族で紅白歌合戦を、
そしてそれが終わるとゆく年くる年を見ながら除夜の鐘を聞き新たな年を迎える」
除夜の鐘というのは 寝床の中遠くに響いているのを、耳を澄まして聞いたことがあるような記憶があるが、
実際に見に行ったようなことがあるような気もするし、
見に行ったことを想像したことがあるだけなのかもしれない。
実際の所、僕が過去に鐘が鳴っている現場を見たことがあるのかどうかは思い出せなかった。

 

大晦日の夜に百八回の鐘を鳴らすというのは、
日本仏教の行事であるようある。

2012年より住み始めた現在の住所の側にはお寺があった。

前の年にはそのときに何を考えていたのかは何の思いでもないが、
大晦日の夜にそのお寺に行かなかったことは覚えている。
今年は折角であるので見に行ってみようかと心に決めていた。
「大晦日」
冬の休みに入ると、
そのタイミングにあわせたように風邪を引いた。
薬の力を借り何とか喉の痛みと鼻から擦り落ちんとする水を止めようと試みたが、
そのまま先へと進みその山を越えなければならないようであった。
人はいつまでその土地にいるかは分からない訳であり、
今年というのか来年というのか正確にはどのように言えばいいのかよく分からないが、
兎も角今回が最後かも知れないと思い、
目だけを空気に触れる格好を整え、僕は外へと出た。
「人間的な全ての気持ち・人らしさを殺す行事」
百八の煩悩を抹殺しようという除夜の鐘というイベントに対し
ある典型を示すものとしてそんな言葉を聞いたことがある。僕は多くの人が集まるものであるとは知らなかったのであるが、
お寺に着くと多くの人がそこに集まっていた。
確かに僕が蒲団から這い出す気持ちは更もなかったが、
両親が初詣と称して近くの神社に行った年があったような気もしたので、
一般的に新年の夜中に路上に人が集まるものだったのかも知れないと思った。恥ずかしながら私は知らなかったのであるが、
除夜の鐘というのは希望者であれば誰もが叩くことができるようであり、鐘に向かって行列ができていた。 

僕がその寺院に着く前から鐘はぽんぽんと鳴っており、
また、僕がそのお寺にいる間も継続してぽんぽんいう音が宙を響いていた。

その鐘へと並ぶ列を見て、果たして百八人目が着たら「はい終わり」とお詫びを申し上げるのか、
新年に当たり全ての希望者の悪の根を断ち切る措置を遂行させてあげるのかのどちらになるのかは興味深かったが、
恐らくは全ての方を受け入れるぐらいのことはするのであろうと思った。
そうはいっても結論を待って見るまでの興味はなかったため、
お寺を離れて次は近くにある神社に行ってみることにした。神社は鳥居を潜り階段を登と境内へと続いている。

「初詣にはコンナに人が来るんだ」

警備員がちらほらと目の前に現れ、
鳥居の前まで辿り着くと、階段には想像だにしない人の行列があった。

上へと進む手段はないかと行列に近づいてみると、

「お参りですか?」

と杖を右手に持つ私を心配してくれたのであろうか警備員より声を掛けられた。

「いや大丈夫です」

何が大丈夫で何が大丈夫でないのかは分からないが、

「興味があるので境内に進みたいたいのですが。。。」

とは聞くのは何だか勇気がなかったのか列を作りお参りをする人を前にしては失礼な気がして、

僕は逃げるようにそこを離れた。
「残念だが家に帰ろうか」神社の裏から境内へと進むことはできる。「その道がもしかしたら今日は閉鎖されているのかもしれないが、
何か見えるかもしれないから念のため行ってみよう。もし中に入れなくても中に入れない事実を見届けておけば後で後悔はしないだろう。」神社の敷地を横に回る坂道を先へと進む。遠くから祭囃子が聞こえてくる。

新年を迎えるときにコンナ音が聞こえてくる光景が広がっていることは知らなかった。

裏口へと辿り着く。

どうやら誰かがそこを遮っているわけではなく、
初詣で並ぶ人の横から境内へと入り込むことができるようであった。

笛の音が響く境内へと近づくと能面を演者が人々の横を舞っていた。

僕にはその拍子と舞がどれだけお参りをする人の心を揺さぶっているのかどうかを想像すると
極めて不思議な光景に見えた。

長らく待った出番が来て神の前でちゃんちゃんと手を合わせると、
だいたいの人は仮面に目を向けることもなく横にして社務所へと向い
絵馬や熊手を買い、また恋人、友達と占いの紙へと笑顔を向けていた。

兎も角、その夜は街に人が溢れていることを知った。
「いや、本当に溢れているのであろうか?」
もう一つ近くにある神社に行く。

 

そこも人の行列があった。この人々は一般なのであろうか?

今この暗闇に浮かぶ家の中、ほとんどの人が外に出て鐘をたたき、またお参りをしているのであろうか?良くは分からないが、若しかしたら殆どの人が家の中にいるのかもしれない。

この僕の目の前にいる人たちが世の中の人の1パーセントなのか、それ以上なのかそれ以下なのか、
どれだけの割合を占めるのかは全く分からないが、
人が輪になり集まることは恐ろしい力を持つ可能性があるかもしれないなあ、と思った。
僕は日常生活で格段に多くの回数に渡りその日に訪れた神社・仏閣を訪れていると思う。
恐らくは今この夜中に姿を現した人の大多数よりも。僕の訪問は参拝ではなく、
ただの散歩であり、また興味本位であるだけなので、
お祈りを重ねた回数は、訪問した回数を比べても仕方なく
何時まで経っても僕はこの人たちに追いつくことはないのであろう。

都心の喫茶店

月曜日, 1月 13th, 2014

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世間でお洒落と言われるところというか、

並んでカフェや食事の場所に入るのが面倒臭いと言うか、

あまり世の中に溶け込むように交じり混むことがあまりないのだが、

珍しくいつになるか分からないが待てという定員の言葉に従い並んでカフェに入ることになった。

 

45分であればと案内された席はソファで両手を軽く広げて座ってゆったりとできる場所であったが、

敢えて並んでゆったりとしたヒトトキを過ごそうというのはよく理解できなかった。

 

周りに座り談笑する女性たちは

ゆったりとした空間を求めてここに現れているのかどうかは知らないが、

いずれにしろここは人気がありインターネットで持て囃されており、

ここに集う人に何かの喜びを与えているのであろう。