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気がする論/レクリエーション:1回目

日曜日, 12月 14th, 2014
以前、リハビリテーション病院に入院していたときに、このような施設を修飾する言葉として「レクリエーション施設」という言葉が適切ではないか?、と思ったことがある。「レクリエーション」というのは英語の「recreation」であるが、日本語としても利用されており、次のような説明が辞書に記述されている。《「リクリエーション」「レクレーション」とも》仕事・勉学などの肉体的・精神的疲労をいやし、元気を回復するために休養をとったり娯楽を行ったりすること。また、その休養や娯楽。
類語 娯楽(ごらく) 楽しみ(たのしみ)

引用元:goo辞書より

ここで英語に戻ると、「recreation」は、2つの単語より構成されている。
2つの単語「re-creation」を素直に読み下すと、「re」(再び)、「creation」(想像する)で、再創造物、という意味になるのであろうか。

リハビリ活動は、幼児が新たな動きを創造していく活動に似たところがあるような気がする。

怪我が回復して元の状態に戻る場合であれば、この例はそぐわないかもしれないが、リハビリというのは、何らかの形で残った部分を利用して新たな動きを再創造することにより怪我や病気などで損なわれた体内・体外の働きを補うことである、と思うからである。

子供達が楽しみながら新たな世界を創造していくのに倣って大人も身体を回復させる、ということが簡単にできることではないと思うが、既に構築されたものを壊して新しいことを創造する困難に直面したときに、それを楽しみとして捉える気持ちや見方を持てるといいね、という意味で「レクレーション施設」という言葉がリハビリテーション病院の場所を説明するのに適切な表現であるように思えたのである。

ところで、私は交通事故で左半身麻痺となった。外科治療は終わり、リハビリ期間を経て、制限はあるが、ある程度の日常生活で必要となる作業は、一人でもこなすことができる身体的な状態になった。現在、定期診断、経過観察のため定期的にリハビリ科に通院している。

長らく思うことがあり、先日の診察日に左下肢装具を替えてみることについて医師に相談した。
診察の結果、装具を試す目的で数回リハビリ室に通う診断となった。装具とは四肢・体幹の障害部を補助するために身体に装備する器具のことであり、私は短下肢装具と呼ばれる種類の物を使用している。
例えば、つま先の動作を制御できずに地面に向かって垂れ下がった状態の人は、歩行で足を振り出す時に、つま先が地面に引っかかり転倒しやすくなる。
短下肢装具は、このような人に利用され、下方向に垂れたつま先を前直進方向に強制的に補正することにより、歩行を補助する。このため、以前、私が入院して下肢装具を作成する時、リハビリ科の医師に、もし、私の足首が麻痺していなければ装具は不要であるかもしれない、という説明を受けたことがある。また、人・症状により異なるのかもしれないが、私の場合は、内反足と言われる足の形態異常のために地面と平行に足裏が付きにくく小指の面の方から地面に先に接してしまう。この状態を脹脛のある程度上部の方から強制的に足を固定することにより問題のある側の足を地面に下ろすことを可能にし、また、脚を軸として立つことを容易にすることにより歩行を補助、安定化させる働きがあるように私は理解している。

なお、装具自体には動力は有さない。あくまで関節の動きを誘導するための補助器具と言えると思う。

さて、装具を替えてみた方が良いかと思い医師に相談することにしたのは、次の理由からである。

・装具に頼って歩く癖が身についている気がする
・もう少し歳をとり体力がなくなったら装具に頼る方向がいいと思うが、そうなる前の段階は少し負担を掛けた方が良い気がする

簡単に言えば、体力がある内に身体のバランスを回復する方向に向けるためには、強引に例え僅かであったとしても、体を、そして筋肉を使わざるを得ない環境を持つしかない、と思ったからである。

資金移動の円滑化により市場が活性化するイメージのように、水泳で全身を動かすことは、身体が連鎖してバランスを持って動こうとするような気がするので、素晴らしいことのように思える。但し、資金を動かし始めるきっかけを作り出すのに苦慮するのとは異なるのかもしれないが、プールに行くのは何となく面倒であったり、他にやりたいことがあったりと、行動を起こすことを阻害する身体の働きがあることはよくあることで、なかなか足まで始動指示が行き渡らないことが多々ある。

言い訳であろうが、体のために時間をとる、ということは簡単には出来ることではないので、日常生活の中で必然的な改善活動につながる方向に持っていく必要があると考えた訳である。さて、リハビリ科の診察の翌週、リハビリ訓練室を訪問。受付を済ませ、待合ソファーに座り理学療法室を眺める。

