年輪

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『それぞれの焼き加減が分かるんだよ。
1段目は、まだ、火が弱めで、
2段目は、初めの余熱で、こんがりと。
そして、最後は、少し間を空けてから焼いた。』

なるほど。

僕は、普段から周りのことを、
何も考えずに、ただ、メシを喰って身体を動かして、寝ているだけなので、
世の中の仕組みに、気がつく可能性は、カケラもないが、
世界に意味を込めて生きている人は、僕の周りにはいるもので、
妻の言う、こんな当たり前の事実の説明に、つくづくと感心した。

そういえば、樹木の年輪も、
月日の歴史を記録する雄大な絵巻物である。
歴史は浅いものの、この食料のレシピが産み出された歴史を含めて考えれば、
このケーキの年輪も樹木の物と同じような厚みを持ったものなのかもしれない。
でも、この積み重ねが、目に見える形で示されなければ、
薄っぺらな詰まらない存在、ということであろうか?

人は何でも、数値で表して、良し悪しを示すことを好む。

但し、それが、周りを理解するためには、一番分かりやすいから、
その方法は否定する余地はない気がする。

そうは言っても、多くの人は、一人の人間としては、
世界で数値のように分かりやすい形でさえも、人前で示され、そして、認識されることもなく、
複雑な自然の中に、溶け込み消えていくことがほとんどであろう。

ところで、これからは、データとして、そして、実体の一部として、
人は、目に見える形で価値を与えられて、
世界で保管されていくの時代が到来しつつあるように思える。

何のために、人は人を見て、
そして、何を想像して、愛し、憎むのか。

今までは、そして、これからは。

ケーキを見て、そんなことを思った。

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