Archive for the ‘駄文’ Category

人の自然

水曜日, 1月 21st, 2015

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人を助けるために手を差し出すことは、意外と難しいと私は思う。

まず、助けを受ける立場に立ってみると、相手を立てるがために、その人の行為を受け入れることは良くあることかもしれない。

援助の申し出に対する対応には、返答に窮することがあるように思う。
不要な申し出に対し素直に断ると、もしかしたら、その人は『この私の好意を何で理解しないんだ』と怒りを露にするかもしれない。

そういう面倒な場面を想定してかどうかは分からないが、大概、表面的には、人は不親切を装っているのかもしれない。

『どうしていいのか分からずに気がついたら時間が過ぎ、何もせずに終わっていた』

なんてことは、もしかしたらあなたにも良くあることかもしれない。

もし、僕を例に出すのであれば、いつも、そんな感じなのであろう。

そうは言っても、自分に甘くても人のことを客観的に語ることは容易である。

そこで、『援助』について、自分が援助の受け身の立場を例に上げて、 人の動きとそれに対する自分の頭の動きを紹介したいと思う。

町中で転んだ時。

事象が発生した場所、地域について述べた方が事実の説得力はあるかもしれないので、念のため、そのことに触れておく。
私の生活範囲内を考えると東京都内の下町を除くエリアが、今回の話の対象としておく。

一般的に、人は倒れた人に目を向けて、そのまま、その横を過ぎ去っていく。
または、たまに立ち止まるがどうしていいか分からない素振りを見せるだけで、優しいことばを投げ掛けることはあるが実質的には何もしない。

行動を起こしたかどうかだけを判断基準とするのであれば、人はあまり優しくない。

但し、私は助けの手を差し伸べて欲しいか、というと、実はそうではなくて無視して欲しいと思っている。

それは何故かというと、半身麻痺が残る身体である私の場合、他の人とは少し異なる自分の身体にとっての主導的な可動域に合わせて身に付けた起き方というのがあるということと、倒れた瞬間は、大概、身体が緊張しており脚が突っ張った状態になるので、すぐに起き上がるよりは、落ち着くまでとりあえずは身体を倒れた状態にしておきたいからである。

言葉の通り、手を差し伸べられ、その人の体の動き常識に従ったサポートをしようとされてしまうと、それは私にとって未体験の身体動作であり、ちょっとした挑戦となるため怖いのだが、申し出を断るのは失礼だと思ってしまう。
そうは言っても、その瞬間で、全てを悟ってもらうための説明をするのは容易ではない。
このため、駄々っ子のように助けを断るか、勇気を振り絞って冒険に飛び出すことになるわけである。

そんな理由で、手を差し伸べられるよりいっそのこと無視された方が気も体も楽なのである。

満員電車の終点。
ひんしゅくを買うのは承知で手すりに掴まりつつゆっくりと外に出ようとする。
私を突き倒して人々は急ぎ乗り換え電車に向かう。
誰か私に気がつく人もいて、手を差し伸べてくれる。
私は不安を感じながらその人の手に捕まり立ち上がる。

私が倒れたことを気がつかずに、または気を配る余裕なく通り過ぎていった人たちは、冷たい人間なのであろうか?

別に冷たい訳ではなく、至極全うな普通の人間だと思う。

工事中で人一人しか通れない道筋。
5メートル早く先に進むために、芝生に足を踏み入れ私を追い抜いていく必要がある。
遅刻はしたくないし、焦る気持ちを抑えることは難しい。
私もその気持ちと行動について、自分の都合により物理的なタイミングと仕草に差異はあっても、人となりの論理的帰結に差異はないであろう。

実は言うと、今日、気持ちがいいことがあったのが、この文章を書き始めたきっかけである。

朝、バスに乗る。

2人座ることの出来るシルバーシートの席が空いていた。
バスは前乗り後ろ降りで、私の前に乗車した初老の女性がシルバーシートの降車ドアの横にある席に座る。
彼女は杖を持った私の姿を見ると立ち上がり降車ドア側の手すりを一瞥すると私に彼女が座っていた席を譲り、彼女は空いている私の隣に座った。
私は彼女の事務的な行動にとても感心し、また凄いと思った。
彼女は周りを眺めて私にとって彼女が座った座席がベターと即座に判断すると、まだ座る場所があるにも関わらず彼女は立ったのである。
彼女が座り直すまで、一連の動きは流れるように機械的に進んだ。
経験上の知識と絡んだ理解もあるような気がしたが、恐らく全ては彼女にとって自然であり、動きに悩みはなく早かった。

