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イスラム国 日本人拘束 政府対応とマスコミについて

日曜日, 1月 25th, 2015

『人命第一』と『テロには屈しない』という言葉を同列で語るのは何故であろうか?

今回の事例に限らず、人命を守ることが、ある共同体の目的と考えた場合、テロ組織(当該共同体にとって、暴力により政治的解決を図る敵対組織)は、その目的を阻害する要因の一つであり、この二つの言葉は、並列に位置する概念ではない。

今回の対応についての話に戻すと、『人命第一』を前提とした行動・手法を決めるために、政府に求められる役務は、『テロには屈しない』ことを目的として行動を起こすわけではなく、今後の国際政治対応を踏まえた上で、国家組織としての損害を最小限に抑えた上で、人命を救うという目的を果たすことではないであろうか?

一方、マスコミは、人命の大切さを唱えること(他の意見もあるのであれば、その内容を伝えること)で、政府の仕事に対する監視役としての役務を果たすべきだと思う。

それぞれの国や共同体・組織は、通常は、自分達が正義と考えて行動しているはずである。
全ての事象を善悪の二つのみで綺麗に区分けすることとは出来ない。
このため、『良くないとは思うが、諸事情により致し方なくこの手法をとった』という例はあり、その場合は、気持ち的に『善』とは言い切れない要素を持っている可能性はあるかもしれない。
但し、そもそも、自分たちが悪である、という前提で行動を行っている組織は成立し得ないし、実際に、存在しないと思う。

このため、今のこの状況で、折衝相手となるべき相手のことを、テロ組織であり敵対すべきだ、という見解を露骨に示すのは、上手い下手の前に、交渉事を行おうとしている態度であるようには思えない。

折衝事は、双方がお互いの損得を算段して妥協点を見つける作業であり、善悪の論理のみを押し付ける前提では、相手を納得させて事が収まることがあまりないのは当然の事である。
お互いの意思の疎通がない関係で、善悪の概念で相手を納得させて事態を収めようという手法には、そもそも無理がある。
一方的に従わせるには、何らかの力により相手を支配するしかないと思う。
どうせ政府は、『人命第一とテロには屈しない』という不明確な言葉だけで、具体的で詳細の手法は明確に説明しないのだから、折衝相手を見下すような言葉は使わずに『人命を救うためにあらゆる手段を用い、そして、国益を守り全力を尽くす』と言えば良いだけではないか、と思う。

私は、交渉術に長けた人間ではなく、逆に下手な人間であると思うので、『評論するのは容易だが、実際に交渉するのは簡単なことではない』というのは理解できる。

但し、国会議員は、それを役務として働いている人間であり、首相を初めとする内閣関係者が、『折衝する基本が分かっていません』といったことを露骨に披露するような発言をするのは職場放棄に近いのではないだろうか?

ところで、イスラム学者・中田考さんは、ニュースや常識に疎い私でも分かるような簡単な言葉で、現状と政府が行うべき方向性を示していた。
 ※もし会見を見ていない方がいるのであれば必見だと思う
   http://www.bengo4.com/topics/2582/(「交渉できるならイスラム国に行く用意がある」中田考氏がメッセージ(スピーチ全文))

  

その中で、『テロリストの要求をのむ必要はもちろんないわけですが・・・』という内容で今取り組むべきことの前置き部分の話を始めている。
そして、スピーチが先へと進むと、『日本は、イスラム国と戦う同盟国側に援助するわけですけども、あくまで人道支援に限られるという論理は、イスラム国に対しても同じように適用されるべきだと思っています。』と発言している。この文章から想像するに、中田考さんは、イスラム国を単純にテロリストという言葉だけでカテゴライズする考えは持っていないと思われる。
つまり、単純にテロリストという言葉で物事を説明しようとする風潮や『テロには屈しない』という政府見解に、中田さんは合わせてあげる形でスピーチをしている訳である。
日本政府や大衆に向けて、『テロリスト』という分かりやすい言葉で、情報を伝えようとする。相手の土俵に乗った振りをすることから発言を始める。このことにより、相手と会話が出来る環境を整え、そして、自分の考えを説明しようとしているのであると思う。

