2012年12月31日/東京、牟礼~井の頭公園~吉祥寺

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洗濯もして、部屋は掃除機もかけ

風呂場はモップで磨き、

植物には水もやった。

 

これで一年を終えることになっても、文句を言われる筋合いはないだろう。

 

何か忘れたことがあるような気がする。

 

年賀のお菓子はすでに届いて準備万端ではある。

そんな体裁だけではなく、お酒とか場を和ませる手土産は必要ないのか?

そう言われれば言い返す論理は僕にはない。

その通りである。

 

地図を見る。

 

三鷹市牟礼から吉祥寺へは意外と徒歩でも近いようである。

 

以前、暗闇の中、徒歩で自宅へと歩いたときは、

何度も何度も同じ場所に戻ることになり、

僕にはこの道は何だか合っていない、

と判断していたわけだが、

まあ悪くはない道もありそうであった。

 

そのようなわけで、

明日、元旦の実家の手土産を買いに

吉祥寺へと向かうことにした。

 

地図に示された通りの道を進む。

 

「井の頭公園通り」

 

何度も目にしたことのある道ではあるが、

その名前を初めて知った。

吉祥寺は井の頭公園のすぐそばにある。

確かに目的地へとは順調にたどり着けそうである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ある郵便局の前。

書初めなのかよくは知らないが、

小学生が描いたのであろうか、習字で書かれた文字が飾られている。

 

それぞれの思いも違い、描される言葉も異なる。

無知な僕には分からないことも画いてある。

 

そういえば、同じ言葉が書かれている紙もあるな。

誰かが飾ることの許されたあるべき姿、許容できる姿を提示したのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鳥居の横を過ぎる。

 

お地蔵さんという道のあちらこちらに立つ偶像は、

僕にとっては分かりやすい存在であるように勝手に思っているが、

神社という物理的構造物は、

どこにでもある身近な存在でありながら、

僕にとっては謎の多い不可思議な存在である。

無知と言われればそれで終わりなのだが、

どうしても政治的構造物としか理解できない。

そうは言っても、

それが土着のものとして根付いたのであれば、

自分の一部となるのであり、ただ肯定するしかないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

井の頭公園に着いた。

これで、目的地である吉祥寺には、

もう着いたようなものだ。

 

 

 

 

 

 

 

横に逸れる必要はない、後悔する必要はない。

ただ目的地へと向かい真っ直ぐに進めばよい。

 

そうと思いながら真っ直ぐではなく、右へと公園の池のあるほうに足を向けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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