ところで、転ぶことに関しては数年前の新宿での出来事のことを良く思い出す。

夜、新宿駅前でバスを降りる。

疲れていたリュックサックを背負った私は、つまずいて顔から地面に付くように転ぶ。
顔が擦れ、痛みでうずくまる。

この大都会新宿の雑踏の中。

私は勝手なもので、普段は無視して欲しいと言いつつも、本当にこれだけの大勢の大衆に無視されると、倒れながらも少し恐ろしさを感じた。

1人の若い黒人男性が通りかかった。

彼は私をサポートする訳ではなく、彼の力で私をすっと立ち上げ、『大丈夫か?』と尋ねてくる。
私は大丈夫だと言い、お礼を言い我々は別れた。

彼の動きであるが、私を立たせるまで迷いがなく、また、私への助成ではなく彼が主導的に力を使い私を起き上がらせたのである。
そして、何事もなかったかの如く去っていった。

彼にとって倒れた人を助けること。

倒れている人は無視する対象でも、何か悩む事象ではなく、自然に体が動いただけのことであったのだと思う。

美を創造する

土曜日, 1月 17th, 2015

 

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フルーツトマト

手をかけて甘く、美味しく造られたもの。

色は濃く鮮やかで形も気の所為か美しく見える。
トマトは小さい頃から嫌いだった。
フルーツトマトを食べたことはないが、
きっと美味しいに違いない。
以前、ブルガリアで食べたトマト。
こんなに身体に素直に溶け込んでいくものであるとは知らなかった。
味は同じではないと思うが、
美味であるものは存在することは間違いない。
これは恐らく見事に創り上げたに違いない。
街中に出ると綺麗な景色が溢れている。
新しいものの典型。
また、古い物を懐かしむための典型もある気がする。
どの花屋も区別がつかないほど見事に着飾られていた。

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干し柿

土曜日, 11月 15th, 2014

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生野菜を食べる

金曜日, 9月 19th, 2014
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バスで猪苗代に向かう。12時15分前、
高速道路のサービスエリアで休憩となる。トイレの後、どこにでもあるコンビニで食料調達する。『野菜スティック』

見た目のボリュームが値段を鑑みると小さすぎるような気がするが、
他の調理品よりは悪くない選択肢に思えたりする。

横から
『キュウリは何切れでいくら、キャベツはいくら、、、』
というお経が隣から聞こえてくる。

野菜をサクサクと切り刻んだものが、
円形の筒にポンと置かれているだけではない。
その筒には味噌を詰めた帽子が被せられている。
必要か充分かはともかく何かしらの価値、価格が付けられているはずである。

常識のある皆さんはご存知かも知らないが、
無知な僕にはよく分からないため、
どのような物質に価値が込められているかを商品ラベルから転記するとともに、
意味が分からなかった物質については、その意味を辞書で調べて僕の理解した内容をごく簡単に、ここに記述することにした。

なお、一般的な辞書なりに記述されている内容を、無知な僕が確認しただけの結果であることは、
予めご了解頂ければ幸いです。

————————

(以下、[ ]内が自分が理解するために追加した説明文)

 

■野菜スティック(ピリ辛味噌マヨ)
◇名称

   惣菜[おかず※1 ]
◇原材料[※2]
    きゅうり、だいこん、
    カップ入りソース(マヨソース[マヨネーズを混ぜて作るソースの一般名称と思われるが、原材料の一員となっており、この想像案が正しいかどうかは不明]、
    マヨネーズ[油と酢と卵を混ぜたもの]、
    味噌[何かの穀物、塩、麹[穀物、コウジカビ]、
    豆板醤[空豆、唐辛子、麹[穀物、コウジカビ]]、
    だし[写真からは文字が読み取れない]、
    料理酒[料理に使える種類や飲料よりも料理に最適、といった定義があるかどうかは不明だが、一般的に料理に利用される日本酒[米、麹[穀物、コウジカビ]、水]、
    とうがらし、にんじん、キャベツ、
    トレハロース[保水力を持ち、また臭みを消すなど多様な機能を有する糖]、
    乳酸Ca[カルシウム剤や(意味は分かりませんが)味を整えるために利用]、
    調味料(アミノ酸等)、
    酒精[エチルアルコール:過剰な発酵を抑えるのに利用される]、
    ph調整剤[クエン酸やグルコン酸等の酸性/アルカリ性を調整するための添加剤。弱酸性にすることにより、菌類の繁殖を防ぐために利用されることがある]、
    増粘剤[液体の粘性を高めるために利用される](タマリンド[マメ科ジャケツイバラ亜科タマリンド属の常緑高木]、
    加工デンプン[化学処理を加えたデンプン[参考 ※3])、
    グリシン[アミノ酸の一つ、甘味/静菌作用による日持ち向上等のために利用される]、
    酸味料[クエン酸やリンゴ酸といった食物に酸味を与える添加物]、
    香辛料抽出物[化学的に抽出した香辛料有効成分であり酸化防止や日持ちを向上するために利用される]、(原材料の一部にりんごを含む)
※1 おかず【御数/御菜】:《数々取り合わせる意から。もと女房詞》副食物。お菜(さい)。
   『デシタル大辞泉』
※2 原材料:製品のもとになる材料。原料と材料。
     原料:ある物品を作るもとになる材料。
     材料:ものを作るとき、そのもとにするもの。
  以上『デシタル大辞泉』より
     加工食品の共通表示事項
原材料名 食品添加物以外の原材料は、重量順に一般的な名称で記載。食品添加物は、重量順に食品衛生法に従い記載
     以上『食品衛生の窓 http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/shokuhin/jas/gaiyou.html 東京都福祉保健局』
※3 独立行政法人 農畜産業振興機構 『デンプン11品目の新規指定について』
http://www.alic.go.jp/starch/japan/wadai/200811-02.html
————————
調べるのが面倒になり、だいぶ横着した内容だが、
ただ生野菜を食べるにも、農家の方々のご苦労だけでなく、
長い年月に渡り、多くの人々により蓄積された労力と価値が
野菜スティック(ピリ辛味噌マヨ)の値段には込められていることが分かる。
さて、その蓄積された実績をどう評価するかは、
また別の問題である。
あなたはどのように評価しますか?