政府の一連の発言と中田さんのスピーチを見て分かるのが、中田さんは、(意識的、無意識的のどちらかは分からないが)、対日本政府に対し折衝事を行うための会話を行い、またイスラム国といかに折衝するか、という話をしている。一方、日本政府は、対イスラム国に対し、折衝事などやりつもりがない、としか思えない発言を繰り返しているに過ぎない、ということである。

さて、本件に於けるイスラム国の目的について、何度かマスコミで議論されているようであるが、政治・国際動向の知識の有無に関わらず政治的な意図があることは、明らかなことであると思う。

イスラエルやその他中東訪問時に、安倍晋三首相が示したイスラム国対策支援としての2億ドルという金額と、身代金として要求された金額がこれと同額であることから、マスコミに説明されるまでもなく、政治的な交戦であり、イスラム国が日本国に対して反撃(折衝)しようとしていることは明確である。

ビデオ声明の中で示された金額だけでなく、そのビデオでイスラム国はわざわざ丁寧に拘束した理由を言葉で明確に説明しているにも関わらず、拘束は金銭目的であるのかどうかなどという論議が交わされている。

共同体は、その組織が生き延びるための内外の体制を整えることが重要であり、安定化を達成することは必然的に金銭を得るシステムを構築していく過程を含むと思う。
つまり、交渉の結果、お金、という妥協点に辿り着く事例はいくらでもあるのかと思うが、一時的な金銭を受け取ることよりも、組織を安定されるための対外要因を排除しようとする活動の方が、将来的な金銭面の利益を含めて重要だということは明らかではないであろうか?

このように目的については、その地域社会に知見があるかどうか、という話ではなく、誰にでも分かる単純明快な話であると思う。

さて、イスラム国は、具体的にどのような結果を目標として定めているのか?

これは、私のような当該地域への知識のない人間にとって想像するのも難しいが、概念論を言うのであれば、自国の利益を最大限にできることを目的に折衝を続け、相手が妥協する地点に着陸させることが政府の仕事であるのであろうし、それは、イスラム国も同じであろう。
このため、繰り返しになるが、日本政府の行動は、妥当性評価できる行動である以前の段階であり、何か仕事を履き違えているかのように思える。

ここで、イスラム国は、初めから金銭を前面に出してきている。これは、政治的な意図が満たされなかったとしても、金銭で妥協することを示したことになると思う。つまり、交渉条件の提示手段の一般論から考えると、目標を非常に低いレベルに置いているのではないであろうか?
(結果的に金銭以上の答えが日本から得られることを希望しているかもしれないが、現実路線で実現の可能性の高い手段を選んでいるのでは?)

報道されている内容であるが、資金調達が非常に厳しい状況である、という事情であることが、イスラム国が低いレベルでの要求事項を設定せざるを得なかったのかもしれない。

このように、ハードルを下げているようにも見えるイスラム国に対しては、きちんと情報収集のコネクションを確保し、得た情報の論理的な分析能力を行い、折衝に必要な組織・人間を動かす交渉力さえあれば、もしかしたら、比較的に難易度の低い折衝事項であるのかもしれない。
(もともと、日本には中東に及ぼす影響力を持っていないがために、日本に対して、イスラム国としては低いレベルの要求しかしようがない、ということかもしれないが)

また、イスラム国はこれからも生き延びていくためには、粘り強く他国との折衝を繰り返して続けていく必要があり、このため、安易に約束を破る、という行動には出ないと個人的には考える。

なぜならば、一度、約束を破ってしまえば、今後は折衝事の処理が、イスラム国にとって、より困難なものとなっていくことが想定されるためである。

それを考えると72時間という期限に対して、日本政府がイスラム国と交渉する場を持てなかったとするのであれば、これは明らかに政府の行動が遅かったと言わざるを得ないだろう。
両者の間で何かしらの接触があり、今後の議論や時間についての話がされた上であれば、もし、継続して次の機会にも人質の手段を利用することを考えているのであれば、イスラム国は、宣言した言葉に反して安易に人質を殺すことはしないであろうと考えられるからである。

恐らく、中田考さんが72時間という時間の短さを嘆き、『人命がかかっていますので』という理由で、イスラム国とコンタクトを取れる人間として、サポートを名乗り出たのは、こうした理由からではないだろうか。

それに対し、日本政府はどのような対応を取ったのか?

