5月 4
つつじの花は、もう、だいぶ枯れていた。
それでも、遠くから眺め見ると、誰かを納得させる力は持っているような気もするし、
折角来たことの意義をお互いに納得しなければならないためか、
『もう少し早い時期に来れば、どんなに見事であったのだろうね』
といったような言葉を投げ交わす人々と、何度かすれ違った。
わざわざ、そんな理解を、みんなで共有する必要はないかと思うが、
何故だか、気持ちが落ち着かないのかもしれない。
『花の命は短い』
こんな言葉をよく聞くが、人の生活を花に例えると、なるほど、分かり易いのかもしれない。
成功を得られるチャンスは、ほんの一時であり、その時期を逸してしまえば、
枯れた花が、そのままの美しさを二度と再現できないのと同じように、
去ってしまった時間と、そこで得られるはずの幸せを掴むチャンスを、取り戻すことはできない。
害虫や気候の影響により、一年経っても、以前と同じ美を持つ花を咲かせてはくれないことがあるように、
再び到来した機会は、昨年と同じ意味を持つとは限らない。
だから、『今のこの瞬間を、必死に生きるしかない』、と人は思うのであろうか?
春の桜。
僕は、その花よりも、その幹に生える若葉の方が、いつも魅力的に見えているのだが、
今日、枯れたつつじの花の間に残る新緑の色が美しく見えたのは、
それを将来の希望の印として、目の前に描きたいからであろうかな?と想像した。