今朝の真福寺。
雨上がりで空気に染み込む景色に見えた。
Archive for the ‘散歩’ Category
2013年3月14日 雨上がりの真福寺
木曜日, 3月 14th, 20132013年01月27日/三鷹台団地~牟礼神明社
月曜日, 3月 4th, 2013朝の雪景色
火曜日, 1月 29th, 2013序夜
土曜日, 1月 26th, 20132013年01月24日/牟礼神明社
金曜日, 1月 25th, 20132013年01月16日/新川天神社
金曜日, 1月 18th, 20132013年01月14日/牟礼神明社、真福寺
火曜日, 1月 15th, 2013窓を開けると、ずんずんと空から雪が落ちてきていた。
3連休で準備しようとしていた業務の進捗もよい。
また、夜に軽くこなしてやればいいであろう。
本業の散歩に出なくてどうする?
そのようなわけで、
いつも散歩する道すがらにある神社、寺のある方向へと出発した。
思いのほか、足がずぶりずぶりと雪へと埋もれていき、
その足を、よっこらしょ、と引き抜きながら先へと進む状況であった。
雪の玉をどのように始末してやろうかと算段している頼もしい子供たちを横目に
どのような言い訳を思いつけば、家に引き返すことであろうかと考えてみたが、
名案は浮かばずに、神社のある坂へと向かった。
成人式であるためであろうか、
若い男女の2人が、
参堂の階段から降りてきたのとすれ違い、
神社の敷地内へと進んでいったが、
それ以外には詣でている人は見かけることはなかった。
木から、ドスンと大きな音を立てて雪が落ちてくる。
境内を先へと進みさすがにこの雪では誰もこないであろうと横を見ると、
御札所には2人の女性が静かに座っていた。
ただの道楽がごとく散歩している僕を省みて、
何だか申し訳なく思ってしまう。
この神社の中の植物に目を奪われることがよくある。
別に特別なものがあるわけではない。
そのとき、そのときの瞬間で、
生き抜く美しさ、たくましさを植物はいつも見せつけてくれるような気がする。
神社を出て、次の目的地であるお寺に向かう。
雪の重さでひん曲がり車道を防ごうとする木を見かけることがある。
それだけ今回は大雪であるといえばいいのか、
ともかく僕が小学生のときは、これぐらいの雪は当たり前に降っていたはずである。
木が雪に負けんとしようとしている姿は記憶にはないが、
植物はそれだけ弱くなったのであろうか、
僕がそのような当たり前の姿を無視していたのであろうか、
ただ遊びに夢中であったのであろうか。
その寺はバス停の前にあるのだが、
バス停の前には遊びに行くのか、
仕事を思い出したので職場に向かうのか理由は知らないが、
少なくない人が列を成していた。
そのバスに乗り、人の集まる町へと向かう手もあるのであろうが、
今日は人気のないお寺へと入っていくことにした。
2013年正月/深大寺初詣・檜原村 数馬の湯・牟礼・井の頭公園
日曜日, 1月 6th, 2013数に左右されるような生活はいかがなことかとは思う。
そうかと言ってその数値により構築される世界に同居しているわけである。
その値によって休みであったり、
何かしらの出来事が規定されているわけであり、
無視するわけにはいかないわけである。
休みであることが僕にとっては重要であり、
新年に初詣に行くような経験は僕には遠い彼方の思い出にしかなかった。
珍しく友達から電話があり、
初詣に行こうと言う。
友達に促され、
蕎麦でも有名な深大寺にたどり着いた。
初詣と言えば、神社でのお祈り。
このように僕は独自の論理を築いていたわけではあったが、
どうやらお寺に詣でてもよいみたいであった。
僕の愚かな言い回しはどうでもよく
人はそこに集まっていた。
祈るしかないのか、祈ることもできるのか。
僕にはどちらなのかは分からないが、
願い思い描いていないものが現実として目の前に現れることは
ほとんどないのであろう、
ということは容易に想像できた。
人の合間を抜け出し、実家へと向かった。
二日目。
元旦に「家内安全」のお札を買い、
実家へと持ち込むと、
思いがけずも喜んでもらえた。
プロのスポーツ選手は、「げんを担ぐ」ということを聞く。
ある高い水準に達すると 、
あとは努力とか、論理に基づく向上とかではないのであろう。
その水準かどうかはどうでもよい。
願いたい、叶えたいことはある。
その想いを伝えることが意味があるのかもしれない。
妻の実家に渡そうと、
「家内安全」
の札を買いに出かけた。
三日目。
温泉に行った。
銭湯に行くことと、自宅の風呂場にお湯を入れる決断をすることと
どのような違いがあるのかは説明できないが、
檜原村にある数馬の湯という場所に向かった。
その路上、東京に向かう車の行列、
死ぬ前に会う人は何パーセントであるのか分からないが、
その貴重な人が、
その道に縦列となり集まっていた。
そして、山道を走る誰も乗客のいない路線バスを通り過ぎ
目的地が我らを迎えるために空いているか心配ではあったが、
数多くの車が止まる数馬の湯の駐車場へとたどり着いた。
彼は、神社で燃やさなければいけない札があるという。
檜原村からの帰り道、見つけた神社へと車を降りて進んだ。
その時が過ぎてしまったのか、元々受け付けてはいなかったのかは知らないが、
札を置く場所はないようであった。
まだ、それを返し報告するには、
早かったのかもしれない。
十分満たされてから訪れればよいのかもしれない。
四日目。
時が過ぎるのは早い。
職場の机の上におくカレンダーがない。
予定を刻み自分を縛り付けるその紙を買いに行くことにした。
それを書く必要、主張する必要がどこにあろうのであろうか。
ただし、それを表に出さない限りは何も産まれないことを示すことであろうか。
時間を区切ることにどれだけの意味があるのかは知らないが
そうしないと、ことは進まないし終わることもないのかもしれない。
カメラを持つ僕。
何かステキなことがあるのかもと僕を覗き込む。
別に何かあるわけではない。
いつもあなたが見ている風景がそこに広がっているだけである。
個人的には、美しい姿ではあったりするが。
2012年12月31日/東京、牟礼~井の頭公園~吉祥寺
土曜日, 1月 5th, 2013洗濯もして、部屋は掃除機もかけ
風呂場はモップで磨き、
植物には水もやった。
これで一年を終えることになっても、文句を言われる筋合いはないだろう。
何か忘れたことがあるような気がする。
年賀のお菓子はすでに届いて準備万端ではある。
そんな体裁だけではなく、お酒とか場を和ませる手土産は必要ないのか?