日本政府の敵である折衝相手も、折衝する気持ちのかけらも前面に提示しない敵に対しては、話をする気も失せるかもしれない。

『テロには屈しない』という言葉で、交渉で負けない意思を示しているつもりなのかもしれないが、話が出来る土台に乗る力量がなければ、『人命第一』という行動が取れるはずがない。

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外務省
イスラエル国 安倍総理大臣のイスラエル訪問 平成27年1月21日

http://www.mofa.go.jp/mofaj/me_a/me1/il/page4_000911.html

【以下一部抜粋】

2 主要行事の概要
(1)ネタニヤフ首相との会談
   ・・・
|地域情勢
   ・・・
 中東情勢
  安倍総理大臣は,ISIL対策として,日本が総額2億ドルの新規支援を行う旨紹介した。

【以上一部抜粋】

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ここで、マスコミについて考えてみる。

マスコミは、政府とは異なる独自の情報ルートを持っているはずであり、そのコネクションを用いた対応によりマスコミの存在価値が決まってくるところがあるような気がする。

ところで、この文書の一つ前に書いたメモ(イスラム国 日本人拘束 マスコミ報道について)を含めて、感覚的に理解している内容を記述している内容が溢れているため、
この日本人拘束報道に対して、マスコミが行っている対応について理解を深め、『人命第一』と『テロには屈しない』という意味を理解すべく今更ながら少しばかり情報を調べてみた。

いくつかの新聞を確認して見ると、多くの新聞社の論説で共通していることがあった。それは、非論理的であり、相手を理解して話を進めていく、という認識が著しく欠如している、という点である。
非論理的であるのは、新聞は、様々な大勢の社員により作成されるものであり、時間的な制限も大きいを合わせて考えると、もしかしたら、論理的な整合性が取れない事象が発生し易いのかもしれないが、大まかに言って、共通する非論理性は次の内容である。

 ①武力を伴わない人道的な支援を行っている日本国は正当である
 ②安倍首相の中東訪問時に、イスラム国を敵国と見なす発言があったとしても、①と絡めて楽観的な論理を展開する
 ③必ずしも人道的とは見なしていない米国に対し、対テロとしてのリーダーシップを求める

つまり、自分は武力を行使しないので正当であるので、イスラム国から何か被害を受ける謂れはない。また、世界を安定へと促す処理は(武力を使う可能性を否定していない)米国が何らかの手段で行うべきである、という論理的には理解が困難な話を展開している。

中東訪問からの日本政府の対応を見ると、安倍首相はイスラム国にけんかを売り、戦乱の中へと飛び込んでいったかのように見える。そして、日本人開放に対して折衝を行う素振りさえ見せていない。このまま事件解決が失敗に終わるのであれば、政策の失敗により自ら飛び込んだ火の中であるに関わらず、米国と共に安定を求めて戦う必要性・戦力の強化や法整備等を訴えていく可能性があり、ますます世界との融和とはかけ離れた方向へと日本社会は向かっていくのではないかと、個人的には危惧をしている。

日本政府と国民へのメッセージ。

イスラム国がメッセージを送った相手。

イスラム国から言われたから、素直にそれを受け止めて回答するべきだ、という意味ではなく、民主主義を標榜する人々は、当然、イスラム国からのメッセージに対し、論理的な自分の意見を答えられるようにする必要があると思う。

それでは、マスコミを含む日本国民の対応はどうすればよいのであろうか?

