Archive for the ‘言葉’ Category

ball

土曜日, 12月 29th, 2012

「松井秀喜引退」、というニュースがある。

 

昔は野球好きであり、

スポーツをラジオで聞くというてんで理解のできないことを

学生時代にはしていた記憶もある。

 

今の事情は全く知らない。

 

昔を懐かしんでということであろうか、

少しその松井の引退に絡んでニュースを見ているうちに

野茂の動画を見るというように手は動いていた。

 

野茂が投球する。

「ball」

と審判の声。

 

「そういえばボールってどういう意味?」

 

英語であると思うが、

もしそうであれば、それは「ball」というスペルであると想像するが、

それは勝手な思い違いであろうか。

 

ballとは、

まさにその野球という球技自身で利用される

硬くまん丸の物体であり、

ある人が投げその物体を、

それを迎える形である人が立ち棒を持ち引っ叩く対象となるものであろうか?

 

もし、僕が間違っていないのであれば、

「ball」というのはその野球という事象の一つの中心となる要素である。

それをstrikeに対する一方であり、

見逃す対象とする

という言葉の使い方をしているということになるのであろうか?

 

野球帽を被っていたのかどうかは忘れたが、

いずれにしても、授業の後、バットを振り回していた時代がありつつ

たとえ、その場が授業後の路上や小さな公園でこじんまりと開催される催しであったとしても

心をこめて心を、体を動かしていた時代があったはずの私。

 

たとえ、それが公園での単なる遊びであったとしても

その私が、今になって何故そんなことに、分かっていないことに気づくのであろうか?

 

分かっていないのは事実であり、仕方ない。

 

今、考えてみる。

 

「ball」、それはまさに本質であり、

あまりその本質は、うっとおしくもあり、

大多数の幸せを妨げる必要はなく、

語るべきではなく、はずれ物として除外すればよい。

 

「ball」、それは「strike」される価値もない

成長のかけらも感じられない物体。

 

「strike」されれば、ある見せ場はあるわけであるが、

それはただの「ball」でしかなかった。

 

悩んでいるより元気になったほうがとく

日曜日, 12月 23rd, 2012

一年半以上も前の写真ですが、僕は好きなので。

悩んでいるより、元気になったほうがとく

幸と辛

日曜日, 12月 23rd, 2012

冷麺の唐辛子のエキスの含まれた袋に書かれた字を見て、
これは幸せという字であるよね、と妻が尋ねてきた。
「いや、“辛い”という字だよ」

なるほど、今まで気がつかなかったがよく似ているんだね。
頭の中で、

「幸」という字のなぞり、辛いという字の一番に下に一本線を加えればいいんだ。

と字をなぞる。

 

いや、幸せという字がどんな字なのかよく分からなくなった。

取り出された紙を前に、

ペンを持った私が何度か書きつづるが

どうしても幸という字にはたどり着く様子は見られなかった。

 

「一番上に一本棒を引っ張ってみればいいんじゃないのか?」
そう言われて紙に書くと、

すでにその形状を失いつつある私の頭では、
どうもそのかたちが納得できるもののように見えた。

少々不安がありはしたものの、
そのような字の迷いは夏目漱石の小説にも出てきたし、
実際に私にも小さいころからよくあったので、
今日もそのようなことなのであったのであろうか。