平行棒に必死に捕まり立ち上がろうとする人がいる。また、平行棒に手を軽く触れながら前へと進む人がいる。その横を比較的早足で患者が歩いており、やや斜め後ろに立つリハビリ師が軽くその患者の背中に手を当てている。
症状や段階によるのであろうが、訓練室の様子を眺めるとリハビリというのは体のバランスを調整することが重要なことであるように感じた。理学療法室に入ると今の下肢装具に代わる候補として、リハビリ師が簡易装具と呼んでいたが、足先と足関節から太ももの裏側に脚を支える形で伸びているプラスチック部位が、今の装具よりも短い物を出してきてくれた。

『環境が変わると身体がそれに合わせて適用しようと変化する効果がありますね』私が装具を変更することに対する一般論としての意見を投げかけたときに、リハビリ師は言った。・それが良いときもあるし悪いときもあるのだろう。
・それでも、身体が変化を起こそうとしない限りは良い方向に進むことはありえない。
(悪い方向に進むのを加速させる可能性はあるかもしれないが)

たぶん、こんな単純な論拠に基づきリハビリ師は、私の問いかけに答えたのだと思う。

簡易装具を装着して歩き始めると、初めの一歩でつま先が床に引っかかり、前につんのめりそうになる。
それをリハビリ師は予期していたのだろう。素早く、そして優しく僕の腕を包み込むように身体を支える。

私は、一歩一歩、慎重に前に進む。
簡易装具で歩くと、床の感触が直に足へと伝わってくる。
私の足裏は、保護の膜が薄くなり厳しい世の中に直面していることが伝わってきたため、恐れおののいているようで、足指先がいつも以上にくの字形に曲がろうとしているようであった。それは、私の思い通りと言えば良いのか。転ばないように、と右脚に頼るだけではなく、ある程度、安定を保つようにと、左足裏が床に着き、また、左足に体重を掛けることを意識して歩く。床に接する感触をより直に感じるようになったために、この事をより意識せざるを得なくなる。

『トレーニング用として保有することは悪くないかもしれない』

今回、装備した簡易装具は、今穿いているものと比べると、脚に接している面積がかなり小さいものであった。また、脚関節の曲がりを想定したジョイントはなく、薄めのプラスチックのたわみがその代わりとなるものであった。理学療法室にある階段を歩く。足首のジョイントに代わる役目を担う薄いプラスチックが弓なりに曲がる。足首の裏側には装具が当たってしまうが不愉快を我慢すればよい程度に思えた。
但し、強度についてはこの様な動きが積み重なった場合を考えると不安を感じた。転倒する危険性が今より増す可能性のことはさておき、強度的に脆い、というのは大きなリスクであると思う。
リハビリ師の説明によると、この種の装具を利用している人で出張時等の不測の事態に備えて、常時、予備を持ち歩いている人もいる、とのことである。

小さいといっても、それなりの大きさであり、これを常に携帯するのは非現実的である。この装具での長時間歩行は、今の自分の能力的に難しそうなことを考えると、リハビリ師のアドバイスの通りトレーニング用として保持する物品のように自己評価した。

膝を屈伸させるため、上肢をゆっくりと下げる。

ジョイント部がないため、限界まで膝を曲げて良いのか微妙な感じがしたが、アキレス腱の当たる部分がある程度はプラスチックが曲がるようである。
自分の装具に履き替え、同じ様に屈伸運動を行う。
ジョイントがあるため、今、試している簡易装具と同様に曲がるようであり、動きの柔軟性という点では、どちらもあまり変わらないようであった。
もしかしたら安定性と安心という点を考えると、しっかりと強度を備えた今の装具の方があるのかもしれないと思った。
比較のためにリハビリ師が素足に近いという、「より簡易的な」装具を履かせてもらい屈伸運動をする。
あまり引っ掛かりを感じることなく膝を折り曲げることが出来た。
装着してからの開放感が、全然違った。何もない状態に近い方が、自由が利くことは当然であるが、3者を比較すると、新たに導入を考えている装具は、今までの物は柔軟性についてはさほど差がないように思えた。階段の昇り降りなど容易に想定出来る範囲内であっても、簡易装具のプラスチックが延びて負荷が掛かり、装具の耐久性の面で問題が発生することが考えられた。また、この簡易装具は、ジョイントではなくプラスチックの柔軟性に頼る造りであるため、自分の癖に依存した形で装具が変形していく可能性があるそうである。脚の動きを誘導し、また、安定化させる働きのある装具として利用するには不安があるように感じた。

リハビリ師の言うように単なる訓練用として購入するか。

『外で歩くことができますか?』

これからの予定、つまり今回で装具を試すのは終わりにするのか、まだ次回も続けるのかを決める時、この質問を投げかけた。

コンクリート道での感覚を知ることなく新しい装具採用の要否を決めることは出来ないと思った。
他の患者とのリハビリの都合を考えると、朝、早めの時間の方がリハビリ室を離れるタイミングを得やすい、ということだった。翌週、再度リハビリ室を訪問することにしてその日は病院を離れた。