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ハロウィンしちゃうぞ!

月曜日, 10月 6th, 2014
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近年、分業化された社会の中、
自然の恵みと生活を直に感じることが少なくなり、
生きることの喜びと感謝を現す活動に対する復興の取り組みが進んでいる。

その一つが収穫祭のハロウィンである。

お菓子や肉まん、チーズやタバスコ、テリヤキチキンなど、あらゆる天からの恵みを満喫し、
皆で生の悦びを分かち合おうというわけである。

ハロウィンの一ヶ月前になると、人々は町の装飾やその日に皆と共に味わう感謝の印の支度を始め、
社会全体でその日を迎えんと準備を進める。

さて、イベントというのは、
人々がみんなでそれぞれの利益のため、盛り上げていくものであり、
社会的にお金が右へ左へと流すことにより、
利益分配を進めるための重要な活動として、
多くの人が積極的に活用しているのは言うまでもないことと思う。

このような社会活動を見て、いつも思い出すのが東北大震災時のイベント自粛活動である。

この現象を犯罪的な行為として憤りを感じた人は多いと思う。

僕は国民やら民族の誇りとかいう概念が存在する理由がまるで理解できない人間だが、
共同体の存在意義は少しは理解しているつもりである。

震災で苦しむ人が所属する共同体。

世の中に関係を保ちながら人は生きるための活動を続ける。
人々は社会の歯車として働き、各人が産み出した生産物を動力として社会は前に進むとともに余剰の動力を産出する。
より円滑に社会が進むようするために、社会はその動力を歯車に戻していく。

そんな中、独り善がりとも思える倫理観で共同体の動きを必死に停めようとする『自粛』と称する活動は、
僕にはさっぱり理解できないし、苦しむ人を助けようとする差し伸べようとする手を叩き潰そうという活動にしか見えなかった。

値段と質

日曜日, 10月 5th, 2014
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¥360、¥284と書かれたパネルが、
並べられたお弁当の間に立っている。

『安いな』

常識のない僕にとってはいつも新鮮なものに囲まれている。

『この値段で利益があるのだろうか?』

買うときには、どの値段を見ても、高い高いと心が寂しく、哀しくなるものであるが、
自分がこれを買うときに稼ぐ給料やそれに至るまでの過程を考えると、
世の中に販売されている物品の安さに驚くことがある。

アルバイト、パートの給料、社員の給料。

客が残した札束を積み上げたとき、
働く人はその山を如何ほど崩していくのだろうかと考えることはないだろうか?

お弁当を買うこと、家で食事を作ること。

時間と食材やら調理に必要となる諸々の費用から積算される経費と弁当の値段を比べるとすると、
どれだけの差があるのだろうか?

この値段に勝てる家庭料理はないのではないかと勝手に想像してしまう。

原材料を見てみよう。

284円の棚にあるお弁当を手に取る。

『原材料名は容器裏面記載』

お弁当をひっくり返して裏面の記載を見る人は少ないかもしれないが、
見たいのであれば、どうぞそうしてください、ということなのであろう。

僕は容器が裏返しにならないように、
頭の上に上げ覗きこもうとしたが、片手のみが自由であったためか
上手く内容を確認することができなかった。

360円のテーブルに置かれた弁当の容器では、
表面に原材料ラベルが貼ってあった。
そのなかに白飯も売られていたのだが、
炊いたお米にも色々な苦労が注ぎ込まれているのは、そのラベルを見ると分かるであろう。

何とか家庭からお米を炊く機会も奪い取る算段なのか。

小さい昔からの商店が淘汰されていく昨今。

家の中の生活も味が整えられた安価な標準で画一化されていくんだろうか?と思いながらスーパーを出た。