夏季休暇を利用して、7月下旬から松江に5泊して旅行した。
来待川の東岸に接する来待石の崖に112対の仏像が彫り込まれているのが見られます。これを地元では昔より久戸千体地蔵と呼んでいます。それぞれの像は、高さがおよそ50cm前後で浮き彫りされています。それが、なぜ、ここに彫りこんだのかがよく分かっていません。しかし地蔵信仰が盛んになる室町時代から江戸時代の間、ここに生きた人たちの信仰によって彫りこまれていったのは間違いないでしょう。
「出雲国風土記」による大国主命(オオクニヌシノミコト)が狩りに出かけたとき、イノシシと、それを追いかけた猟犬が石になったといわれており、その2つの石が石宮神社にあります。
■前書き
2013年8月の落雷により自宅サーバーが立ち上がらなくなった。
費用や今後のメンテナンスの手間を考えた結果、
VPSレンタルサーバを利用することに変更した。
レンタルサーバで提供していたDebian/GNU Linux(squeeze 6.0.7)をインストールするとともに、
ハードディスクは壊れていなかったため、データの復旧作業を行った。
ここではバージョンアップやインストール先フォルダを変更のため
復旧に手間のかかったWordpressについてインストール手順を記録したい。
注)
個人的な記録であり誤りがある可能性があることもご承知下さい。
もし、誤り等があれば御指摘頂ければ幸いです。
■前提条件
マルチドメイン:サイトA(blog.aaa.com)、サイトB(blog.bbb.com)を作成
<WordPressバージョン>
(更新前)
3.3.2
(更新後)
3.5.2
以下更新後バージョン
2.2.16-6+squeeze11
5.3.3-7+squeeze17
5.1.66-0+squeeze1
■参考
Wordpressインストールには、
インストール時の説明ドキュメントを参照することをお奨めする。
/usr/share/doc/wordpress/README.Debian
/usr/share/doc/wordpress/examples/apache.conf
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(1) WordPressのインストール
sudo aptitude install wordpress
sudo chown -R www-data /var/lib/wordpress/wp-content
(2) WordPressのデータベース作成
データベース作成用のスクリプトが準備されているので、
それを利用して作成
cd /usr/share/doc/wordpress/examples
sudo gzip -d setup-mysql.gz
sudo chmod a+x setup-mysql
▲サイトA用のデータベース作成
sudo bash /usr/share/doc/wordpress/examples/setup-mysql -n wp_aaa blog.aaa.com
▲サイトB用のデータベース作成
sudo bash /usr/share/doc/wordpress/examples/setup-mysql -n wp_bbb blog.bbb.com
(3) WordPressの設定ファイル
日本語表記が必要であれば、設定ファイルに次の行を追記
○追加する設定
define(‘WPLANG’, ja);
○設定ファイル
/etc/wordpress/config-blog.aaa.com.php
/etc/wordpress/config-blog.aaa.com.php
=================
(4) WordPressインストール後の設定
README.Debianを参考に次の設定を行った。
▲サイトA
①プラグインのシンボリックリンクの削除
sudo mv /srv/www/wp-content/blog.aaa.com/plugins /srv/www/wp-content/blog.aaa.com/plugins.old
②削除したリンクの代わりにプラグインのフォルダを作成
sudo mkdir /srv/www/wp-content/blog.aaa.com/plugins
③テーマのシンボリックリンクの削除
sudo mv /srv/www/wp-content/blog.aaa.com/themes /srv/www/wp-content/blog.aaa.com/themes.old
④削除したリンクの代わりにテーマのフォルダを作成
sudo mkdir /srv/www/wp-content/blog.aaa.com/themes
⑤作成したテーマフォルダにデフォルトテーマへのシンボリックリンクを作成
sudo ln -s /var/lib/wordpress/wp-content/themes/index.php /srv/www/wp-content/blog.aaa.com/themes/index.php
sudo ln -s /var/lib/wordpress/wp-content/themes/twentyeleven /srv/www/wp-content/blog.aaa.com/themes/twentyeleven
⑥作成したフォルダのパーミッションを変更
sudo chown ftpユーザ名:www-data /srv/www/wp-content/blog.aaa.com/themes
sudo chown ftpユーザ名:www-data /srv/www/wp-content/blog.aaa.com/plugins
⑦設定ファイル(/etc/wordpress/config-blog.aaa.com.php)に次の記述を追記
define(‘FS_METHOD’, ‘direct’);
