数に左右されるような生活はいかがなことかとは思う。
そうかと言ってその数値により構築される世界に同居しているわけである。
その値によって休みであったり、
何かしらの出来事が規定されているわけであり、
無視するわけにはいかないわけである。
休みであることが僕にとっては重要であり、
新年に初詣に行くような経験は僕には遠い彼方の思い出にしかなかった。
珍しく友達から電話があり、
初詣に行こうと言う。
友達に促され、
蕎麦でも有名な深大寺にたどり着いた。
初詣と言えば、神社でのお祈り。
このように僕は独自の論理を築いていたわけではあったが、
どうやらお寺に詣でてもよいみたいであった。
僕の愚かな言い回しはどうでもよく
人はそこに集まっていた。
祈るしかないのか、祈ることもできるのか。
僕にはどちらなのかは分からないが、
願い思い描いていないものが現実として目の前に現れることは
ほとんどないのであろう、
ということは容易に想像できた。
人の合間を抜け出し、実家へと向かった。
二日目。
元旦に「家内安全」のお札を買い、
実家へと持ち込むと、
思いがけずも喜んでもらえた。
プロのスポーツ選手は、「げんを担ぐ」ということを聞く。
ある高い水準に達すると 、
あとは努力とか、論理に基づく向上とかではないのであろう。
その水準かどうかはどうでもよい。
願いたい、叶えたいことはある。
その想いを伝えることが意味があるのかもしれない。
妻の実家に渡そうと、
「家内安全」
の札を買いに出かけた。
三日目。
温泉に行った。
銭湯に行くことと、自宅の風呂場にお湯を入れる決断をすることと
どのような違いがあるのかは説明できないが、
檜原村にある数馬の湯という場所に向かった。
その路上、東京に向かう車の行列、
死ぬ前に会う人は何パーセントであるのか分からないが、
その貴重な人が、
その道に縦列となり集まっていた。
そして、山道を走る誰も乗客のいない路線バスを通り過ぎ
目的地が我らを迎えるために空いているか心配ではあったが、
数多くの車が止まる数馬の湯の駐車場へとたどり着いた。
彼は、神社で燃やさなければいけない札があるという。
檜原村からの帰り道、見つけた神社へと車を降りて進んだ。
その時が過ぎてしまったのか、元々受け付けてはいなかったのかは知らないが、
札を置く場所はないようであった。
まだ、それを返し報告するには、
早かったのかもしれない。
十分満たされてから訪れればよいのかもしれない。
四日目。
時が過ぎるのは早い。
職場の机の上におくカレンダーがない。
予定を刻み自分を縛り付けるその紙を買いに行くことにした。
それを書く必要、主張する必要がどこにあろうのであろうか。
ただし、それを表に出さない限りは何も産まれないことを示すことであろうか。
時間を区切ることにどれだけの意味があるのかは知らないが
そうしないと、ことは進まないし終わることもないのかもしれない。
カメラを持つ僕。
何かステキなことがあるのかもと僕を覗き込む。
別に何かあるわけではない。
いつもあなたが見ている風景がそこに広がっているだけである。
個人的には、美しい姿ではあったりするが。