スーパーで、初老の男がレジ女性に、何度も同じ言葉を連呼しながら、質問していました。
『菖蒲はあるか?』
若い女性は、質問の意味が分からないのか、後ろのレジを担当していた年配の女性店員に助けを求めると、
即座に『ありません』との返答がありました。
僕は、毎日、『何曜日であるか、休日であるのかどうか』、が分っているぐらいで、
その他は何も理解していません。
自宅に帰り、『こどもの日』を調べてみると、
その日は、端午の節句(中国由来し日本に定着した、季節の節目(端午=5月5日)を祝う)、
別名では、菖蒲の節句(端午の節句に、邪気を祓うために菖蒲を飾ったりする)と言われている、と書いてありました。
確かに、調べるまでもなく、そんな言葉は、小さい頃からよく聞いてきたことですね。
端午の節句・菖蒲の節句が、こどもの日と直接どのように関係があるのかは正確には理解できていませんが、
菖蒲というものは、武士の時代、『菖蒲=勝負』という語呂合わせで、
厄払いの意味だけではなく、子供への強い男性になって欲しいという願いを重ね合わせて、
縁起の良い物であったようです。
また、男子の節句として定着する過程において、子の立身出世を願い激流を登る鯉を掲げて祝うようになったようです。
多くの人が、子供の日に、どのように子供を祝っているのかは、正直知りませんが、
このようなお祝いは、親から子供への一方的な押し付けを含む思い、であるのだと思います。
ところで、今日、スーパーで買ったお寿司を食べました。
スーパーのお寿司売り場では、『こどもの日』ということで、
盛んに祝うためのちらし寿司のプラスチックケースを、山盛りに積んでいたり、
ごちそうメニューとして、おすすめをしたり、といった感じで盛況でありました。
何箱もお寿司を抱えたお母さんがレジに向かっていました。
人の自由がきれいな言葉として尊重される今の世の中。
我が子の健康やたくましい成長や出世を、親の強い思いとして、我が子に投影させようとする傾向は、
今よりも、昔の方が強かったのではないか?と想像しましたが、どうでしょうか。
多様化する価値観の中、親の思いを伝えるのは、以前より難しい世の中なのかもしれません。
実際のところは、残念ながら、何も知りませんが。
また、分業化が進み、商業的に生産されたものを利用して生活する世界においては、
人生で人の思いや生き方が、親から子に伝わる過程で、
世代をまたぐ知の伝承と発展への要素と力は、
もしかしたら、歴史的に両親の中に養われて来た素地の中から生じるものよりも、
生産者や販売者の意図により養われる部分が大きいかもしれません。
生産者や販売者は、他人の子供の健康や立身出世を願うよりも、
営業利益と自分の家族の生活を考えて行動していると思いますが、
僕のように、歴史や常識を何も知らない人間であれば、スーパーに飾り立てられた雰囲気を感じ取り
『スーパーが祝え、と言っているようだから、とりあえず、寿司でも買って祝おうか』
と行動を決めることもあるかもしれないと思いました。