Archive for 2月, 2014

ひな祭りとから揚げ

水曜日, 2月 26th, 2014

3月3日

女の子の健やかな成長を願うお祝いの日と言っても、今どきは男の子が喜んで家に帰る日となっているのかもしれない。

旧来は人形に想いを込めるようにして、今は美として崇める対象としても存在はしているものの、

ひな祭りにはから揚げを食することからも分かるように、現在は庶民の粋な心意気を現す行事となっている。

宗教や道徳観に閉じ込められた世界から社会が開花して文明が新たな時代を迎え肉に食らいつくことが許されるようになると、

庶民の時代が到来した。

ある年の3月3日の日、母親は家を守る柱となるべき5歳の娘にどんなお祝いの日を仕立て上げようかと考える。

彼女はふっと庭に出ると庭をバタバタとはためくふっくらした鶏一羽の首根っこを引っ掴み取った。
そして今度は台所の棚からはこれまた新しい食べ物であり、いつか何かのためにと動物から搾り取って貯めていた油の詰まった瓶を取り出した。

肉という新しい栄養満点な食い物を油で揚げることにより、

例え飢饉の時が訪れたとしても、

外で闘いを求める頼りない男達の代わりに彼女は逞しく生き延び次の時代、家庭を支える大きな人間になって欲しいという想いを込めたわけである。

文明時代が訪れ、空虚な思想が打倒されていき、

生活の中、生まれて来る英智が新たなカタチとして今の習慣として構築されてきた。

呑気に休んでいてどうして生き延びることができるんだい?

3月3日のひな祭りが祝日でないのは、

文明開化の結果、庶民生活が投影された行事になったという変遷があったからである。

 

数字の切れ目

月曜日, 2月 24th, 2014
d41d8cd98f00b204e9800998ecf8427e_4.JPG

人の作った、でも何故かその姿が当然当たり前の真理の如く存在しているもの。

ゼロであったり5であったり区切りが良いという数字に一喜一憂する気持ちが分からないというか嫌いだ。

そうは言っても三十歳を越える前後は、
その数値を一つの山として多いに気にしていたし、
超えると何か新しいことが始まったわけではないが、
それを区切りとして意識して行動することは一般的によくあることで、
実際に一つ分け目が存在することはあると思う。

私は山を越える前には果たさなければと、
日本を離れ学生時代より思いを馳せていた土地へと向かい、
その地で三十歳を迎えた。

一週間前、四十となる一つ前の日を迎えた。

何故か自分は自分で一つ何かの儀式を遂行しようと
スーパーでアルコールとツマミを購入した。

別に好みのお酒がある訳ではなく
どれにしようかと眼を左右にギラギラと動かすと素足のデザインが見えた。

人生はまるで旅のようだという陳腐な言葉がよく使われると思う。

三十で何かやり残したことは?

僕は三十前半のある日、
交通事故での怪我のリハビリのため、
保険金で得たお金を使い東京より東海道を歩き始めた。

始めた当初は少し頑張れば、
京都にたどり着くものだと思っていた。

何とか京都まで着くことができれば、自分は杖を投げ捨て歩き始めているような気がしていた。

東京で自分の飲み屋をたたみ、東海道を歩く人と小田原で出会い、
一緒に箱根の山を超えた。

芦ノ湖畔で一泊すると翌朝は雨だった。

芦ノ湖を去る記念として箱根駅伝の折り返し地点のモニュメントに向かい階段を降りようとすると、
足が滑り頭から転落すると血が流れた。

体の不自由である社長の下、彼は働いたことがあるとの話をしていた。

内出血よりも血が流れる方がいいと思いながら頭にバンダナを巻く僕に対し彼は焦ることはなかった。
淡々と僕の行く手を車から守るよう進む彼の絶妙な先導の下、我々は箱根の山を下り沼津へと向かった。

途中で農家を覗く。
作業をする初老の女性に話しかけた。

何かの思いを馳せ東海道を歩く二人。

『我々には呑気に旅なんてするお金なんてないよ』

旅なんて時間のある人しかできない道楽にしか過ぎないのであろう。

その時の同行者は、時間はあったのかもしれないが金はなく野宿していたが、
私はお金を持ちホテルに泊まりながら先に進んでいた道楽人に過ぎなかった。

静岡まで進んだ後、
東京に戻りしばらく就職活動をして職を見つけ、またそのうちに結婚した。

金のかかるけど、特に愉快なわけではない個人的な道楽に何度か彼女に付き合わせる形で
東海道を先へと進み
数年かけて三河安城までたどり着いた。

まだまだ京都までは遠い道のりである。

そんな訳で死ぬまでに二人で京都にたどり着くか判断がつかない状態で三十代が終わってしまったのが、
心残りであった。

この旅は何か満たない歯切れの悪い自分を象徴するようであり、
何ともやり切れない気持が湧いてくるが、少しづつは前へとは進んでいるとは思う。

この先進むのが京都であるのか、
はたまた全く別の目的地となるのか分からないが、
また明日から始まる四十代の月日を先へと進む人生へとしなければと思う。

果物の成る家

月曜日, 2月 17th, 2014

果物が成る家

 

 

果物をぶら下げる木を備える家を見る。

暗い空のなか、月とともに世を照らす光に写ることはないだろうか?