行わなければいけないのは、イスラム国から公開されたビデオが合成されたものかどうか議論することではない。人の命を救う手段を考えることである。

まず初めに、私は、武力について、日本は、独自の戦力を強化すべきだ、という意見を持っているわけではなく、武力を使わずに世界で折衝していく力量を持っていくべきだと考えている。
そのためには、マスコミや国民は、政府に迎合する形ではなく、今回の政府が見せるような国家としての自分の意見があるのかどうか疑われるような非論理、かつ感情論だけで先に進もうとする手法に反対し、強く政治的折衝を行い解決に向かうような行動を起こすようにを唱えていく必要があると思う。
一方、政治的な手法とは別に、人々を融合させていくような活動が、とても長い時間がかかる活動になるが、重要になっていると思う。
後藤さんのように現地の人々に直接触れて、それを伝えていくことはとても大切なことであると思う。
新聞等の巨大メディアは、その情報を伝える役目を担うこと、それを受け取る人々は、遠くに住む人の命を感じ、理解しようとする気持ちを養っていくことが必要となってくると思う。
民主主義の国を名乗るのであれば、民衆が世界の人たちと融和する心を持つようになれば、それに伴い政治も変わっていくはずである。
また、他国の人への理解が深まることと、世界で折衝して生き残っていく力は養うことは同義であると思う。

人道的、という言葉を愛するのであれば、このように道を選ぶべきであると思う。

追記)
今日、湯川さんが殺害されたようであると報道されていますが、もしそれが事実であれば、恐らく、スペイン・フランスは、『人命第一』の措置を取り、日本は、それとは異なる道を選んだ、ということになるのでしょう。

■確認した新聞報道抜粋

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朝日新聞
(社説)イスラム国 許しがたい蛮行だ
2015年1月21日05時00分

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11561385.html?_requesturl=articles%2FDA3S11561385.html&iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11561385

【以下一部抜粋】

ビデオの中で脅迫者は、中東訪問中の安倍首相が2億ドルを「イスラム国」対策として避難民支援にあてると表明したことに矛先を向けた。首相の中東訪問のタイミングを狙った脅しとみられる。

しかし、日本からの医療や食料の提供は、住んでいた街や国を追われる人たちが激増するなかで、不可欠の人道的な援助である。「イスラム国」に向けた攻撃ではなく、脅迫者たちの批判は筋違いだ。

 ~ 省略 ~

 米国などが実施する「イスラム国」の空爆に日本は関与せず、人々の生命と生活を守ることに焦点をあててきた。

 これまで培ってきた中東地域との協力関係もある。「イスラム国」が暴挙を重ねることのないよう伝えていくしかない。

【以上一部抜粋】

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○コメント
本文は全般的に、情報を握るマスコミというよりも、私の文章と同じレベルの何か勝手な思いを記述した感想文のような内容であり、一文ずつ何かコメントしたくなるが、ここでは一部をピックアップしてみた。
外務省発行『イスラエル国 安倍総理大臣のイスラエル訪問 平成27年1月21日』に記述いる通り、イスラム国の敵国であるイスラエル首相に対して、『ISIL対策として,日本が総額2億ドルの新規支援を行う』と日本の取り組みを説明しており、あまりにいい加減な説明といわざるを得ないであろう。
また、『今まで培ってきた中東地域との協力関係』の現政権、現時点での集大成が、今回のイスラエルとイスラエルに国交のある中東諸国訪問であり、その諸国へのイスラム国への敵対心の明示、及び対応への支援の約束と写るのは至極当然のことではないだろうか。その場合、中東地域との協力関係を誇るようなことを述べるのは、不可思議である。
また、本文にある、『イスラム国が暴挙を重ねないように伝えていくしかない』という伝える対象が誰であるのか不明である。
もし、イスラム国が対象であるのであれば、それは、自分の秩序を崩そうとする取り組みを静かに見守っておけ、という呼びかけという意味になり、もし、その他諸国なのであれば、今回の安部首相の実績を訂正すべきであるのか、進めていくべきであるのか、はたまたその他の国に対して何かを働きかけていくべきなのか、実際にどのような行動を起こすべきなのかということについて、新聞社の意思が不明である。
また、『人々の生命と生活を守ることに焦点をあててきた』と日本を誇る記述をしている。
恐らく非軍事面での活動実績のことを指しているのかと思うが、今回の安部首相の中東訪問は、『自ら進んでイスラム国に対するこの十字軍に参加した。』と米国と共に活動する国であると見なされたわけである。
人々の生命と生活を守るための一番の要因は平和であり、国家の安定であると思う。
イスラム国が正しいのか正しくないのかは関係なく、結果として、日本国は混乱の種を中東に撒いてきた現実となっていることを自覚すべきであると思う。

