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2013年3月14日 雨上がりの真福寺

木曜日, 3月 14th, 2013
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今朝の真福寺。
雨上がりで空気に染み込む景色に見えた。

2013年01月14日/牟礼神明社、真福寺

火曜日, 1月 15th, 2013

窓を開けると、ずんずんと空から雪が落ちてきていた。

3連休で準備しようとしていた業務の進捗もよい。

また、夜に軽くこなしてやればいいであろう。

本業の散歩に出なくてどうする?

そのようなわけで、

いつも散歩する道すがらにある神社、寺のある方向へと出発した。

 

 

 

 

 

 

思いのほか、足がずぶりずぶりと雪へと埋もれていき、

その足を、よっこらしょ、と引き抜きながら先へと進む状況であった。

雪の玉をどのように始末してやろうかと算段している頼もしい子供たちを横目に

どのような言い訳を思いつけば、家に引き返すことであろうかと考えてみたが、

名案は浮かばずに、神社のある坂へと向かった。

 

成人式であるためであろうか、

若い男女の2人が、

参堂の階段から降りてきたのとすれ違い、

神社の敷地内へと進んでいったが、

それ以外には詣でている人は見かけることはなかった。

 

木から、ドスンと大きな音を立てて雪が落ちてくる。

境内を先へと進みさすがにこの雪では誰もこないであろうと横を見ると、

御札所には2人の女性が静かに座っていた。

ただの道楽がごとく散歩している僕を省みて、

何だか申し訳なく思ってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この神社の中の植物に目を奪われることがよくある。

別に特別なものがあるわけではない。

そのとき、そのときの瞬間で、

生き抜く美しさ、たくましさを植物はいつも見せつけてくれるような気がする。

 

 

 

 

 

 

 

神社を出て、次の目的地であるお寺に向かう。

 

雪の重さでひん曲がり車道を防ごうとする木を見かけることがある。

それだけ今回は大雪であるといえばいいのか、

ともかく僕が小学生のときは、これぐらいの雪は当たり前に降っていたはずである。

木が雪に負けんとしようとしている姿は記憶にはないが、

植物はそれだけ弱くなったのであろうか、

僕がそのような当たり前の姿を無視していたのであろうか、

ただ遊びに夢中であったのであろうか。

その寺はバス停の前にあるのだが、

バス停の前には遊びに行くのか、

仕事を思い出したので職場に向かうのか理由は知らないが、

少なくない人が列を成していた。

そのバスに乗り、人の集まる町へと向かう手もあるのであろうが、

今日は人気のないお寺へと入っていくことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

12月24日の散歩/牟礼・牟礼神明社~三鷹・真福寺

月曜日, 12月 24th, 2012

3連休最終日。

 

とりあえず今日もだらだらするか。

天気もよさそうだし。

 

いや、それでいいのか?

 

大阪滞在を荷物、天気などの都合により諦めて帰宅して、

3連休は洗濯もしたし、長らく滞っていたウェブサイトも更新したしOKだね。

でも、こんな風に終わることは期待していないはずだ。

 

そして、3時前にようやくドアを開けた。

 

冬の空はステキだ。

 

空気が澄んでいるためであろうか、

その透き通る色合いが美しく目に映る。

 

夏であっても、秋であっても、冬であっても

空がきれいだと言っているに違いないのだが。

 

部屋に目を向けると、建物の影で暗く沈んでいた。

 

外に出てよかった。

 

そして、いつもの神社へと向かう。

どこにでもあるこの類の神社は、

私が何も知らない生き物であることを、

いつもつくづくと感じさせてくれる。

 

実は今日外に出た目的は、

自己満足のためだけではない。

埃を被る本を図書館へと帰すことが一つの目的であった。

 

もう、明るくない時間である。

でもまだ暗いとは言えない。

 

いつもはバスで通う道を、今日は歩くことにした。

 

歩道が狭く、恐れ恐れ進むこの道。

いつもであれば、横へと逸れて進むことをするのであろうが、

どれだけ歩けば着くのかは知らないが、

あわよくば明るいうちに帰れればと、今日は、前へ前へと進んだ。

 

 

今日はクリスマスイブ。

 

コンビニの店長、定員はサンタの洋装を着込み、

ケーキ屋の窓は、

このときを待ってましたと言わんばかりに、

閉店の後にハサミを手に準備したであろう飾りが窓に張り付いており、

その窓の向こうにはクリスマスツリーがあり、

定員がが右へ左へと盛んに動いていた。

 

震災のときの自粛活動は、

積極的に復興を妨げようとしている活動に映り

はなはだ奇妙な感じがしたが、

自分のこととなると、自らのため、結果的に周りのために、

一生懸命、機会を利用して動き回ろうとしていることをしみじみと感じた。

 

図書館で本を返し、三鷹駅へと着く。

これで今日の散歩も終わりである。

ご飯を食べて帰ろうかと思ったが、

自己満足で外に出て、たんまりと溜まった冷蔵庫の中身を無視して

余計な金を使うとは何事よ、

とバスで帰ることにした。

 

自宅最寄のバス停を降りた。

そういえば忘れていたと

神社とともに写真を撮りに何度か訪れたことのあるバス停そばのお寺に足を運び、

今日の散歩を終えることにした。