そう言われれば言い返す論理は僕にはない。
その通りである。
地図を見る。
三鷹市牟礼から吉祥寺へは意外と徒歩でも近いようである。
以前、暗闇の中、徒歩で自宅へと歩いたときは、
何度も何度も同じ場所に戻ることになり、
僕にはこの道は何だか合っていない、
と判断していたわけだが、
まあ悪くはない道もありそうであった。
そのようなわけで、
明日、元旦の実家の手土産を買いに
吉祥寺へと向かうことにした。
地図に示された通りの道を進む。
「井の頭公園通り」
何度も目にしたことのある道ではあるが、
その名前を初めて知った。
吉祥寺は井の頭公園のすぐそばにある。
確かに目的地へとは順調にたどり着けそうである。
ある郵便局の前。
書初めなのかよくは知らないが、
小学生が描いたのであろうか、習字で書かれた文字が飾られている。
それぞれの思いも違い、描される言葉も異なる。
無知な僕には分からないことも画いてある。
そういえば、同じ言葉が書かれている紙もあるな。
誰かが飾ることの許されたあるべき姿、許容できる姿を提示したのかもしれない。
鳥居の横を過ぎる。
お地蔵さんという道のあちらこちらに立つ偶像は、
僕にとっては分かりやすい存在であるように勝手に思っているが、
神社という物理的構造物は、
どこにでもある身近な存在でありながら、
僕にとっては謎の多い不可思議な存在である。
無知と言われればそれで終わりなのだが、
どうしても政治的構造物としか理解できない。
そうは言っても、
それが土着のものとして根付いたのであれば、
自分の一部となるのであり、ただ肯定するしかないのかもしれない。
井の頭公園に着いた。
これで、目的地である吉祥寺には、
もう着いたようなものだ。
横に逸れる必要はない、後悔する必要はない。
ただ目的地へと向かい真っ直ぐに進めばよい。
そうと思いながら真っ直ぐではなく、右へと公園の池のあるほうに足を向けていた。
12月29日/信濃町~赤坂~永田町~皇居~東京駅
日曜日, 12月 30th, 2012今日は毎年ある病院での検査の日であった。
昨日は仕事納めであり、ゆっくりと起床すればよいはずである。
せっかく朝、起きるわけである。
それでは、どこかに行かないわけには。
Googleで地図を見る。
目的地は東京 信濃町。
地図で眺めると都心は意外と徒歩で回れそうな大きさであることに気がついた。
とりあえず帰りの電車、始発駅である東京駅を目指してみようか。
検査が終わり、食事をとる。
どこに行こうかと考える振りをしてみるが、
昨日の地図の鑑賞会で、取り立てて強く思いの引かれる場所がなかったため、
予定通り東京駅へと向かうことにした。
歩き始めて気がついたのは、
東京という街の中心は、坂が多いことである。
都心はなぜか平坦であるという勝手な知識を何故だか頭には叩き込まれていたが、
今、僕は起伏のある緑豊かな道を先へと進んでいた。
この東京の中心というところは、
僕には空気のつかめないというか、
ここにいる自分が宙に浮いているというか、
何しろ僕には特異な空間に映った。
その止まっている空気を僕が漂っているという思いを、
以前も感じたことがあり、
今もその時と同じであった。
(http://www.broken-robot.com/ja/n_center.html)
この整然と綺麗な空間において、
着飾ったランナーがたまに現れる以外は
ほとんど人は姿を見せなかった。
一回だけ前から坂を登ってくる男性に遭遇すると、
彼は
「こんにちは」
と、東京ではないかのごとく僕に声をかけ、
ただ僕の横を通りすぎていった。
迎賓館を過ぎ、赤坂に近づくと、
濁った水が目の前に現れ、人の流れもあちらへこちらへと姿を見せるようになり、
経済により構築された世界が入り混じった空間に足を踏み入れた感じがあった。
三宅坂に至り、皇居外堀に対面すると、
同じ向きへと進んでいるのか、それがたまたまであるのか分からないが、
ランナー達が皇居の周りをぐるぐると回っていた。
カメラを持ち歩いている僕は、
ただその集団の歩みを邪魔しているかのごとくであったのかもしれない。
そこで、その横に浮かぶ皇居外苑の色は、
まるで旅行のとき長期バスの窓から見た、
二度と見ることはないと思われるような鮮やかな緑であった。
これで今日の散歩も終わり。
ベンチがある方向へと進んでいくと楠木正成の像があった。
今まで知らなかったが、
東京の中心で楠木正成が皇居を守るがごとく立っていたわけである。
明治政府であるのか、誰であるのかは知らないけど、
この新たに作り出したこの世界を何とか必死に守ろうとした印であるのであろうか。
楠木正成が仕えた相手の境遇を考え、
また、彼をそこに立たせた思いと重ね合わせると、
少しばかり悲しい画面を想像させるものがあるように感じた。