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毎日新聞
社説:「イスラム国」人質 早期解放に全力挙げよ
毎日新聞 2015年01月21日 02時34分

http://mainichi.jp/opinion/news/20150121k0000m070154000c.html

【以下一部抜粋】

 首相へのメッセージとして誘拐組織は、日本は「イスラム国」に対する「十字軍」(米欧)の戦いに加わり、「背教者」の訓練を支援して計2億ドルを拠出したため2人の解放には2億ドルかかると説明したが、支離滅裂な論法と言うしかない。

 ~ 省略 ~

だが、まったく的外れな要求であることを強調したい。安倍首相は確かに訪問先のカイロで演説し、「イスラム国」対策として近隣のイラクやレバノンなどに2億ドルの支援を表明した。だが、その内容は「イラク、シリアの難民・避難民支援」や「地道な人材開発、インフラ整備」など非軍事的な色彩が強く、「イスラム国」との戦闘に力点を置いた支援ではない。

 ~ 省略 ~

イスラエルで記者会見した安倍首相は、人質の処刑予告に「強い憤り」を表明する一方、人命尊重を第一に早期救出を目指す方針を示した。その通りである。日本は中東に有する人脈を生かして人質解放に全力を挙げるべきだ。

【以上一部抜粋】

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社説:オバマ演説 対テロへの強い指導力を
2015年01月22日 02時35分

http://mainichi.jp/opinion/news/20150122k0000m070122000c.html

【以下一部抜粋】

テロリストを追い詰め組織を解体することに強い意欲を表明した。過激派組織「イスラム国」が直前に日本人人質2人の殺害を予告しているだけに、心強く感じた日本人は多いだろう。大統領の意気込みは評価したい。

 ~ 省略 ~

だが、いまやテロ組織は世界各地に拡散し、欧州や日本にもテロの脅威は及んだ。新たな国際連携による、新たな対策が必要なことは自明である。その陣頭に立つのは米国しかない。

 ~ 省略 ~

米国が政争に明け暮れる影響は重大だ。オバマ政権が世界の懸案に強い指導力を発揮することを期待したい。

【以上一部抜粋】

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○コメント

『「イスラム国」人質 早期解放に全力挙げよ』では、『「十字軍」(米欧)の戦いに加わり』というイスラム国の言葉は支離滅裂であり、また『日本は中東に有する人脈を生かして人質解放に全力を挙げるべきだ』と述べている。
一方、『オバマ演説 対テロへの強い指導力を』では、人脈を生かした人質開放は諦めたのかどうかは分からないが、日本人拘束事件と関連付けて、オバマ大統領の『テロリストを追い詰め組織を解体することに強い意欲を表明した』ことへの評価を示すと共に、世界を引っ張れるのは米国しかないと言い切った。これに対し、十字軍」(米欧)の戦いに加わっていない、という論拠は成り立つのであろうか?

非軍事的な活動を前面に出すことにより日本の正当性を主張するのは朝日新聞と同様である。但し、この社説から分かるのは、軍事というものに直接的に加わるかどうかが評価基準となる、ということである。
共同体・組織の安定は、戦争の結果によってのみ決められるものではないのは言うまでもないことと思う。
勿論、イスラム国にとっても同様であり、日本が脅威となる存在であると判断したことが想定されるのではないであろうか?

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読売新聞
邦人人質事件 解放へあらゆる手段を尽くせ
2015年01月24日 01時17分

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20150123-OYT1T50168.html?from=ytop_ylist

【以下一部抜粋】

各国から提供される様々な情報を総合的に分析し、イスラム国との交渉などに生かす。そうした巧みな外交戦術が求められる。

日本の中東諸国に対する2億ドル拠出について、イスラム国は自らに敵対する行為と決めつけたが、実際は、難民向け食料やインフラ整備など非軍事分野の支援だ。

外務省がホームページに、支援内容を紹介する英語とアラビア語のメッセージを掲載したのは適切である。海外メディアなどによる情報発信も積極的に行いたい。

【以上一部抜粋】

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米一般教書演説 対テロで一層の指導力発揮を
2015年01月22日 01時22分

