¥360、¥284と書かれたパネルが、
並べられたお弁当の間に立っている。
『安いな』
常識のない僕にとってはいつも新鮮なものに囲まれている。
『この値段で利益があるのだろうか?』
買うときには、どの値段を見ても、高い高いと心が寂しく、哀しくなるものであるが、
自分がこれを買うときに稼ぐ給料やそれに至るまでの過程を考えると、
世の中に販売されている物品の安さに驚くことがある。
アルバイト、パートの給料、社員の給料。
客が残した札束を積み上げたとき、
働く人はその山を如何ほど崩していくのだろうかと考えることはないだろうか?
お弁当を買うこと、家で食事を作ること。
時間と食材やら調理に必要となる諸々の費用から積算される経費と弁当の値段を比べるとすると、
どれだけの差があるのだろうか?
この値段に勝てる家庭料理はないのではないかと勝手に想像してしまう。
原材料を見てみよう。
284円の棚にあるお弁当を手に取る。
『原材料名は容器裏面記載』
お弁当をひっくり返して裏面の記載を見る人は少ないかもしれないが、
見たいのであれば、どうぞそうしてください、ということなのであろう。
僕は容器が裏返しにならないように、
頭の上に上げ覗きこもうとしたが、片手のみが自由であったためか
上手く内容を確認することができなかった。
360円のテーブルに置かれた弁当の容器では、
表面に原材料ラベルが貼ってあった。
そのなかに白飯も売られていたのだが、
炊いたお米にも色々な苦労が注ぎ込まれているのは、そのラベルを見ると分かるであろう。
何とか家庭からお米を炊く機会も奪い取る算段なのか。
小さい昔からの商店が淘汰されていく昨今。
家の中の生活も味が整えられた安価な標準で画一化されていくんだろうか?と思いながらスーパーを出た。