2013_07_28 山陰・島根旅行

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夏季休暇を利用して、7月下旬から松江に5泊して旅行した。

荷物を纏めホテルの部屋で忘れ物がないか探すそのとき、
そして、バスに乗り長距離バスの発着する駅へと向かう路上で、
馴染みつつあったその空間でありながら、まだ何も見ずに別れなければならない松江の地を愛おしく思い、
特に大きな衝撃があったわけではなく、あまりに自然であったためか
引きずられつつも脳裏から去り行こうとするその思い出を何とか辿りながら、
簡単ではあるが、旅行メモとしてその地を紹介したいと思う。
 
夜行バスで松江駅に着く。
早朝であり、朝食を取ろうにもどの店も閉まっており、
先へと向かうには取り敢えずは重荷となる荷物を置こうと宍道湖畔方面にあるホテルへと向かう。
宍道湖から中海へと流れる大橋川にかかる大橋に鳴り響く「カラコロ」という下駄の音に
心打たれたという小泉八雲(Patrick Lafcadio Hearn) の文書に因んで名づけられたカラコロと呼ばれるホテル近くにある広場のベンチでカフェが開くのを待ち、そして朝食を取ると再び駅へと向かった。


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城下町であり、また水の都と呼ばれる松江。
日曜日の朝であったためか通りは人通りが少ないためであったのか、
とても静かで穏やかな装いを見せる街並みであったが、
その日は松江市民レガッタが開催されており、
大橋川岸には朝早くから人が集まり、やや優しく体を傾け川の方へと目を向けていた。
昨年松江を訪れた妻の薦めで訪れた松江であったが、
仕事の多忙を理由にして特に何も調べることもなく夜のバスに乗り込むと、
悶えているうちに、気がつくと朝バスでここへと辿り着いていたため、
すぐにでもベッドに倒れこみたい状況であり、
どこに行こうかという具体的なアイディアがなかった。
駅の観光案内所へと入り旅行案内のパンフレットを手にする。
今日は遠出をするつもりはないこともあり、
初の松江来訪の私が向かう場所を選ぶ権利があると言わんばかりに、
2つの場所を選び彼女の目の前へと提示した。
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久戸千体地蔵

来待川の東岸に接する来待石の崖に112対の仏像が彫り込まれているのが見られます。これを地元では昔より久戸千体地蔵と呼んでいます。それぞれの像は、高さがおよそ50cm前後で浮き彫りされています。それが、なぜ、ここに彫りこんだのかがよく分かっていません。しかし地蔵信仰が盛んになる室町時代から江戸時代の間、ここに生きた人たちの信仰によって彫りこまれていったのは間違いないでしょう。

山陰道宍道ICから車10分
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石宮神社

「出雲国風土記」による大国主命(オオクニヌシノミコト)が狩りに出かけたとき、イノシシと、それを追いかけた猟犬が石になったといわれており、その2つの石が石宮神社にあります。

これが「シシの通った道」となり、「宍道」の語源になったといわれています。高さ8mほどの石がイノシシに似ていて、また2mを超える石は犬のようです。
JR宍道駅から車で10分
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どちらの説明もよく理解できなかったが、
ともかく一つは物理的に、一つは伝承されることにより刻まれた遺物に
触れることのできる場所であるようである。
自分の足を持たない我々が「車で」と記述されたこの目的地まで辿り着くのが容易であるのかどうか分からなかった。
いずれにしても旅行案内の地図を見ると両方の場所を回るのは不可能と思われたため、
「ここに生きた人たちによって崖に彫りこまれた」という久戸千体地蔵に向かうことにした。
地図で最寄の駅は、「来待(きまち)」というところであった。