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20150121-OYT1T50132.html

【以下一部抜粋】

国際テロの拡散と激化を阻止するため、米国は従来以上に指導力を発揮してもらいたい。

【以上一部抜粋】

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○コメント

マスコミの特徴を生かした言い分ということになるのかもしれないが、比較的に冷静に解決手段についての意見を述べているように思う。但し、自国の正当性証明については、他社と同じく自己本位の非論理な言い分に終始しているようである。非軍事の正当性についても、自分で手を下すか下さないかの基準であり、『邦人人質事件 解放へあらゆる手段を尽くせ』で述べたような手段を拘束事件の関係を含む世界の安定化への取り組みについて巧みな外交戦術や情報発信を日本国の手法として採用していくことには、結局のところ前向きではないのかもしれない。

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東京新聞
日本人人質 救出へ向けて粘り強く
2015年1月24日

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015012402000168.html

【以下一部抜粋】

この主張はまったく理不尽だ。日本の供与はイラクやシリアの難民支援やインフラ整備などの人道目的だ。日本は米国主導の空爆にも参加していない。戦後、戦闘には参加せず、国際貢献は非軍事分野に限ってきた。平和国家としての姿勢をイスラム世界に丁寧に説明し続け、人質解放に向けた環境づくりを進めたい。

~ 省略 ~

「イスラム国」とみられるグループによる人質事件では米英人らが殺害される一方で、フランス、スペイン、スウェーデンなどの人質は解放されている。トルコは総領事ら四十九人の人質解放に成功した。身代金は支払わず、米国に非協力的であることが解放条件だったとの見方もある。これらのケースも参考にしたい。

パリの連続テロに続く邦人人質事件。テロの広がりに、日本も“対岸の火事”ではいられなくなった。背景に疎外感から過激主義に走る若者の増加も指摘される。その病根を断つことも考えたい。

【以上一部抜粋】

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オバマ一般教書 明るい最終章記すには
2015年1月22日

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015012202000145.html

【以下一部抜粋】

外交政策については、軍事力一辺倒ではなく「軍事力と外交力の結合」によるスマートな外交こそ米国の信条と強調。国際的緊急課題のイスラムテロについて「パキスタンからパリまで、われわれはテロ被害者の側に立つ」と、国際社会と共に非道なテロ行為に一層厳しく対応する姿勢を示した。

~ 省略 ~

高い支持率を背景に政策を直接国民に訴えて議論の主導権を確保し、共和党に譲歩を迫る初期の手法をいま一度、といった思いが伝わる。これが、国際社会の協調促進、対テロ連携強化につながるのなら歓迎である。

【以上一部抜粋】

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○コメント

人道主義に対する主張と非軍事については、その他新聞社と傾向は同じであるので、その点は省く。
『日本人人質 救出へ向けて粘り強く』の文末に記述されている結論(背景に疎外感から・・・その病根を絶つことも考えたい)が、不明瞭で具体的な論点が正直理解できない部分がある。
いずれにしても論点をずらして、発生した事象を間接的な表現することで、本論を語らない傾向があるように感じられる。

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新潟日報モア
日本人殺害警告 無事救出に全力を挙げよ
01/21

http://www.niigata-nippo.co.jp/opinion/editorial/20150121158288.html

【以下一部抜粋】

2004年に起きたイラク人質事件では「自己責任」の言葉が一人歩きし、解放後に被害者たたきが起きた。

渡航の理由は別である。人命最優先は政府の当然の責務だ。

【以上一部抜粋】

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日本人人質事件 解放への努力を粘り強く
01/24

http://www.niigata-nippo.co.jp/opinion/editorial/20150124158962.html

【以下一部抜粋】

今回の事件が日本を敵と位置付けるのが「目的」ならば、日本の支援は難民救済など非軍事支援だと主張しても犯人組織には通じない恐れが強い。

ただ、イスラム世界の世論形成に関与していくのは大切だ。

イスラム世界の人々は日本への親近感を比較的持ちやすい傾向がある。平和主義を貫く立場を説明し、日本への攻撃が的外れだと訴えていきたい。中東諸国の有力な宗教指導者への働きかけは欠かせないはずである。

アラブ世界特有の部族のネットワークも生かすべきだ。昨年トルコ総領事ら49人がイスラム国に拘束され、解放された事件では、部族長の仲介が果たした役割が大きかったと伝えられる。