 

僕は夜も昼も果物が成る家の側を通り過ぎるのが好きだ。

 

ひっそりと堂々と隠れる

月曜日, 2月 17th, 2014

壁に隠れるウサギ

壁の影に潜む。

いや、隠れたいけど頭が出てるよ。

どっちにしろ壁から外には出て行かないんだけどね。

親切

月曜日, 2月 17th, 2014
d41d8cd98f00b204e9800998ecf8427e_2.JPG

親切な心。

うっとおしく思うことがあるかもしれない。

余計なお世話であることも多々あるだろう。

彼の都合や気持ちの押し売りのこともあるかもしれない。

 

とりあえず腹が立つだろうけど、 そこは気持ちを抑えるのが世の大人と評価されるのであろう。

タクシー/東京 幸の日の夜

日曜日, 2月 16th, 2014

東京 幸の日の夜

東京 幸の日の夜

東京 幸の日の夜

会社から家は比較的近いこともあり、
タクシーで帰宅した。

タクシーを捕まえるのは苦戦するかと思いきや
会社の前で少し待つとタクシーがやって来た。

こんな雪の日は駅ではタクシーはすぐに捕まらないでしょう

運転手は言う。

個人タクシーは家に帰るでしょ。

お客さんは増えるけど
ゆっくり走るので数は捌けない。

家に帰りたいですよ。

車や人とすれ違うことがないせいか
通常よりも安価で家にたどり着いた。

気をつけてくださいね。

Asian HOT city – Tokyo

日曜日, 2月 16th, 2014

HOT!!!

東洋の熱い街 東京

真相とは何か?

月曜日, 2月 10th, 2014

佐村河内守という名前が出てくるニュースを興味深く読んでいる。

 

最近音楽を聴くことがないし、テレビ媒体に触れることもないので知らなかったのであるが、

佐村河内守という方が聾唖者であり、またすばらしい作曲家であったと評価されていたようである。

 

今となっては、実際に世間でどのように評価されていたのかは、

一度も彼に関する話題を聞いたことがない僕にとっては知る由もないのだが、

いずれにしろ世間で評価されていた人間であったようである。

 

 

 

数値の決め方に何かしらの力なり哲学感が籠められることもあるだろうから、

一概には決めつけることはできないのかもしれないが、

スポーツは数値という評価単位があるので、

人による好みはあったとしても、

そのスポーツ選手の勝ち負けであったり、良し悪しというのは分かりやすい気がする。

 

スポーツはその選手だけではなく、

周りに人とのつながりによって、そこで生じる結果というものが左右されることもあると思うが、

芸術というのは

作り手とそれに触れる人との共同作業でしか成り立たない。

 

 

極端なことを言えばスポーツは選手だけでも成立する。

 

 

一方、芸術はそれを見る人、それを聞く人、それに触れる人により

初めて現実として目の前に物理的に作り出され、評価されるものであり、

作り手の力だけではどうにもならない。

 

 

つまりは、それに触れる人による哲学感を目の前に提示されたものに籠めることにより、

その芸術物の完成し、そしてその評価が決まるわけであると僕は理解している。

 

 

 

そんな訳で佐村河内守という人物や彼を評価していたりする人々を貶したりする言動は、

どうしても僕には理解できないというか非常に面白い。

 

 

 

佐村河内守にどんな理由があったかは僕は知らないし、

それが素晴らしいことであったのか、人々から非難されるべきことであったのかは想像できないが、

結果的には人々に満足のネタを提供していたわけであろう。

 

 

事実は知らないが、

現在、佐村河内守という人物が世の中から非難されている現状を見て想像するに

それを触れたある人々にとっては、

自分の哲学感にフィットした形の美しい、もしかしたら悲しいのかもしれないが、

兎も角自身の琴線に触れるイメージを描くことが出来ていたのであろうと思う。

 

 

佐村河内守のゴーストライターであり学校で音楽を教えている新垣という人物が、

佐村河内守とある人々の間で構築された音楽の姿に異を唱えたそうである。

 

 

「これ以上、自分の大好きな音楽で世間を欺き続けたくない」

 

 

どのような旋律を描けば、人を欺くことのない理想的な音楽というものが出来上がるのであろうか?

 

 

 

いずれにせよ楽しめないでいる参加者がいた時点で、彼の作品はすでに終わりを迎えていたのかもしれない。

 

 

モスクワ 地下鉄通路のオーケストラ

地下鉄通路のオーケストラ/2006年モスクワ

 

2月の東京

日曜日, 2月 9th, 2014

 

何十年ぶりかの大雪であったそうだけど僕は信じない。

去年の一月の方が大雪だった。

 

外に出たタイミングの違いかもしれないけど、

きっと去年の方が大雪であったに違いない。