決められた選択肢から選んだ個性を描いたような点は、少し気にはなりましたが、
名前を書く欄の幅なんて、後で考えれば良いこと。
そんな風に描かれた文字の若々しさと不器用さに惹かれました。
『固い決心、真理探求、花さく里』
初めは、如何にも子供が選びたがるような言葉にも思いました。
でも、果たして、このような言葉が、自分の子供の時に頭に浮かび、
これらの言葉を鏡にして自分を表現/主張しようとしたことがあるかな?という疑問が浮かんできました。
子供の頃の姿を頭に浮かべ、歴史を思い起こしてみましたが、
少なくとも自分には、そのような経験はなかったように思います。
『固い決心をして、目的を果たしてやろう』
小学5年生の時に、そんなことを思ったことはないように思います。
それが故に人生に成功しない今がある、ということなのかもしれません。
『真理を探究する』
考えてみれば、これは意外と教育の場で利用するには怖い言葉であるな、と思いました。
真理を探究は、言わば常識の破壊につながる革新の要素を秘めていると思います。
つまり、科学的に真理を探究することが、学問の世界で行われる活動の一つなのであれば、
教育というのは、世の秩序、安泰を保つために、人を常識に殻に閉じ込める手段であり、
また、未知を解明し、今ある世界観、哲学を突き崩す道筋を描こうとする手段でもある、となりますでしょうか。
そう言えば、小さい頃に、科学者が迫害された歴史を習うことを思い出しました。
それはともかく、教育に限らず、どのような場であっても、
人は真理を追い求めたくなることは、
良くあることなのかも知れません。
『花さく里』
陽の射す草に座り、ただ、前に広がる郷の風景を眺める。