2013年07月07日/七夕

散歩, 習慣 1 Comment

午後三時ごろであろうか。

 

少々身体の調子が悪かったこともあり、 家とスーパーの行き来だけで土日が過ぎ去ろうとしていた。

 

「今日は七夕らしいけど、一日部屋で完了していいのかな?」

 

自分にしては、この土日は最低限必要でやらざるを得ない洗濯機のボタンを押して、しばらくしたらその機械の中から服を取り出して棒に引っ掛ける作業だけでなく、 浴室の防カビ剤を購入して使用したので、自分としては家事が好成績で完了したような気がする。 これを以って合格としようか。今まで、七夕で何かしたことも、考えたこともないし。

 

さて、妻が実家に帰っているので、 来週の食事はどうしようかと考えてみる。

野菜が足りないことに気がつき、どうやら外に出てスーパーに行くのが無難であるようである。

 

 

もう、夕方であった。

スーパーは暗くても問題ない。 僕には七夕と神社の関連性の有無は知らなかったが、 とりあえず近所の神社に向かった。

 

 

 

 

神社の境内にある七夕の説明冊子を見る。

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夏の行事を楽しもう! 七夕(たなばた) 7月7日

七夕は食物の成長を感謝する収穫祭と、 お盆に棚機女(たなばため)と呼ばれる娘が御霊の 衣服を織り棚に備え、村の穢れを祓う という二つの行事に由来しています。 この二つに、大陸から伝わった 織姫(織女星(しょくじょせい))彦星(牽牛星(げんぎゅうせい))が 一年に一度だけ天の川を渡って会えることが 許されるという「星まつり」と、 織物上手だった織女星にあやかり裁縫の上達を 願う行事「乞巧奠(きこうでん)」が合わさって、 現在のようなかたちになりました。

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この説明は、僕には正直理解できないことが多くありインターネットで調べてみたが、 依然としてさっぱり分からないため、今後の宿題としてみたいと思う。

 

それで終わってもいいのだが、とりあえず、今回は今日の段階で一つだけ感じたことを述べておきたいと思う。

 

 

「ウェキペディア フリー百科事典」で七夕について見てみると、 短冊に願いを飾る風習の起源について、次のように記述されている。

 

「夏越の大祓に設置される茅の輪の両脇の笹竹に因んで江戸時代から始まったもの」

(ウェキペディア フリー百科事典 七夕より)

 

 

インターネット上でほんの少しだけ検索して程度では、 夏越の大祓(おおはらえ)と七夕を関連づける根拠等は他には見つからなかった。

 

そこで、関連付けるのは止めて、基本的に僕が理解していない大祓に着目してみる。

正確にはどのように定義すればよいのか分からないので、 結論だけ簡単に言えば、 大祓とは誰もが時の経過と共に蓄積されていく汚れを祓う行事であり、 そこで身を清らかなものとするために茅の輪くぐりを行うそうである。

 

また、ここでは、ある神社の大祓の説明を紹介しておきたいと思う。

「夏越の大祓」「七夕」という二つの単語でGoogle検索すると、 始めに出てくるのがこの神社、遠野郷八幡宮であるが、 そこにはこんな説明が記述されている。

 

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夏越大祓はこれから始まる暑い夏を無事に乗り切れる様、祈る行事です。 本殿前に設置された茅の輪を「みなづきの 夏越の祓 する人は 千歳の命延ぶというなり」「蘇民将来」と唱えながら3周します。 罪穢を祓う人形流しも行われます。茅の輪と人形は6月中旬に設置され、毎年、6月30日の夕刻には大祓詞奏上が行われます。

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この文章を読んで、始めは安易な説明と感じてしまった。

 

ただ、少し考えると、 この行事について何も知らないので想像しただけに過ぎないが、 この説明は難解な言葉の定義よりも適切な内容であるかもしれないと思った。

難しい言葉を利用せずに説明すれば、 まさに「これから始まる暑い夏を無事に乗り切れる様、祈る」行事なのであろう。

おそらく、これは人の生活から産み出される様々な他の行事と全く同じなのではないだろうか?

 

実りを待つ人、 豊作を願い、この夏が無事に乗り切れることを願う。

そして人には軽く飛ばされてしまうような願いがいくつもある。 全てをひっくるめて、何卒上手くいきますようにお願いしよう。

 

 

ところで短冊の願いを見て少しばかり驚いたことがある。

 

自分自身や家族に向けての願いと共に、世界の平和・安全の願いがいくつも見られたからである。

もしかしたら自分が七夕を無視して、短冊を見ていなかったので知らなかっただけのことであり、 昔から、人の願いとしてこれは変わらないのかもしれない。

経済的には世界は統合され、否応なしに生存のための一つの共同体であっても、 心は離れたまま、というのが現実であると思う。 でもそれは僕の定規で測った勝手な見方であり、 他の人たちは少しずつでもお互いに近づいていっているのかもしれないと思った。

 

人を思い、自分の意思では初めて願いを結びつけてみたが、 やはり、自分は外へと自然と発散される自分以外の人への思いが欠落しており、 自分以外の優しさを前に、人を自分の定規で定義する自分の傲慢さを恥ずかしく思った。

 

One Response to “2013年07月07日/七夕”

  1. こば より:

    一郎ちゃん、その後体調はどうですか?僕の方は今週末が盆なので、土日は草むしりで慌ただしくしておりました。殆ど雨も降らずに、梅雨が明けてしまいましたね。猛暑の中での庭作業により、かなり焼けてしまいました。来月は市民水泳大会2本立てです。夏をenjoyします。時間がありましたら食事会しましょう。

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