人を助けるために手を差し出すことは、意外と難しいと私は思う。
まず、助けを受ける立場に立ってみると、相手を立てるがために、その人の行為を受け入れることは良くあることかもしれない。
援助の申し出に対する対応には、返答に窮することがあるように思う。
不要な申し出に対し素直に断ると、もしかしたら、その人は『この私の好意を何で理解しないんだ』と怒りを露にするかもしれない。
そういう面倒な場面を想定してかどうかは分からないが、大概、表面的には、人は不親切を装っているのかもしれない。
『どうしていいのか分からずに気がついたら時間が過ぎ、何もせずに終わっていた』
なんてことは、もしかしたらあなたにも良くあることかもしれない。
もし、僕を例に出すのであれば、いつも、そんな感じなのであろう。
そうは言っても、自分に甘くても人のことを客観的に語ることは容易である。
そこで、『援助』について、自分が援助の受け身の立場を例に上げて、 人の動きとそれに対する自分の頭の動きを紹介したいと思う。
町中で転んだ時。
事象が発生した場所、地域について述べた方が事実の説得力はあるかもしれないので、念のため、そのことに触れておく。
私の生活範囲内を考えると東京都内の下町を除くエリアが、今回の話の対象としておく。
一般的に、人は倒れた人に目を向けて、そのまま、その横を過ぎ去っていく。
または、たまに立ち止まるがどうしていいか分からない素振りを見せるだけで、優しいことばを投げ掛けることはあるが実質的には何もしない。
行動を起こしたかどうかだけを判断基準とするのであれば、人はあまり優しくない。
但し、私は助けの手を差し伸べて欲しいか、というと、実はそうではなくて無視して欲しいと思っている。
それは何故かというと、半身麻痺が残る身体である私の場合、他の人とは少し異なる自分の身体にとっての主導的な可動域に合わせて身に付けた起き方というのがあるということと、倒れた瞬間は、大概、身体が緊張しており脚が突っ張った状態になるので、すぐに起き上がるよりは、落ち着くまでとりあえずは身体を倒れた状態にしておきたいからである。
言葉の通り、手を差し伸べられ、その人の体の動き常識に従ったサポートをしようとされてしまうと、それは私にとって未体験の身体動作であり、ちょっとした挑戦となるため怖いのだが、申し出を断るのは失礼だと思ってしまう。
そうは言っても、その瞬間で、全てを悟ってもらうための説明をするのは容易ではない。
このため、駄々っ子のように助けを断るか、勇気を振り絞って冒険に飛び出すことになるわけである。
そんな理由で、手を差し伸べられるよりいっそのこと無視された方が気も体も楽なのである。
満員電車の終点。
ひんしゅくを買うのは承知で手すりに掴まりつつゆっくりと外に出ようとする。
私を突き倒して人々は急ぎ乗り換え電車に向かう。
誰か私に気がつく人もいて、手を差し伸べてくれる。
私は不安を感じながらその人の手に捕まり立ち上がる。
私が倒れたことを気がつかずに、または気を配る余裕なく通り過ぎていった人たちは、冷たい人間なのであろうか?
別に冷たい訳ではなく、至極全うな普通の人間だと思う。
工事中で人一人しか通れない道筋。
5メートル早く先に進むために、芝生に足を踏み入れ私を追い抜いていく必要がある。
遅刻はしたくないし、焦る気持ちを抑えることは難しい。
私もその気持ちと行動について、自分の都合により物理的なタイミングと仕草に差異はあっても、人となりの論理的帰結に差異はないであろう。
実は言うと、今日、気持ちがいいことがあったのが、この文章を書き始めたきっかけである。
朝、バスに乗る。
2人座ることの出来るシルバーシートの席が空いていた。
バスは前乗り後ろ降りで、私の前に乗車した初老の女性がシルバーシートの降車ドアの横にある席に座る。
彼女は杖を持った私の姿を見ると立ち上がり降車ドア側の手すりを一瞥すると私に彼女が座っていた席を譲り、彼女は空いている私の隣に座った。
私は彼女の事務的な行動にとても感心し、また凄いと思った。
彼女は周りを眺めて私にとって彼女が座った座席がベターと即座に判断すると、まだ座る場所があるにも関わらず彼女は立ったのである。
彼女が座り直すまで、一連の動きは流れるように機械的に進んだ。
経験上の知識と絡んだ理解もあるような気がしたが、恐らく全ては彼女にとって自然であり、動きに悩みはなく早かった。
ところで、転ぶことに関しては数年前の新宿での出来事のことを良く思い出す。
夜、新宿駅前でバスを降りる。
疲れていたリュックサックを背負った私は、つまずいて顔から地面に付くように転ぶ。
顔が擦れ、痛みでうずくまる。
この大都会新宿の雑踏の中。
私は勝手なもので、普段は無視して欲しいと言いつつも、本当にこれだけの大勢の大衆に無視されると、倒れながらも少し恐ろしさを感じた。
1人の若い黒人男性が通りかかった。
彼は私をサポートする訳ではなく、彼の力で私をすっと立ち上げ、『大丈夫か?』と尋ねてくる。
私は大丈夫だと言い、お礼を言い我々は別れた。
彼の動きであるが、私を立たせるまで迷いがなく、また、私への助成ではなく彼が主導的に力を使い私を起き上がらせたのである。
そして、何事もなかったかの如く去っていった。
彼にとって倒れた人を助けること。
倒れている人は無視する対象でも、何か悩む事象ではなく、自然に体が動いただけのことであったのだと思う。