▲サイトB
サイトAと同様の設定を行う。
(5) Apache設定
apache.conf(/usr/share/doc/wordpress/examples/apache.conf)を参考に
サイトA、Bでそれぞれ次のような内容で設定ファイルを作成。
=========
ServerAdmin webmaster@aaa.com
ServerName blog.aaa.com
DocumentRoot /var/www/wordpress
DirectoryIndex index.php index.html
Options FollowSymLinks
Order allow,deny
Allow from all
Alias /wp-content /srv/www/wp-content/blog.aaa.com
Options FollowSymLinks
Order allow,deny
Allow from all
ErrorLog ${APACHE_LOG_DIR}/wordpress-error.log
# Possible values include: debug, info, notice, warn, error,
# crit, alert, emerg.
LogLevel warn
CustomLog ${APACHE_LOG_DIR}/wordpress-access.log combined
=========
新規のインストールであれば、
それぞれのサイトを有効化(a2ensite)すれば、インストール完了となると思われる。
それぞれのアドレス
・サイトA(http://blog.aaa.com)
・サイトB(http://blog.aaa.com)
今回は、壊れた既存のサーバーPCのハードディスクからのデータ復旧もあるため、
以下に大まかな内容を記述する。
(6) データ移植
■必要なデータ
①既存の設定ファイル
→ config-blog.aaa.com.php、config-blog.bbb.com.php
②既存のデータベース
→ 「/var/lib/mysql/」にある移植したいデータベース
→ 今回の例であれば、次のディレクトリ
・wp_aaa、wp_bbb
■移植概要
①データベースの復旧
既存のデータベースを次のディレクトリ配下にコピーする。
ディレクトリ:/var/lib/mysql/
②権限の修正
コピーしたディレクトリ、及びそのファイルの権限を次の設定となるように修正する
所有者:mysql
グループ:mysql
ディレクトリwp_aaa、及びwp_bbbの権限:700
ディレクトリのファイルの権限:660
③データベースパスワードの設定
既存の設定ファイル(config-blog.aaa.com.php、config-blog.bbb.com.php)を見て
mysqlでデータベースのパスワードを設定する
mysql -uroot -p
use wp_aaa;
grant select,delete,update,insert on wp_aaa.* to wp_aaa@localhost identified by ‘設定パスワード(*1)’;
*1 設定ファイル(config-blog.aaa.com.php)の次の箇所に記述されている設定パスワードのこと
define(‘DB_PASSWORD’, ‘設定パスワード’);
処理を行った後に、mysqlサービスを再起動。
メモ)
個人的には、念のため設定ファイルの「SECRET_KEY」という設定項目も既存のキーに修正した
④データベースの修正
既存と新規のインストールフォルダ等の構成が異なったため、
次のソフトウェアをインストールして新規環境に合わせてパラメータを修正した。
・phpmyadminのインストール
sudo aptitude install phpmyadmin
・データベースパラメータの修正
インストール後、ブラウザでphpmyadminのアドレスにアクセス
→ それぞれのデータベース(今回の例では、wp_aaa、及びwp_bbb)で次のテーブルのパラメータを修正
○テーブル名:wp_options
○修正対象:サイトのアドレスやupload_path等、新規にインストールした設定とあっていないパスを修正
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チケットを二枚もらった。
正確に言うと興味はなかったが、
捨てるのは勿体ないので引き取ったということになる。
—-
菊地成孔「あなたの前の彼女だって、むかしはヒョードルだのミル コだの言っていた筈だ」刊行記念
あなたに前の彼女がいなくても、PRIDEもK-1 も無くなっていた筈だ
http://tcc.nifty.com/cs/catalog/tcc_schedule/catalog_130629204292_1.htm
—-
自由に話すのでと、