【以上一部抜粋】

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オバマ氏演説 テロ対策が重要な課題だ
01/23

http://www.niigata-nippo.co.jp/opinion/editorial/20150123158735.html

【以下一部抜粋】

「イスラム国」とみられるグループが日本人の殺害警告をして緊張が高まる中、米国のトップがテロとの戦いにどう臨むのかが注目された演説だったといえよう。

オバマ大統領が上下両院合同会議で一般教書演説をし、テロ集団の力をそいで、「最終的には壊滅させる」との決意を述べた。

広範囲の国々と連携し、強いリーダーシップを発揮することが、大統領には望まれる。日本人2人の人質事件についても、解決に向けて協力してもらいたい。

【以上一部抜粋】

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○コメント

国際協調という点で米国の日本へのサポートの意図を含めた上でのリーダーシップを期待する文面は他の新聞社の論調と似ているが、その他は他の新聞社とは異なり、『自己責任』や『非軍事支援』という言葉に論理的な意見を述べているところに、個人的には共感を覚えた。

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北海道新聞
邦人殺害警告 無事解放を強く求める
01/21

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/587270.html

【以下一部抜粋】

テロ撲滅は世界共通の目標であり、テロに屈することはできない。シリア、イラクの国土を奪って支配するイスラム国は世界から非難を浴びている。犯行グループは2人を即刻解放すべきだ。

~ 省略 ~

安倍首相はエジプトでの演説で、イスラム国対策に2億ドルの無償供与を表明していた。

米国など有志連合はイスラム国への空爆を行っているが、日本の拠出金はイスラム国の支配地域から逃れた避難民の医療や食料費など非軍事分野に使われる。

紛争地域で人道支援を積極的に行うことは、平和国家・日本の責務でもある。政府の意図が正確に伝えられていないのが残念だ。

【以上一部抜粋】

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オバマ演説 テロ撲滅をどう進める
01/23

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/587739.html

【以下一部抜粋】

まず必要なのはイスラム国を包囲し、新たな戦闘員や資金、武器の流入を遮断することだ。干上がらせるためには、国際社会の団結しかない。過激派の包囲網構築こそ、米国の役割であるはずだ。

【以上一部抜粋】

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○コメント

『邦人殺害警告 無事解放を強く求める』では、他の新聞と同様、事実と道理の合わない感情的な論説に徹している。また、『世界共通』という言葉を不用意に利用しており、世界で融和するメディアとしての存在価値を発揮する意図は感じられない。
また、『オバマ演説 テロ撲滅をどう進める』で、相手組織を撲滅させる方法として武力に伴う方法でなく、その組織が生き延びるための必要とするシステムを壊していく手段を推奨している。つまり、イスラム国にとって恐ろしいのは、必ずしも武力だけではない、ということを示すものである。実際にその手法をとることを日本政府は実行しており、それに対して、イスラム国が脅威と感じることは極当然のことであることを示す内容となっている。

イスラム国 日本人拘束 マスコミ報道について

土曜日, 1月 24th, 2015

二つの点を不可解に感じている。

①後藤さんが自己責任を宣言するビデオを何度も再生する理由は?

②命を救いたい、という意識を高める効果がある可能性があるため、後藤さんの実績を示す映像を流すのはよい思うが、後藤さんの存在に偏りすぎてはいないか?

後藤さんが自分を証明するためであろうか、パスポートを示しながら『何が起こっても、責任は私自身にあります』と話している姿を映したビデオがある。

僕は感覚的にこのビデオが頻繁に流されている気がする。
また、私の家の者もそのように感じている。

実際に統計を取れば、もしかしたら、報道時間の中で、このビデオの占める割合は、大したことはないのかもしれないが、ニュースとして何度も放映が必要な理由はあるのであろうか?

私は勝手に想像しているだけではあるが、後藤さんがこのビデオを残した意図は、もし死んでしまった場合の遺言として、撮影したのではないであろうかと思っている。

『まぁ、必ず生きて戻りますけどね』という家族への想いを不器用に混じえて残したメッセージであり、また、『皆さんもシリアの人たちに何も責任を負わせないでください』とは、ジャーナリストとしての役務を踏まえた上で、自分の行ってきた行動の目的に反する方向へと世間が進んでいかないようにするために、『何があってもシリアの人を恨まないで欲しい、人々が平和に暮らして欲しい』という思いを人々に伝え、できれば誰かに託したいという思いのメッセージなのではないだろうか?

