大相撲

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先日妻の誕生日祝いで相撲観戦に行った。
 
毎年、夫婦で相撲を見に行くことは、決まった習慣となっている。
 
元々相撲好きの夫婦を自認しており、
普段、相撲に接することのない友人を国技館へと是非にと誘ったことが何度かあるぐらいであったが、
今、我々の家ではテレビを視聴する環境がないため、
入ってくる相撲のニュースは誰が勝ったとか負けたとかいう言葉だけとなり、
自然と相撲は離れていってしまった感がある。
 
相撲に限らずどんなスポーツでも、
いや、スポーツ以外でもそうなのかもしれないが、
テレビで観るのと、直接その現場を見るのは全く異なる。
見る、というよりも観客もその競技に参加している、
という世間に知れ渡る陳腐な言葉というか認識が的を射ているのかもしれない。
 
僕はあまり競技というスポーツに自ら関わったことがないためか、
自然とスポーツを生で見たという経験が人より少ないと思う。
 
 
そのようなわけで僅かな思いが大きく膨らんだ突けばすぐに割れてしまうような思いを語ることになるのであろう。
 
生のスポーツ。
 
僕はハタチの記念で初の海外旅行に行った。
その時の訪問地であるタイの思い出として強く残ったものとしてムエタイを見たことが挙げられる。
 
試合は静かに始まる。
遠くに映る二人のシルエットが淡々と闘いの絵を描く。
聴衆の一人一人が値を定めて賭けはじめる。
参加する人が増え始めるに伴い、
選手が放つキックが相手に当たる度に発せられる掛け声の音が会場の中、膨らんでいく。
一人一人の思いが募り会場が一体となったが如く絵の中に詰め込まれていた躍動が人々へと伝染したが如く最高潮を迎える。
 
昔の思い出でハッキリ正確には思い出せないが、
雰囲気はこんな感じであったと思う。
 
 
 
選手へと目を向けると自分が参加した数少ない経験を思い出す。
 
 
一般市民向けの大会であるがプロの選手も参加していた青梅マラソンである。
友達に誘われて特に練習もなく参加した大会であった。
 
普段走ることを趣味としているわけでもなく、
また練習もほとんどせずに古くなり底の擦り減った靴を履いて
30キロ程の起伏の多い工程のレースに出るのは無謀なことであったようである。
 
足の付け根が折り曲がらんとする動作に恐れを抱きつつ、
自らの意思で終わらせてはならんとゆるりゆるりと足を前に進める。
 
折り返し地点を越えた集団が前に現れる。
 
この大会に出場していたあの有名な高橋尚子が僕の体の2,3倍はあったのではないかと思うと、
そのでかい体とは反比例するようにあっという間に彼女のどでかい目が僕の横を通りすぎていった。
 
所詮僕とは力の気持ちも遠い彼方にある太陽と人との差と同じようであり、
ただただ僕は恐れ入るしかなく感じた。
 
 
 
ジンクスを重んじる。
 
ある頂点に達すると僕は想像するしかないのだが、
努力とは当然のことであり、いまさらの手助けにならないのかもしれない。
プロの野球選手がどちらの足から靴下を履くだのといった儀式を重んじることを読んだことがあるが、
技術の高みに近い場所での争いに差をつけるとするとそんな様式ということになるのかもしれないと思ったことがある。
 
 
 
さて短い本論を述べる前置きが5倍以上のボリュームとなってしまった。
 
 
相撲で土俵入りが無駄であるとか、仕切りが長いといったことを
その武道が見る価値のない退屈な競技である一つの理由として挙げる人がいるかもしれない。
 
お互いの力士が覚悟を決めた瞬間に試合が始まりその戦いが終わるまでの所要時間。
 
 
恐らく試合時間がこんなに短い競技というのはなかなかないのではないだろうか?
 
 
力士が呼び出されてから制限時間になり立会い試合が始まることが多いのかと思うが、
立会いまでの所謂儀式と呼べばよいのか塩をまき蹲踞して仕切り線の前に手を突くことを繰り返す。
大きな一番であればあるほど観衆の声と熱気が増していき、試合が開始されるのを今か今かと待つ。
 
そんなとき背中であろうが自分からいくら遠くにいようが、
「今日は、横綱に勝つな」
と自分の好き嫌いとは別に分かることがあり、
実際にその通りにその力士は圧倒的な力を持って横綱を制してしまった。
 
 
大相撲を見に行った人であれば、何度かそのような経験があるのではないであろうか。
 
 
勝負の始まる直前まで呼び出しがほうきで土俵を掃き清める光景を不思議に思うよりも
立会いからの一瞬で全てが決まるこの競技に思い至ると勝負の瞬間へと思いを籠める力士と
思いを馳せるが如く彼らを見つめる観客に篭る素のどよめきが重なり、時にぶつかり合う形でその場が成立しているような気がする。

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