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月曜日, 2月 23rd, 2015

今日、幾つかの生命を終わりにさせた。

今日も、と言った方がもしかしたら正しいのかもしれない。

妻に呼ばれて部屋に入りカーテンに近づくと、白い彼女が卵を産んでいた。

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僕らが決めた領土に足を踏み入れた彼女が悪いのか?
ちり紙で彼女を包み込み、充分な力を込めて彼女の命を絶つことが自分の役務だと思った。

僕の手を止めて妻は言う。
彼女を外へと飛び立たせてあげよう。

窓を開け、そしてカーテンに手をかけ、そろりそろりと揺らす。

彼女の持つ全てを伝えるために力尽きたのか、彼女は必死に布に掴っていたのか。
どちらであったのか、どちらでもないのかは分からないが、彼女の身体は微動だにせず、上へ、そして下へとカーテンの波動の上をゆらりと流れていく。

やがて、宙を舞いバルコニーの床に落ちた。

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死に体に見える彼女にクリアファイルを差し出す。
足を滑らせながらシートの上に載る彼女を壁の上へと降ろす。
彼女は、圧力のない風に吹き飛ばされるように、力なく木の枝へと落ちていった。

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カーテンについた卵を、空いている窓の外に出て、叩いてあげればよいものを、始めの義務を思い出したようにちり紙でその粒を擦り落としてゴミ箱に捨てた。

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帰路

土曜日, 3月 29th, 2014

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まだ今の場所に住み始めて2年弱と短いが、
いつも自分の近所に景色であり、またその時、その季節に柔らかでありながらキレイだと思わせる刺激を与えてくれる場所になっている。

最寄りのバス停の前にあるその寺院。

夜、帰宅の途、バスを降りると、
ふと境内の方を暫く眺め、
それから家の方へと歩いていく日がよくある。

今日、一週間の出張から帰りいつものバス停で車から降りた。

この一週間で、また暖かい季節へとぐんぐんと進んだようであり、
また新しい息吹を与えてくれる景色であるとともに、
家に帰ってきたという思いを強く感じさせてくれる場所であった。

また、春の芽に触れることのできる週末になるか思うと心が沸き立ってきた。

生れけり 死ぬ迄は 生くるなり

月曜日, 3月 24th, 2014

三連休の二日目。

 

体調は優れなかったが、

「季節を見ていないでしょ」

と家内に連れ出されて外にでた。

 

言われる通り会社への行き帰りの車窓をたまに眺めるくらいで、

仕事に追われて昨年の秋も季節の移り変わりをかすかに雰囲気を感じるだけで過ぎ去り、

冬と言えば寒いという空気を感じることにより十分というほどに季節を体には受けてはいたものの

新鮮で澄んだ空気の中に映る景色をゆるりと眺めていたわけではなかった。

 

外へ出ると、確かに春は来ていた。

 

毎年、サクラを見に外へでることはある。

 

ただし、サクラに興味や大きく心引かれているわけではなく、

サクラの幹より顔を出す鮮やかな緑色に心動かされ、それがゆえにサクラを見に行くのが習慣であった。

 

 

今日もあの綺麗な春の緑色が広がりつつあった。

 

 

その日の目的は町を散歩することではなく、

「武者小路実篤記念館」を訪れることであった。

 

武者小路実篤に興味があったわけでも書を読んだ記憶がなかったわけで、

その記念館に訪れる大きな目的なりがあったわけではない。

家内は東京にある色々な文化施設に無料、または割引料金で入場できる「ぐるっとパス2013」というのを持っており、

3月31日が期限ということでまだ訪問していなく、また身近な場所にある施設に訪れてみようという企画であった。

 

バスを待つが休みのためか30分ほど時間を過ぎてもバスはその姿を現さず、

歩いてその記念館がある仙川へと行く羽目となってしまった。

 

そのお陰といっていいのか、

文頭に述べたように生き生きとした緑の芽に触れることができて、

毎年何か新鮮な何かがあるわけではないのであろうが、

またいいものに出会ったと喜べるのが幸せなものである。

 

武者小路実篤の記念館に着く。

 

個人の屋敷跡ということであるようであるが、

随分と大きい敷地であり、来園者が多いわけでもなさそうで

ゆったりと腰を落ち着けるには心地の良い場所のようである。

 

のんびり歩いて来たために閉門時間が近づいていることに加え、

強い疲労感があり何か展示物の説明を読む気力はなかったのであるが、

実篤の書いた言葉や絵の表面を眺めた。

 

言霊というのか良く分からないが、

世間では何かもっともらしい言葉の展示や売り買いがよく行われているようだが、

この記念館の主の実篤もそのような言葉を多く残しているようであった。

 

そのなかで僕の目を引いた言葉があった。

 

「生れけり 死ぬ迄は 生くるなり」

 

その日は他の美術館も訪問する予定であったが、

時間はなく、そのまま用事のあった吉祥寺へと向かった。