「つぶやき(tweet)禁止」とのこと。
僕には理解できないトークがほとんどで、
つぶやき情報を漏れ流すことはできない。
但し興味深い発言もいくつかあった。
正確には思い出せないので、
自分の言葉で理解した内容を伝えることしかできないが、
その中のひとつを紹介したい。
裏話は推測だから嫌いで、
物理量で物事を話すのが好きだと、
企画した店側の予想に反し、
満員どころか席に余裕のある今回の聴衆の数や
いつもとは異なる男女比や客層(雰囲気)に対し、
自分のこのイベントに対して取った宣伝アクションを自己評論していた。
そんななか、プロレスへの愛着を込めてであろうか、
「痛みの物理量は人には伝わらない」
といったようなことを何度か言っていた。
とても含蓄に富んだ言葉に聞こえた。
午後三時ごろであろうか。
少々身体の調子が悪かったこともあり、 家とスーパーの行き来だけで土日が過ぎ去ろうとしていた。
「今日は七夕らしいけど、一日部屋で完了していいのかな?」
自分にしては、この土日は最低限必要でやらざるを得ない洗濯機のボタンを押して、しばらくしたらその機械の中から服を取り出して棒に引っ掛ける作業だけでなく、 浴室の防カビ剤を購入して使用したので、自分としては家事が好成績で完了したような気がする。 これを以って合格としようか。今まで、七夕で何かしたことも、考えたこともないし。
さて、妻が実家に帰っているので、 来週の食事はどうしようかと考えてみる。
野菜が足りないことに気がつき、どうやら外に出てスーパーに行くのが無難であるようである。
もう、夕方であった。
スーパーは暗くても問題ない。 僕には七夕と神社の関連性の有無は知らなかったが、 とりあえず近所の神社に向かった。
神社の境内にある七夕の説明冊子を見る。
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夏の行事を楽しもう! 七夕(たなばた) 7月7日
七夕は食物の成長を感謝する収穫祭と、 お盆に棚機女(たなばため)と呼ばれる娘が御霊の 衣服を織り棚に備え、村の穢れを祓う という二つの行事に由来しています。 この二つに、大陸から伝わった 織姫(織女星(しょくじょせい))彦星(牽牛星(げんぎゅうせい))が 一年に一度だけ天の川を渡って会えることが 許されるという「星まつり」と、 織物上手だった織女星にあやかり裁縫の上達を 願う行事「乞巧奠(きこうでん)」が合わさって、 現在のようなかたちになりました。
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この説明は、僕には正直理解できないことが多くありインターネットで調べてみたが、 依然としてさっぱり分からないため、今後の宿題としてみたいと思う。
それで終わってもいいのだが、とりあえず、今回は今日の段階で一つだけ感じたことを述べておきたいと思う。
「ウェキペディア フリー百科事典」で七夕について見てみると、 短冊に願いを飾る風習の起源について、次のように記述されている。
「夏越の大祓に設置される茅の輪の両脇の笹竹に因んで江戸時代から始まったもの」
(ウェキペディア フリー百科事典 七夕より)
インターネット上でほんの少しだけ検索して程度では、 夏越の大祓(おおはらえ)と七夕を関連づける根拠等は他には見つからなかった。
そこで、関連付けるのは止めて、基本的に僕が理解していない大祓に着目してみる。
正確にはどのように定義すればよいのか分からないので、 結論だけ簡単に言えば、 大祓とは誰もが時の経過と共に蓄積されていく汚れを祓う行事であり、 そこで身を清らかなものとするために茅の輪くぐりを行うそうである。
また、ここでは、ある神社の大祓の説明を紹介しておきたいと思う。
「夏越の大祓」「七夕」という二つの単語でGoogle検索すると、 始めに出てくるのがこの神社、遠野郷八幡宮であるが、 そこにはこんな説明が記述されている。
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夏越大祓はこれから始まる暑い夏を無事に乗り切れる様、祈る行事です。 本殿前に設置された茅の輪を「みなづきの 夏越の祓 する人は 千歳の命延ぶというなり」「蘇民将来」と唱えながら3周します。 罪穢を祓う人形流しも行われます。茅の輪と人形は6月中旬に設置され、毎年、6月30日の夕刻には大祓詞奏上が行われます。
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この文章を読んで、始めは安易な説明と感じてしまった。
ただ、少し考えると、 この行事について何も知らないので想像しただけに過ぎないが、 この説明は難解な言葉の定義よりも適切な内容であるかもしれないと思った。
難しい言葉を利用せずに説明すれば、 まさに「これから始まる暑い夏を無事に乗り切れる様、祈る」行事なのであろう。
おそらく、これは人の生活から産み出される様々な他の行事と全く同じなのではないだろうか?