二人が解放されていない今の時点で、このビデオを中心の一つとして添えてメディア上に話を広めてしまうのは、後藤さんの意思に逆らう可能性があるのではないだろうか?

後藤さんがイスラム国に向かった理由とこのビデオで語られる決意により、人々は後藤さんと湯川さんと2人の間に身分の差があるように思い込ませてしまう可能性があると思う。

まず、多くの人は一般に公開される形の肯定的な記録があまりないことが多いと思う。

しかし、後藤さんには、そのような外に披露するに相応しいと社会的に評価される記録があり、その記録を用いて素晴らしい人間であることが明瞭な形で示される。
そんな偉大な人が他の無名の人間を救うために命を賭ける姿が何度も流され、そのうちに、後藤さんは英雄の姿として、視聴者の間に自然と描かれるようになる。

政府が目的として宣言し、及び多くの人々が願っているのは、人の命が救われることである。

『人命を救う』

これが達成されるのは、湯川さんと後藤さんを拘束の身から生きた状態で解放された時であろうか?

マスコミは、メディア上に広報する何らかの価値があると判断すれば、解放後も彼らの生命のドラマを追い続けるかもしれない。
しかし、多くの人にとっては、身体の救出をもって人命が救われた、というドラマは完了となるのではないだろうか?

では、本人はどうであろうか?

救出されたことは人生の大きな事柄であり、分岐点となる重要な事件となるであろうが、まだまだ長く命が維持された状態が続くわけである。

多くの人が第一に重要だと判断している命は、人生とは同じ意味、重みを持つことでしょう。

湯川さん、後藤さんも他の人と同じように、今後も人生という貴重な局面を今と同じように背負い、歩いて行くわけである。

そこで、マスメディアで提供される情報に接し、心配になってしまうのは、湯川さんが後藤さんに命を失うというリスクを負わせた人であり、後藤さんと比べると生命の価値が相対的に低い人間だ、と思われてしまいはしないか?ということである。

後藤さんがイスラム国に向かう前に撮影したビデオ。

その映像を後藤さんの一つの典型として再生してしまうと、例え音声がなく言葉が聞こえなくても、パスポートを見せるその姿から、それが何のビデオかはもう頭に刷り込まれているであろう。

その映像を利用する理由は?

もし死んでしまっても、仕方なかったね、という気持ちを持ちやすくするためか?

もしくは、人命第一と言っても、責任の所在を明確な事実としてマスメディア上に記録しておきたいのか?

それとも、英雄を作り出したいのか?

後藤さんの意図を汲み取るどころか、反対の方向に気持ちが動いていくようにマスコミは人々を誘導しているような気がしてならない。

出発直前のビデオは、一回放映すれば、それで十分であり、繰り返し何度も放映する必要はない。

責任の所在がどうこうという前に、人を救いたい、というのが、盛んにマスコミを含め多くの人が唱えていることであろう『人命第一』ということなのではないだろうか?

あえて、今の時点でビデオに籠めた思いを伝えるのであれば、無意識に頭に刷り込ませるが如く、『責任』という言葉を象徴する映像を流すことではなく、『亡くなっても、現地の人を恨まないで』という思いだけではないだろうか。

また、マスコミの報道内容に関わらず、湯川さんが生還後に責任を問われ、責められることは目に見えていると思う。

その是非はともかく、そうなることが恐らく多くの人の間で明確でありながら、後藤さんが責任を宣言するビデオを放映すること。これは、マスコミは、湯川さんに対する無言の圧力を加えていることであり、また、共同体からの集団リンチを加える体制作りをしているかのようにも私には写る。

今の社会情勢から想像するに、湯川さんは、今後、人々の非難の中、生きていくことを受け入れざるを得ないのではないかと思うが、無言の圧迫を加える社会作りを助長する活動をする必要はないと思う。

今の報道活動を、『人命第一』という活動とは思わない。

湯川さんの命は、人質から開放された時点で終わるわけではない。