数字の切れ目

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人の作った、でも何故かその姿が当然当たり前の真理の如く存在しているもの。

ゼロであったり5であったり区切りが良いという数字に一喜一憂する気持ちが分からないというか嫌いだ。

そうは言っても三十歳を越える前後は、
その数値を一つの山として多いに気にしていたし、
超えると何か新しいことが始まったわけではないが、
それを区切りとして意識して行動することは一般的によくあることで、
実際に一つ分け目が存在することはあると思う。

私は山を越える前には果たさなければと、
日本を離れ学生時代より思いを馳せていた土地へと向かい、
その地で三十歳を迎えた。

一週間前、四十となる一つ前の日を迎えた。

何故か自分は自分で一つ何かの儀式を遂行しようと
スーパーでアルコールとツマミを購入した。

別に好みのお酒がある訳ではなく
どれにしようかと眼を左右にギラギラと動かすと素足のデザインが見えた。

人生はまるで旅のようだという陳腐な言葉がよく使われると思う。

三十で何かやり残したことは?

僕は三十前半のある日、
交通事故での怪我のリハビリのため、
保険金で得たお金を使い東京より東海道を歩き始めた。

始めた当初は少し頑張れば、
京都にたどり着くものだと思っていた。

何とか京都まで着くことができれば、自分は杖を投げ捨て歩き始めているような気がしていた。

東京で自分の飲み屋をたたみ、東海道を歩く人と小田原で出会い、
一緒に箱根の山を超えた。

芦ノ湖畔で一泊すると翌朝は雨だった。

芦ノ湖を去る記念として箱根駅伝の折り返し地点のモニュメントに向かい階段を降りようとすると、
足が滑り頭から転落すると血が流れた。

体の不自由である社長の下、彼は働いたことがあるとの話をしていた。

内出血よりも血が流れる方がいいと思いながら頭にバンダナを巻く僕に対し彼は焦ることはなかった。
淡々と僕の行く手を車から守るよう進む彼の絶妙な先導の下、我々は箱根の山を下り沼津へと向かった。

途中で農家を覗く。
作業をする初老の女性に話しかけた。

何かの思いを馳せ東海道を歩く二人。

『我々には呑気に旅なんてするお金なんてないよ』

旅なんて時間のある人しかできない道楽にしか過ぎないのであろう。

その時の同行者は、時間はあったのかもしれないが金はなく野宿していたが、
私はお金を持ちホテルに泊まりながら先に進んでいた道楽人に過ぎなかった。

静岡まで進んだ後、
東京に戻りしばらく就職活動をして職を見つけ、またそのうちに結婚した。

金のかかるけど、特に愉快なわけではない個人的な道楽に何度か彼女に付き合わせる形で
東海道を先へと進み
数年かけて三河安城までたどり着いた。

まだまだ京都までは遠い道のりである。

そんな訳で死ぬまでに二人で京都にたどり着くか判断がつかない状態で三十代が終わってしまったのが、
心残りであった。

この旅は何か満たない歯切れの悪い自分を象徴するようであり、
何ともやり切れない気持が湧いてくるが、少しづつは前へとは進んでいるとは思う。

この先進むのが京都であるのか、
はたまた全く別の目的地となるのか分からないが、
また明日から始まる四十代の月日を先へと進む人生へとしなければと思う。

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