実りを待つ人、 豊作を願い、この夏が無事に乗り切れることを願う。
そして人には軽く飛ばされてしまうような願いがいくつもある。 全てをひっくるめて、何卒上手くいきますようにお願いしよう。
ところで短冊の願いを見て少しばかり驚いたことがある。
自分自身や家族に向けての願いと共に、世界の平和・安全の願いがいくつも見られたからである。
もしかしたら自分が七夕を無視して、短冊を見ていなかったので知らなかっただけのことであり、 昔から、人の願いとしてこれは変わらないのかもしれない。
経済的には世界は統合され、否応なしに生存のための一つの共同体であっても、 心は離れたまま、というのが現実であると思う。 でもそれは僕の定規で測った勝手な見方であり、 他の人たちは少しずつでもお互いに近づいていっているのかもしれないと思った。
人を思い、自分の意思では初めて願いを結びつけてみたが、 やはり、自分は外へと自然と発散される自分以外の人への思いが欠落しており、 自分以外の優しさを前に、人を自分の定規で定義する自分の傲慢さを恥ずかしく思った。
と捕まるための棒を水の底へと打ち付けようとしたのかもしれない。
すぐに揺らいでしまう頼りないものではあるが。
人生には、多くの災いが起こる危険性が高くなる期間が何度かあるそうだ。
その期間は年齢と定義された数値で示すことができ、それを厄年と呼ぶそうである。
また、その年を本厄とも呼ぶそうで、
その前後一年をそれぞれ前厄、後厄と名付けた。
やはり危ないのかもしれないと言う一年となるそうである。
人の生活の便宜上作られ、利用される時の流れの区画の呼び方に従い災いが現れ、
その枠が過ぎ去ると危機は脱するという非論理性を打ち消すために、
災いと言うのは人によりもたらされるものもあるし、
また少し横路に逸れるが、太平洋を上から見下ろす位置にある白須賀宿という宿場を訪ねたことがある。
人の選んだ道に従い、いずれにしろその場では、何かしらの災いは発生してしまい、
それとどのように付き合うのか考えていくことになるのであろう。
さて、前置きが本文を食わんとする長さとなったが、
僕は早生まれであるが、
他の同級生より厄払いに行ったという情報を聞きつけると即座に厄払いを行う決断をして、
隣に座る僕には、「お前にはまだ早いけど取り敢えず見ておけ」、と僕に同行するようにと駆り立てた。
厄年、厄除けとは何かという常識が私にはないため、
神社に行ってお祓いでもしてもらうのかと思っていたが、それは間違いであった。
ところで、今回は、話の流れで行く場所が落ち着いたが、
想像するには、おそらく、厄払いを行うと宣言するところへ、それを信じてもよいと人が思えば、
厄除けのできる場所という合意事項がなされ、その儀式が遂行されるのであろう。
高幡不動尊では、
敷地内は見事な庭園などもあり、
また今は「あじさいまつり」が開催されており観光客であろうか多くの人が集まり、
出店屋台が並んでいる落ち着いてはいるが、少しばかり賑やかな場所であった。
「御護魔の時間です、お集まり下さい」
御堂の中に人が集まる。
護魔料を捧げる人のため、儀式が執り行われるのであろうが、
一般の人が同席してもよいようであり、
友達の手に誘われるがまま、靴を脱いで御堂へと足を踏み入れた。
音楽のように心へと響く祈りの声と決められた締めタイミングで流される楽器の音の中。
そして、祈りをささげながら、煩悩に見立てた薪を焼き尽くし灰にしていく。
昔、ある本で次のようなことを読んだことがある。
「プロスポーツ選手は、縁起を担ぐことが多い。
最高レベルが集結した中で、群を抜くにはあとは論理を超えた取り組みしか手がない」
そのときは、そうかもしれないと納得したが、
実際は、現実の生活でも同じことであり、どのレベルにいるかという差別はなく、
誰もが同じように解決できない世界の中、ただ「どうしようか、どうにもならないよね」、と立ち尽くすだけの瞬間があるのかもしれない。
この儀式自体は、紀元前のインドバラモン教の儀式が起源であるそうである。
今、この場に静かに座り儀式を眺め、時に手を合わせる人々の心中は分からないが、
いずれにしろ、長い歴史で消えることなく、
世界の有様を定義する宗教と風習の混ざり合ったこの儀式が、
ただ、同じことが同じように伝承され、また横へと繋がっていくわけではないのであろう。
それを説教と言えばよいのか、僕には言葉の定義を知らないが、