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石宮神社の最寄の駅でもあるが、来待の隣にある「宍道」駅の方が、
湖の名前でもあり、大きな駅であるように思えた。
案内所の窓口へと歩み寄り
「バスで行くことはできますか?」
と尋ねると、宍道駅であればあるような回答である。
また、タクシーを捕まえられる可能性を尋ねると、
それもやはりというか宍道という答えであった。
そのようなわけで宍道までの切符を買い、列車へと向かうことにした。
列車を待つホームで宍道のバスの状況でも尋ねてみようかと
観光案内に記述されている番号へと電話してみるが、
日曜であるためか受話器をとる人はいない。
今は便利なものである。
列車に乗り携帯電話の地図アプリを使って宍道から久戸千体地蔵までの距離を調べる。
「4.7km」
雨の予報のその日、
大橋川の市民レガッタ会場では、
「暴雨となった場合には、中止となります」
とアナウンスが流れており、
眠気を抑え歩く身にとってそんな日のその距離を歩く気力と自信はなかった。
来待駅からの距離を見ると、1.4kmであり、
一つ先の駅である宍道までのチケットを買ってしまったことを悔やみながらも、
来待駅で外へと出た。
 20130728_kimachi_0120130728_kimachi_02
ここは「来待石」と呼ばれる石材が取れるところであり、
その石を利用した上質な工芸品が作られることで有名なところであるらしい。
しばらく歩くと観光客向けの大きな駐車場を備えた工芸体験施設のある「ストーンミュージアム」があった。
そこを通り過ぎると、多くの地蔵菩薩の紙が張られた石が目の前に現れた。
20130728_kutosentaijizou_01
「地蔵菩薩は、袈裟を身にまとい、左手に如意宝珠、右手に錫杖を持つ立像が多く、人々を極楽へと導くありがたい菩薩として、民間の信仰を集めました」
そこに立てられた九戸千体地蔵の説明書き、及び説明と共に表示されている地蔵の写真を見ると、悟りを求め、また世の中の衆生に救いを求める旅へと出た地蔵の姿、千体地蔵はそこにはないようであった。
山の中へと道というか
何とか人が通ったことがある軌跡ともとれる線がなぞれるような気もしたが、
私は人より歩くのが少しばかり下手なためか、
無理と思いながらもほんの少しばかり登り始める振りをしたものの
やはりというかすぐに諦めて恐る恐る下へと下りてくることになった。
そこで右へ左へと体を動かして上を見上げて見たが、
何かありそうであるがはっきりとは何も見えなかった。
ただそこにいても後悔が募っていくばかりであるし、
雲行きも怪しくなったこともあり帰路の道を急ぐことにした。
博物館を通り過ぎるとぽつぽつと降り始めた雨が駅までは我慢せずに、
予報の通り大きく落ち始めたため、博物館に戻りタクシーを呼んだ。
呼び出された運転手もこの大雨に家に戻りたかったのであろう。
近所の人に電話したのであろうかよく分からないが、
洗濯物か何かを仕舞うように依頼する。
いずれにしても徒歩で十数分の距離でありすぐに郵便配達員が雨宿りをする来待駅へと着いた。
 20130728_kimachi_03
松江では、もともとは時計屋であり、
屋上には白い時計台があり、各階にアンティークの時計が展示されているホテルに滞在した。
睡眠を取った後、暗くなった街を歩いた。
ホテルは値段相応というか部屋は狭くゆっくりと落ち着いて休める部屋ではないが、
堀を巡る堀川遊覧船の発着地が側にある水の都の中心近くにあり、
静かな松江の夜の散歩を満喫できる場所であった。
レトロな街路灯の並ぶ京橋川の遊歩道を歩き、早朝休んだ場所である「カラコロ広場」に戻ってきた。
その広場の壁には壁の中へと去り行こうとする男の姿があった。
それは小泉八雲のレリーフであり、
今回の旅行では、どこでも彼の名前を、存在を目にすることになり、
松江という町の小泉八雲への思いを感じ取りたく、
観光名所の一つである「小泉八雲記念館」を行ってみたいと思っていたが、
見所が多い松江であったためかとうとう最後まで訪れることなく終わってしまった。
そのため今回は小泉八雲のことを何か書くことはできないが、
次の機会には何か知ることができればと思っている。
20130728_matsue_01

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