 

ふるさと

火曜日, 9月 16th, 2014
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福島県移動中
休憩から戻ると妻の手に大きな袋が。

『安かったから』

僕が驚いた顔を見せると裏の商品ラベルを指差した。

月曜日, 9月 8th, 2014
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影を見て美を感じること。

夜、眼を左に向けると、
木の葉が模様を描いているのが見えた。

眼を背けて心を落ち着かせることもあるのかもしれない。

ただ想像して何かを思い描くのもいいことかもしれない。

飾り

土曜日, 9月 6th, 2014
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世の中で販売されている製品は人と同じように
何重にも飾りに保護されていることが多い。

妻は店に行くとその場で開封して
その飾り(不要なゴミ)を捨てて家に帰る。

あまりスーパーで観察するように見ていなかったせいか知らなかったのだが、
妻によると同じようにパックを捨てていく人が多いそうである。

『いつも捨てたかったんだけど。捨てる人を見た。肉の発泡スチロールのパックを捨てていく人もいるわよ』

飾りを投げ捨て、家に帰ろう。

過去の遺産

日曜日, 8月 31st, 2014
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実家に置いてある荷物を整理した。

忘れ内容にするためであろうか
『旅行 重要』
と書かれた茶色に変色したダンボールを開けると、

『形は覚えているんだが、さて、どうやって手に入れたんだろう?』

というようか物体が次々と目の前に現れた。

旅行用のダンボール以外にも、この瞬間必要としなくてもいつかは必要となると判断したと思しき電気製品やケーブル、紙切れなどが散財するダンボール群があった。

物を取り出しては右へ左へと置いていく。

布袋を開けるとPHSが出てきた。

手にしっくりと収まる大きさであり、気に入っていたことが装飾からよく分かる。

今はスマートフォンを使っている。

使っていたスマートフォンが壊れたとき、
ガラケーにしようと思い探すと以前のように色々な物より選択する、
という概念はないようであった。

その限られた見た目が心を打つことはなく、
仕方がないがスマートフォンにするかと陳列棚を眺めると、
こちらもほとんど個性がないというのか選択肢がないように見えた。

その中で何故人気があるのか、売れているのかは何度か店員に聞いても分からなかったが、
iPhoneは確かに無難なデザインであり、
カバーというのか何というのか分からないが、
自分の好みにしたて上げるためのツールが充分に準備されているモデルのようである。

とりあえずその無難さによりiPhoneを購入した。

iPhoneは使いやすい、との評判がある。

僕はどこが使いやすいのか分からないし、前に使用していたものより使いにくいので、
世の中に溢れるiPhone保有者の一人に尋ねる。

『iPhone、使いにくくないですか?』

『使いやすいですよ』

気のせいかもしれないが、少し憤慨した感じでの回答であった。

今日、目の前に現れたPHS。

『今、同じようなことをするのであろうか?』

後日、発送するためのダンボールには詰めずに持ち帰ることにした。

未来へ

月曜日, 6月 23rd, 2014
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七夕の季節が近づいている。

『いいことがありますように』

辛いことが多いのかもしれないけど、
信じて進んでいくしかないんだね、
いいことがありますように。

スーパーの店内に飾られた七夕の短冊。

購入した物をリュックに詰め僕がその場を去ろうとすると、
一人女性が近づき、一つの願いを捧げようとペンを取った。

右と左

日曜日, 5月 25th, 2014
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なぜ使いにくいのか分からなかった。

新しいハサミが必要となり、
100円ショップで買った。

どうも上手く切れない。

100円ショップの質の限界なのか?
それとも金と比較して判断すると妥当な帰結であるのか?

古いハサミを並べてみる。

同じ形状の物に見えるが、
何だか少し気持ち悪い。

左手で握って指を開閉させながらその動きを眺めてみる。

今度は古いハサミを右手に持ち、その動きを確かめる。

その二つは同じ機構を持った物体であるようであった。

外面は同じように見えても、
皆んな何かが違うんだろう。

人生の流れというのは大まかには大体誰もが似たようなものなんだろうけど、
それぞれ何かの理由があり、そのやり方は異なってくるものなんだろう。