久しぶりに自分のPCの音楽のフォルダを眺める。
Faye Wongを発見。
昔、聞いたな、と思い出し一曲聴き始めた後、
何故だか彼女の曲を先へと聴き進めるのではなく、
そういえば、と思い出したのがFaye Wongと時期によく聞いていたこの曲。
「祝你平安」
(http://www.youtube.com/watch?v=_41Pj5u2-TI)
さほど難しい歌詞ではないと思うが、
残念ながら、今の僕が聞くと
はっきりと理解できない箇所が多々あり。
ぼんやりと理解を口にするのであれば、
今は遠くにいるあなたの幸せを、平和な生活を祈る歌でしょうか。
間違っているかもしれませんが。
「あなたはまだ収入少なく、出費の多い生活を送っているのでしょうか」
こんな風に、あなたを思い描く場面があり、
それには思わず笑ってしまいました。
ただ、これは自分の生活を基準とした見方なんだろうと思い直しました。
給料少ないわりには、外食もするし、
気軽にお酒を飲んでしまったりしているしようもない自分への中傷。
自分の少ない稼ぎで、
家族を、親戚を何とか支えている姿のあなたを思い起こしているのかもしれない。
中国で宿泊したゲストハウスの相部屋で知り合った男性を訪ねに
農村に行ったことがあります。
彼が書いてくれた住所の紙を右手に、
その腕を突き出し、
その辺にいる男たちにそこに書かれている場所への行き方を尋ねると、
「親戚を訪ねに、探しているのか?」
と聞かれました。
音楽は人と人とをつなぐ架け橋となる力を持つようなことはよく言われます。
本質的なところでは、
無理解・誤解での交流を構築させる怖さがあると思っていますが、
一つのきっかけとして、大きな力を持っているのでしょう。
使い方は気をつける必要があるのはもちろんのこと。
人と人をつなげるのは必ずしも相互理解とは限らないと思います。
何故だか肯定的な感触を抱いているだけのことが、
秩序であったり、一つの集まりを作り出す助けになるでしょうから、
意外と社会全般としたら無難なことであるのでしょう。
そんなわけもあり中国の曲を紹介しました。
秩序とは関係ありませんが、
哲学的な感情とは違うものを媒体としたつながりのきっかけになるかもしれません。
もしかしたら、お互いに全く理解していないかもしれませんが。
ところで、先週の家に招いた友達が、
日本と中国の関係はよくなるはずだと力説していました。
彼が言うには、
「中国と日本の長い歴史の中では、友好の時間がほとんどである。
今のいがみ合いは、長い時間の中で見ればほんの100年超のこと」
僕は別に国という言葉に憎しみやら好みやらを持つ感覚は有しないのですが、
そういう見方はいいな、と思いました。
出稼ぎのため息子が故郷を離れているあの農村の男が、
僕を無理解な人間と評しながらも
僕に一時の住居を与え、
去るときには再来を呼びかけてくれたことを思い出しました。
http://www.broken-robot.com/ja/c_red.html