ball

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「松井秀喜引退」、というニュースがある。

 

昔は野球好きであり、

スポーツをラジオで聞くというてんで理解のできないことを

学生時代にはしていた記憶もある。

 

今の事情は全く知らない。

 

昔を懐かしんでということであろうか、

少しその松井の引退に絡んでニュースを見ているうちに

野茂の動画を見るというように手は動いていた。

 

野茂が投球する。

「ball」

と審判の声。

 

「そういえばボールってどういう意味?」

 

英語であると思うが、

もしそうであれば、それは「ball」というスペルであると想像するが、

それは勝手な思い違いであろうか。

 

ballとは、

まさにその野球という球技自身で利用される

硬くまん丸の物体であり、

ある人が投げその物体を、

それを迎える形である人が立ち棒を持ち引っ叩く対象となるものであろうか?

 

もし、僕が間違っていないのであれば、

「ball」というのはその野球という事象の一つの中心となる要素である。

それをstrikeに対する一方であり、

見逃す対象とする

という言葉の使い方をしているということになるのであろうか?

 

野球帽を被っていたのかどうかは忘れたが、

いずれにしても、授業の後、バットを振り回していた時代がありつつ

たとえ、その場が授業後の路上や小さな公園でこじんまりと開催される催しであったとしても

心をこめて心を、体を動かしていた時代があったはずの私。

 

たとえ、それが公園での単なる遊びであったとしても

その私が、今になって何故そんなことに、分かっていないことに気づくのであろうか?

 

分かっていないのは事実であり、仕方ない。

 

今、考えてみる。

 

「ball」、それはまさに本質であり、

あまりその本質は、うっとおしくもあり、

大多数の幸せを妨げる必要はなく、

語るべきではなく、はずれ物として除外すればよい。

 

「ball」、それは「strike」される価値もない

成長のかけらも感じられない物体。

 

「strike」されれば、ある見せ場はあるわけであるが、

それはただの「ball」でしかなかった。

 

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