芸術と美

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げい‐じゅつ【芸術】

1 特定の材料・様式などによって美を追求・表現しようとする人間の活動。および、その所産。絵画・彫刻・建築などの空間芸術、音楽・文学などの時間芸術、演劇・映画・舞踊・オペラなどの総合芸術など。「芸術の秋」「芸術品」
2 学芸と技術。

☆───────────────────< 引用:デジタル大辞泉 >────☆

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げいじゅつ【芸術】

独自の価値を創造しようとする人間固有の活動の一つを総称する語。このような意の日本語としては明治20年前後に翻訳語として始まり,今日では完全に定着したが,この語にあたる西欧語はアート,アールart(英語,フランス語),クンストKunst(ドイツ語),アルテarte(イタリア語,スペイン語),さかのぼってはアルスars(ラテン語),テクネーtechnē(ギリシア語)である。それゆえ芸術の意味を考えるには,芸の正字〈芸〉や〈術〉の語義を中国および日本の文化史に追いもとめる以上に,西洋における芸術観の展開を重んじることになる。

☆────────────────< 引用:世界大百科事典 第2版 >────☆

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芸術
げいじゅつ
art; Kunst

本来的には技術と同義で,ものを制作する技術能力をいったが,今日では他人と分ち合えるような美的な物体,環境,経験をつくりだす人間の創造活動,あるいはその活動による成果をいう。芸術という言葉は,利用する媒体や作品の形態によって伝統的に分類される数多くの表現様式の一つを示すこともある。

☆─────────< 引用:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 >────☆

芸術という言葉は、どうやら難しいようだ。

調べてみると、どれもが違う意味にも見える。

『芸術は爆発だ!』

岡本太郎の有名な言葉であるが、その意味は、分からない。

いくつかインターネット上でその言葉を眺め、少しは事前の知識を得た前提となるが、
私の想像した言葉を書いてみる。

 『芸術とは、大地が、歴史を経て、蓄積してきたマグマを吐き出すことをイメージすれば分かり易く、
  人が、人生で時間を掛けて養ってきた一つの結論を、余計な装飾をすることなく、
  そのままの自然な形で、外へと描き出す行為である』

このような意味であろうか?
岡本太郎がどんな絵を描いていたのか知らないので、全くの誤解かもしれない。

辞書にある芸術の意味の戻ると、
個人的には、ブリタニカ国際大百科事典の『他人と分ち合えるような美的な物体,環境,経験をつくりだす人間の創造活動,あるいはその活動による成果』、という説明が、
一番、自然に吸収できる。

何か調べたわけではないので、勝手に思ったことを綴るだけの話だが、
『美』というのは、本来的には、個人的な思いであり、
社会に共通する定義ではなかったのではないか?と想像する。

但し、社会という共同生活の場に於いては、
ある一つの哲学を、一般的に共有するものであるので、
美についても、あたかも物理的な形状として共有するのかもしれない。

美を共通意識として持たなければ、社会は破壊される方向に向かう気もするので、
組織共同体に起こる事象としては、これは、当然のことかもしれない。

今日は、食卓に皿にお菓子を並べて、その図を楽しむ。

食事を美として扱う人、食器を美として扱う人。

私には、それに拘りを持つ思いはないが、その面白さを、少しは理解できるかもしれないと思った。

『他人と分ち合えるような美的な物体』といった高尚な趣味ではないが、
例え、狭い家の中であったとしても、陳腐な喜びを弄ぶ瞬間があることも、
一つの幸せの形として、まんざら悪いものではないように感じた。

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